動き出す時2

 砦を出たのは、夜明け直後だった。グデナの石壁が徐々に遠ざかっていくのを、リュサは振り返ることなく歩き続けた。背中に背負った荷と武器が微かに軋む。足元の土が冷たく湿っていて、靴底からじわじわと冷えが這い上がるのを感じる。


 重いのは荷物だけじゃない。あの夜の中で灯ったローサラントへの想いが、今は別の重さとなってリュサの胸に沈んでいた。深く、そして不安な気持ちがリュサの心で渦巻いていた。


 戦が始まれば、誰が生き残るかなど分からない。目の前の男が傷つく事を自分が恐れているのにリュサは気がついていた。前には薄かった感覚だ。相手が自分を都合の良い消耗品だと認識していると思っていた時には、自分も相手に対して冷淡になれた。だけど、今は違う。今は自分よりも相手のことが心配で仕方がない。


 視線の先にはローサラントの背中。胸の奥で静かに高鳴る鼓動を押し殺すように、ただ前へと足を進めた。

 途中、傭兵団は監視塔を見つけたが、無人で戦闘は発生しなかった。恐らく兵達は傭兵団を見て撤退したのだろう。


 デパールまで戦闘はない。そう思って、昼休憩を取ろうとした時だった。


 突然、最前列にいた傭兵が倒れ、どよめきが起こった。


 そしてまた兵が倒れる。


 それは矢だった。森の奥、斜面の上方から鋭い風を切る音が走り、三本目が傭兵の肩を貫いた。男が呻き声をあげて地に転がる。それが合図だったかのように、木々の隙間から騎兵の姿が現れた。ヴィグラン家の紋章が縫われたサーコートを身に着けた数十騎の騎兵が声を挙げながら突撃してきたのだ。


 森に轟く蹄の音。迫る騎兵たちは長槍を構えた者と弓を持った者が混ざり合い、傭兵団の隊列を呑み込むように襲いかかってきた。


 森道という不利な地形にもかかわらず、ヴィグラン家の騎兵たちはその機動力を落とさぬまま、草を割り、枝を裂きながら前進する。恐らく、こうした地での戦いに慣れているのだろう。


 リュサは瞬時に状況を把握し、傍の茂みに飛び込んだ。腰の弓を抜きつつ、息を整える。視界の端では、味方が斬られ、吹き飛ばされ、地に伏していた。


 鋭く空気を裂く音が、耳元を掠める。横に跳んでそれをかわした瞬間、すぐそばの木に矢が突き刺さった。リュサは反射的に矢筒から一本抜き取り、すぐさま弦にかける。


 狙うは、木立の中を駆け抜けてくる弓騎兵――。


 リュサの矢は、一瞬のうちに馬の首元へ命中し、騎兵は姿勢を崩して落馬した。地面に打ち付けられた女が呻きながら身を起こそうとするのが見えたが、それを確認する暇はない。次が来る。


 一方、ローサラントは剣を両手で構え、馬の脚をすれ違いざまに一閃。馬はうめき声を挙げて地面に倒れ、ローサラントは落馬した兵士にトドメを刺す。


「ローサラント! 危ない!」


 リュサの声が飛ぶ。ローサラントが振り向くと、槍騎兵が彼に迫ってきていた。


 リュサは素早く弓を引き、矢を放つ。

 その一射は、騎兵の鎧の隙間を正確に撃ち抜いた。長槍が手から離れ、男がぐらりと前に崩れ落ちていく。馬は制御を失い、木の幹に激突して倒れた。


「助かった」


 短く静かな感謝。それにリュサは微かな笑みを浮かべる。


 しばらくのあいだ、混乱は続いた。隊列は完全に崩され、兵たちは森の木々の間を右往左往し、指示も届かず、各々が各々の判断で戦い、逃げ、あるいは倒れていった。


 ヴィグラン家の騎兵は短い突撃の後、あっという間に森の奥へと引いていった。追撃の矢はわずかに数本飛んだが、追える者はいなかった。


 その場には、呻き声と血の臭いが残された。


 地面は蹄と足で荒れ、草が剥がれ、土の上にいくつもの人間の体が横たわっている。傭兵団の被害は大きかった。十数名が即死、同数以上が戦闘不能。敵に与えた損害は数騎。釣り合っているとは言えない。


