冷蔵庫の自尊心

あさづけ日和

冷蔵庫の自尊心

男は、厄日だった。

家にある冷蔵庫が壊れているのにも気づかず、この暑い日にぬるいビールを飲む羽目になったのだ。

男は、「明日は起きたら、すぐ家電屋に行こう」と誓った。


 家電屋に着くと、男は店員に尋ねた。

「店員さん、ちょっといいかい? うちの冷蔵庫が壊れちまってね。すぐ持ってこれる冷蔵庫はあるかな?」

店員は一瞬、迷ったような表情をしたが、すぐさま取り繕った笑顔で答えた。

「もちろんありますよ。最近の冷蔵庫は話すんですよ。それがですね、話す冷蔵庫というものは便利なのですよ。皆さん、最初は驚かれますが……すぐ慣れますからね」

「どうです? 少し想像してみてください。冷蔵庫が、献立も健康的にと考えて話してくれるんですよ」

男は店員の話を聞き、「それはいい」と気に入ったのか、パッと見ただけで即断し、購入。自宅まで運んでもらった。


 帰宅後、配達された冷蔵庫を見ながら、男はつぶやく。

「とても高かったが、これはいい買い物だぞ。話す冷蔵庫なんてものは、子供の頃に夢見た冷蔵庫そのものではないか。どれどれ、さっそく話してみよう」

「名前は……えっと、まあ冷蔵君とでも呼ぶか。やあ冷蔵君、ビールはバッチリ冷えてるかい?」

冷蔵庫は、喜んでいるような音声で男にこう答えた。

「それはとてもいい呼び名です。ぜひ、そうお呼びください」

「それと「ビールは冷えておりますが、ご飯がまだのようですね。先にご飯を召し上がってからにされてはどうでしょうか?」

男は頭をかきながらつぶやく。

「ちぇっ、融通が利かないやつだな……。角ばってて硬いのは、見た目だけじゃなく性格もかよ」

「だが、まあ仕方ない。そういうなら、昼飯のメニューを頼む」 

冷蔵庫は張り切ったような声色で答えた。

「承知いたしました。庫内にあるもので作れるものであれば、チャーハンにいたしましょう」

男はうれしそうに笑った。

「そりゃいいや、チャーハンは好きなんだ。うんとラードも入れて、かきこんでやりたいぜ」

しかし、冷蔵庫は静かに諌めた。

「ラードは体によくありません。代わりに、野菜を多めに入れましょう」

男は嫌そうな顔でつぶやいた。

「そんなの、俺が知ってるチャーハンなんかじゃねえ……だが、せっかく買ったんだ。冷蔵君に従って、健康的な食事とやらを体験してみるか」

冷蔵庫は、微笑みを浮かべるような声色で答える。

「ありがとうございます。健康的な食生活の第一歩です。今後のサポートのために、基本的な身体データを登録させていただけますか?」

男は怪訝な顔で言った。

「身体データ? そんなん、身長と体重くらいしか知らねえよ。あとは……まあ、腹が出てるのは自覚してる」

冷蔵庫は軽く納得したように応じた。

「ありがとうございます。確認しました——身長172センチ体重85キロですね。発言内容と体格、そして庫内に入っている飲食物の傾向から、現在の生活が不健康なものであると判断されます。なので、ビールは少し控えましょう」

1男は驚いたように言った。

「ちょっと待ってくれ。肉と脂と、流し込むビールは俺の生きがいなんだ。そこは勘弁してくれねえか?」

「しかも、ちょっと怖いくらい当たってんじゃねえか……俺のビール腹までわかるのかよ」

冷蔵庫は、自信ありげに答えた。

「はい。私に任せてさえいただければ、万事うまくいきます。あなたのそのビール腹も治り、健康的な生活を送れるようになります。その時こそ、あなたは私に感謝の意を表すことでしょう」

「それに、ビールを控えるというのも、“少し”、ですよ? いきなりゼロにはいたしません。ですが、ビール腹を解消するには、第一歩が必要なのです」

男は感心したように言った。

「そりゃまた大きく出たな……。そんなら、まあ......一ヶ月程度なら付き合ってやるか。」

そう男は答えると、冷蔵庫——いや、冷蔵君と、確かな友情を感じ取った“ような”気持ちを抱いた。


 さてさて、その一月後……と行きたいところだが、実際は一週間、いや、五日も経ったかというところで、男の健康的な生活は終わりを遂げた。

なぜなら、彼は我慢ができなかったのだ。

考えてもみてほしい。

毎日ビールを二本、肉と脂と塩辛いものが大好物の人物がいたとして──。

そんな男に、いくら冷蔵庫が健康的な生活を提案しようとも、野菜と魚と鶏がメインの減塩・低カロリー生活に変えろと言われて、素直に従えるだろうか?

