「社会の合理化」によって失われる、人生にとっての本質的なものとは?

憂さ晴らし症候群

どこまでも「無駄」なもの。

 私が思うに人生の本質的なものとはつまり、「無駄なもの」だと思う。

 例えば、日本の伝統的な文化面で言うと日本刀がまさにそれにあたるだろう。世界中から人気を集めている、日本屈指の芸術品だ。日本刀の製造方法は皆さん知っての通り、鋼を何度も何度も叩き、冷やし、温めて、折り曲げて……それを何百何千と繰り返し、最終的に出来上がるのが日本刀である。熱処理に関しても考慮すべきことが多く、刀と地金で焼き入れ温度を変えたりなど、非常に高度な技術を要するのだ。

 しかしよく考えてみればこの行為は実に非効率的であると分かる。無駄な作業の繰り返しとも言えてしまうだろう。

 中世西洋の武器、両手剣を引き合いに出してみる。中世の西洋で作られていた剣の作り方は日本刀と比べて実にシンプルであり、効率的であると言える。その作り方は日本刀と似ている部分はあるものの、熱処理や装飾の観点でみれば大きな違いがある。言ってしまえば中世西洋で作られていた両手剣は「機能的兵器」であり、美しさと切れ味を追求した日本とはそういう面で全く異なるのだ。

 何故、人を切るための道具に美しさが必要なのか。果たして何千回も鋼を叩く必要性はあるのだろうか?


それは「無駄なこと」じゃないのか?


 だが、剣を交えていた時代から数百年の時が経ち、人々が剣ではなく銃を持ち始めたこの時代に、世界中から人気を集めている日本刀─ジャパニーズソード─。無駄に無駄を重ねたようなその刀が、人気を博している。

 私は、その「無駄」に美しさを感じてしまう、どうしようもない、人の感性こそが、人生にとっての本質的なものだと思う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

「社会の合理化」によって失われる、人生にとっての本質的なものとは? 憂さ晴らし症候群 @Uta_T

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る