 リュサは矢を収めながら、静かに呼吸を整えた。そして、先ほど自らの矢で落馬させた弓騎兵――あの女の元へ向かう。


 女はまだ生きていた。胸で浅く呼吸をしているが、明らかに意識が朦朧としている。顔の半分に泥が貼り付き、兜は外れて草の中に転がっている。金髪が土にまみれていた。


「あんた、名前は?」


 リュサの問いに、女騎兵はしばらく唇を震わせていた。意識は定かでないはずだが、それでも彼女は答えようとした。


「……セリカ……」


 震える声だった。だが、確かな意思がそこにはあった。


 リュサが口の中でその名を繰り返したとき、背後で草を踏みしめる音がした。咄嗟に振り向くと、二人の傭兵がこちらに向かって歩いてきていた。どちらも血にまみれ、剣を手にしている。


「生きてんのか、その女?」

「へへ、良い獲物を見つけたぜ」


 何をされるのか察したのか、セリカが小さく身を震わせた。傷だらけの体をわずかに起こし、泥にまみれた顔を向ける。目を大きく見開いたその瞳には、恐怖がはっきりと映っていた。


「殺して……お願い」


 少しの沈黙の後リュサは無言で頷き、腰の短剣を抜いた。


 刃が自分に近づいてきた時、セリカは唇を微かに涙を流した。「ターロン……ごめなさい」


 その言葉にリュサの胸が疼いた。妙な感覚だ。


「……じっとしてなさい」


 リュサは短剣を鞘に納めた。そして立ち上がり、長剣を抜くと、傭兵二人に向かっていく。


「こいつは私が捕まえたのよ。どっか行って」


 二人の傭兵は顔を見合わせた。


「ふざけんな」


「お前が相手してくれるのか? それなら考えてやる」


「そりゃいいや! 前からヤりてぇと思ってた!」


 笑う二人。リュサはムッとした。


「ろくでなしの相手なんてしないわ。死んでもお断りよ。するなら一人ですれば? 商売女すらにそっぽを向かれるアンタ達なら、そっちのほうが慣れてるでしょ?」


「……クソアマ」

 一人が一歩踏み出しかけたその瞬間、リュサの剣先がぴたりと彼の喉元を捉えていた。


「次の一歩を踏み出してみな。あんたの喉を掻っ切るよ」


 数秒の沈黙が流れた。茂みの奥ではまだ傷ついた兵たちのうめきが続いている。血の臭い、土の匂い、金属の鉄錆。全てが重なり合って、森の空気をねじ曲げていた。


 やがて、もう一人の傭兵が舌打ちした。


「……ったく。いいよ、好きにするといいさ。……だけど覚えとけ……」


 ふたりは踵を返して歩き去った。茂みにその背が消えるまで、リュサは一瞬たりとも剣を下ろさなかった。


 静かになった空間に、再びリュサは腰を下ろした。セリカは荒く息をしながらリュサを見上げていた。


 リュサはそっと剣を鞘に戻した。そして、傷薬と布を取り出し、黙ってセリカの傷に手を伸ばした。






「開門! 門を開けろ!」


 門番の怒声が壁の上から響き、しばしの沈黙を破った。乾いた音を立てて鉄の閂が外され、分厚い木の門が軋みながらゆっくりと開いていく。


 門が開き切る前に雪崩込む騎兵達。馬の蹄が石畳を叩き、乾いた音が広場にこだまする。


 騎兵たちは門の前の広場で鞍から降りる。

 

 一人、また一人と兜を脱ぎ始める。顔には戦いの疲れと、失った仲間への無言の痛みが刻まれていた。


 そのとき、広場の反対側から駆け寄ってくる姿があった。


 リーシアだった。


 彼女は広場へと歩み寄り、兵達を労う。馬を撫で、兵士達の中を進みながら隊長を探す。   


「ターロン!」


 リーシアはターロンを見つけると、声を掛けた。


 ターロンはゆっくりと顔を上げた。血に濡れた前髪が額に貼りつき、目の下には深い隈ができていた。


「……ただいま戻りました、リーシア殿」


 声はかすれていたが、その背筋はまっすぐだった。


「行方不明者二名……戦死四名です」


 淡々とした報告。その響きに、リーシアの胸が締め付けられた。


「……あなた、大丈夫?」


 何も答えないターロン。リーシアは周りを見回した。居るべきはずの人物がいない。


「セリカは……?」


 彼女の問いかけは、ごく小さな声だった。その口調には、確かな不安が含まれていた。


「……彼女は……」


 ターロンは口を噤んだ。


「……そんな」


 リーシアの声が、風にさらわれるように掠れた。 


 彼女の目が揺れる。セリカは騎兵隊の副官で、ターロンの伴侶だ。騎兵の殆どが無事に帰ってきたという安心感は一気に消え失せ、ターロンに対する同情が沸き起こってくる。


「……最後に彼女を見たのは……落馬する姿でした……」


 馬から降りたターロンは静かにそう告げた。


 


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デパールの守り手 モドキ @modoki-modoki

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