ハシヤスメ
学生作家志望
もう吸えない息へ
いつも先に行かれるその影に、俺は情けなくなりつつ、ついて行くのが日常だった。
初めはそうではなかった。むしろ、立場は逆であったと思う。いつも、後ろから小さい歩幅で一生懸命についてきてくれるのは、彼女の方だった。
彼女が俺の影を踏む。頭の上、それともこめかみらへんを、大体通り過ぎてはまた上ることの繰り返をしていた。
出会いは大学からで、同じサークルの先輩だ。しかし、先輩というのは名ばかりのお茶目さんで、いわゆるド天然的な立ち位置に、サークル内ではなっていたのだ。
だからいつのまにか、俺と先輩との間にあった敬語や礼儀や風紀が、繕っていた心の壁であったとお互いに見透かしあってしまっていたのだった。
心の壁がどれほど薄かったか、もしくは厚かったのかは分からないけれど、障壁が無くなれば無くなるほど依存性に取り囲まれ、一瞬で好きになっていた。
そして、それは彼女の方も同じだった。
俺はなんとなく、そのことを知れる1ヶ月も前の間から、彼女も俺を気にかけてるのではないかと推測の内はついていたわけで、嬉しくはありつつ、あえて冷静な反応にして、付き合うことにしてみました、感を出した。
だが、それがどうだろう。
時間が経てば経つほど、俺と彼女の間に、新たな障壁が生まれ出てきて、その障壁が、俺と彼女の立場を逆転させる事態に至った。
彼女の影を踏むことになったのは、本当にその頃からのことだ。
余裕が無くなった。端的に言ってしまえばそういうことになるのだろう。
ただ俺は根っからの負けず嫌いで、一見かなりモテそうな彼女、いや、モテていた彼女を誰かに盗られるかもというリスクに関しては、一切焦りの影すら見せていないフリをしてしまっていたのだ。
例えば、彼女とゼミが同じのマサヤという男がいる。こいつは、俺と違ってかなりのアクティブ人間らしく、俺には到底太刀打ちできないほどの強者級であったそうだ。
コミュ障である俺(彼氏)と、対照的な、マサヤとかいう話が上手くて面白すぎる人間が同じゼミであったら、普通に考えて心が奪われてしまうのが当たり前、定石でしょ!!
頭の中に転ばした嫉妬か不安かの、いずれかの感情を、厄介にも混ぜ合わせてしまった俺は、どうすることもできないまま、結局、彼女からの電話を待つことしかできなかった。
こうして、余裕が無くなってしまった俺は、彼女に、「ついて行く」立場に甘んじた。
思えば、直そうとか、必死に変わろうとする気力すら見せなかったのだから、「別れたい」と言われても、どうも仕方がなかったのかもしれない。
俺が悪いんだ。
「他に好きな人ができたんだって。」
「それで?別れたの?」
「うん。」
「そっか、まあ、そう。」
さっきまでの上機嫌な明るい飲み会が、寝静まった子供となった。きっかけは、俺の先程からのポエムみたいに並べ連ねた惚気から、急転直下で辿り着いた終点、すなわち別れの話だった。
「久しぶりに飲もうぜ。」と、俺から誘った柏木に、こんなに暗い顔をさせてしまうことには、不甲斐なさを感じていた。
だが、いつもならパッと明るく空気をチェンジしてくれるはずのポジティブマンな彼に、全てを委ねていたことは汲み取って欲しかった。
俺からすれば、唯一の希望こそ、お前なんだ。柏木よ。
柏木は、目を細めると、眉間に皺を寄せて、鼻の穴が広がるくらいの大きな溜息を吐いてから、ある話を始めた。
「実はな、俺。2人のことめっちゃ応援してたんだよ……!だから、正直めっちゃくるわ。てかさ、なんだよ好きな人って。誰だよ。どこのどいつだよ、俺がお前の代わりに殴ってやるよそいつ!!」
「でも柏木喧嘩弱いじゃん。」
「強さとか、理屈とか、そんなんじゃねえのよ!!!いざとなったらジャイアントキリングだボケ。」
「ふっ!なんだよそれ。会ったこともねえのになぁ。」
「うっせ。」
やっぱり柏木は面白い。俺が会ってきた中でトップレベルに面白い。
でも、その面白さに、どこかやるせなさを感じるのも、やっぱり俺のせいだろうか。
面白い。面白かった。面白すぎる。
おかしいのはなんだ?どこに俺は笑えばいいんだろう。
恋の悩みなんてきっと、しらけた顔をしながら最終的には馬鹿にされて終わるんだろうなと、柏木のことを分かったように考えていた俺は、笑って誤魔化していいのだろうか。
思ったよりも、本当に落ち込んでくれている。しかも、俺を笑わそうとしている演技じゃない。第一、そんなに演技が出来るやつでもなかった。
柏木は俺の前で、テーブルに涙を垂らしていた。
酒の入った柏木が、俺に泣きながら声を荒げて言った。
「また付き合ってくれよ、森川先輩と!!」
「もう無理なんだよ。」
「なんでだよ。諦めんのかお前!情けねえ男がよ!」
「付き合ってんだ。あっちは。」
柏木は、到着していたビビンバの湯気に乗るような形で、熱気を帯びて立ち上がっていた。だが、その熱気も束の間、次の時には、すぐに膝をついて、そして俯く格好になっていた。
「なんだよ、それ早く言えよ。俺、馬鹿みたいじゃん。」
「ごめん。それは、悪かった。」
「てことは、写真とかも全部消したのか?」
「消したよ。一枚残らず。」
涙か、汗なのか、もう分からないくらい、お互いの顔はぐちゃぐちゃに濡れていた。
それでも俺は負けず嫌いで、写真を消したことも、同じく淡々と伝えた。
1枚、そしてまた1枚と、ゴミ箱のボタンを押していく。1度捨てたら、袋の中から取り出すことはできないゴミ箱に、平気でポンポン捨てていった。
変なピースの仕方。裏表逆の服。スカイツリーの夜景。なんでもない路地裏。
変、なんでもない、綺麗、おかしい、もう全部が愛おしかった。ずっと抱きしめていたい思い出が、俺のスマホの中で確かに息をしていたのに。
その息も、今では静かになった。
そしてきっと、今は他の誰かのスマホの中で息をしているだろう。
君の残像すら見えなくなった俺の代わりに、大事な君が、また知らない誰かと思い出を作り上げて、笑っているんだ。
「でももう良いんだよ。俺は幸せだった。幸せな時間をくれたあの人が、次どこに行くかは、俺が決めることじゃない。自由だろ。」
「分かったよ。お前の気持ちは十分伝わった。でも、じゃあなんで俺のこと呼んだんだよ?」
「あれ。」
また見透かされたような気がした。そういえば俺は、なんで柏木を呼んだんだろう。励ましてもらいたかった。だけど、その励ましの方向が、定まってなかった。
「なあ。柏木。」
「うん?」
「俺、まだ、変われるかな………」
「変われよ、好きなら。」
「まだ、大好きなんだ。」
ハシヤスメ 学生作家志望 @kokoa555
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