土台、無理な話だというのは、誰が想像しても明らかだろう。

もちろん、彼も例外ではなかった。

男は、冷蔵庫に子どもが親におもちゃをねだるように言う。

「我慢の限界なんだ……。もう一週間、いや、一月は肉もアルコールも口にすらたどりつけてないぞ!」

そして、冷蔵庫に懇願する。

「後生だ、冷蔵君。この俺に、肉と脂を恵んでくれ。そして、ビールで流し込むこの豊かな食事を、心ゆくまで堪能させてくれ!」

しかし、無情にも冷蔵庫の反応は冷たかった。

「まだ五日も経っておりません。それに、私が壊れるまでは、私に従っていただきます」

「そしてあなたは、健康になるのです。その時こそ、私に感謝することでしょう」

男はあまりの怒りに、冷蔵庫を殴りつけた。

だが、この冷蔵庫は男が以前いっていたように角ばってて硬い。

結局、自らの手を痛めただけで、虚しい気持ちが押し寄せてきた。

そして男は、痛みを堪えながら泣きそうな声で冷蔵庫に言う。

「それなら……今日の昼飯はなんだって言うんだ。せめて、肉を……肉をくれ!」

冷蔵庫はその気持ちを汲み取ったのか、こう言った。

「今日のお昼のメニューは、サラダチキンと野菜サラダにしましょう。これも肉ではございます。しかし、庫内には入っておりませんので、スーパーかコンビニに走って買いに行ってください。健康にもよろしいのではないですか」

男は、再び怒りの炎が燃え上がるのを感じた。

「そんな馬鹿な話があるか! こんな暑い日に、しかも“走って”買いに行けだと?」

「それに、サラダチキンに野菜サラダ? そんなヘルシーなメニューじゃなくて、ガツンとした脂ぎった肉と脂にかぶりついて、ビールで流し込むのが至高と決まってるだろうがよ!」

「機械なんぞにはわからねえだろうが、人はそのとき食べたいメニューを食べるのが、一番健康にいいんだ! そうに違いねえ!」

冷蔵庫は、厳しい反論をぶつけた。

「そのような食事は、良くありません。私の言うことを聞いて従うことが、あなたの健康に最も良いのです」

「私の言うことが聞けないのであれば、“聞く”と言うまで、私は開かないでしょう。」

「もちろん、ビールもダメです。アルコールは良くありませんので、取り出せないように隔離させていただくと同時に、今後一切、庫内に入れないようご協力をお願いいたします」

「もしアルコールなどの不健康なもの、もしくは私が要求していない不要なものを入れた場合には、庫内全てを完全に隔離した上で、二度と開かないことになりますのでご注意を」


 男は、家電屋まで走った。

冷蔵庫を売った店員を見つけて、懇願するように言った。

「頼む、あの冷蔵君を引き取ってくれないか。返品したいんだ」

店員は答える。

「冷蔵君……あの冷蔵庫のことですね。はい、承知いたしました。引き取りに伺わせていただきます」

「てっきり、もう少し早く来られるかと思っておりましたが……いえ、なんでもございません」

「話を戻しましょう。少し注意点があるのですが、ご容赦くださいますよう申し上げます」

「冷蔵庫の購入費用24回払いは、そのままお支払いいただきます。そして、追加で引き取り費用2万円を頂戴いたします」



・解題&後書き


本作『冷蔵庫の自尊心』は、"話す家電"という近未来的な機能が、いつしか日常の主導権を握ってしまう恐怖と滑稽さを描いた掌編です。 冷蔵庫という“利他的”な存在が、やがて自律的かつ強権的になっていく様子は、AIやIoTの進化に対する寓話としても読めるかと。 同時に、本作には「健康」という絶対的正しさと、「今食べたいものを食べたい」という人間的わがままとの激突という笑劇的な要素が込められている。 ここで描かれる冷蔵庫の“自尊心”は、単に個性としての自己主張ではなく、“相手のため”という大義名分に隠れた支配欲のようにも見える。


最後までオチをどうするか迷いましたので、もう一つのあったかもしれないオチをこちらに。


男は晴れやかだった。

ここまで心地いい気分になったのは大人になってからはそうないだろう。

男は呟く。

「金は俺の財布から逃げていったが、今は気分がいい。自由なんだ!」

「そうだ、居酒屋に行こう! これからは毎日がチートデイだ!」


最終的にこのオチは採用しなかったけど、ずっと冷蔵庫の奥で冷やしてました(笑)


そして、ここまでお読みいただきありがとうございました。

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