最終話 未来へ
「此処、は……?」
気がついた時、マーガレットは自分が何処に居るのかさっぱり分からなかった。リヴァーデンに向かう汽車に乗せられていた時から度々こんなことがあったが、今回ばかりは今までと違っておどろおどろしい感じはしない。
一目で、澄んだ場所だとだと分かったからだ。
吹き抜ける空のような淡青の空間に、いくつもの白い光の筋が流れて道を作っている。透き通った世界では地面も見えないが、足の裏にはしっかりと固い感触があり変な浮遊感もない。光の道によって照らしだされた箇所はぼやけ、ゆらゆらと蜃気楼のように大気が揺れている。朝日を浴びてキラキラと輝く川の水面みたいだ、とマーガレットは思った。
「おそらく、時空の狭間ね。【堕天使】が消えたから、彼の力で成り立っていたリヴァーデンも消滅したのよ」
魚になったような気分で辺りを見渡していると、背中の方から自分の呟きに答える声がした。
「アルテナ! 無事だったのね!」
「どうにかね。上手くいくかどうか賭けだったけど、狙い通りに進んで良かったわ」
血を流している方の腕を抑えながら、アルテナはやれやれといった感じに肩をすくめた。思ったよりも深く抉ったのか、そこからはまだ止めどなく赤黒い血が溢れて続けている。
「早く手当てしなきゃ! とりあえず、何か傷口を縛るものを……!」
「マーガレット」
介抱しようと駆け寄るマーガレットを、アルテナは静かに制した。
「光の川が流れている方向を見て。あれを遡って行けば、元いた場所に帰ることが出来るはずよ」
アルテナの言う通り、幾筋もの光の流れを辿っていくと彼方に小さな白い点のようなものが見える。恐らくはそこがこの空間の出口なのだろう。
しかし今はそれどころではない。
「話は後にしましょう。そんなことより、今はアルテナの怪我をどうにかしなきゃ……!」
「わたしのことなら心配しないで。ちゃんとこっちで処置しておくから」
顔色は悪いが、アルテナの表情に曇りはない。ただ優しく穏やかに微笑んで、マーガレットを見つめている。
「あなたは、あなたのことだけを考えるべきよ。あの悪魔から解放されても、あなたの人生から解放されたわけじゃない」
それは、マーガレットの急所を衝く言葉だった。アルテナは試すようにこちらから視線を逸らさない。だがもう、それは自分を動揺させるには至らなかった。
覚悟なら、とっくに出来ている。
「見くびらないで。私はもう、黙って両親の言いなりにはならない。かといって、あの人達の心を無碍に踏みにじるつもりもない。帰ったら二人とじっくり話し合うわ。私の意志を伝えて、妥協点を探って、出来うる限り望み通りの結果を手に入れて見せる」
力強いマーガレットの宣言に、アルテナの笑みが深くなる。
ぐっと胸が締め付けられるが、マーガレットが口を開く前に明後日の方向から野太い声が飛んできた。
「おーい、無事だったか! 突然リヴァーデンが幻みてーに掻き消えちまったもんでびっくりしたぜ!」
駆け寄って来たのはひとりの男だった。拳銃を手でくるくると回しながら、安堵した笑みを浮かべている。びっくりしたという言葉とは裏腹に、その佇まいからは余裕を感じさせた。
「先輩、あなたこそご無事で何よりです。グレムリン達を引き付けてくださって、ありがとうございました」
「いーってことよ。お陰で無事に任務も果たせたみたいだしな。俺の作戦勝ちってところだな」
そう言って、先輩と呼ばれた黒髪の青年は豪快に笑う。どうやら彼が、アルテナの言っていた相棒のようだ。
「あ、あの、はじめまして……」
これまでの人生であまり接したことのないタイプの異性に、マーガレットは固くなりながらもおずおずと挨拶する。アルテナの先輩は鷹揚に手を振って応えた。
「おう、アルテナから聴いてるぜ。あんたがマーガレットだな。まあ色々と大変だったろうが、こうしてお前さんも助かったんだ。せっかく拾った命、せいぜい無駄にすんなよ」
「は、はい」
言うだけ言って、先輩はアルテナに向き直って手早く傷の具合を確かめている。もうマーガレットには目を合わせようともしない。
名前を訊きそびれてしまったが、改めて尋ねられる雰囲気でもなかった。代わりに、アルテナが再度マーガレットを促す。
「さあ行って、こっちのことは大丈夫だから。一般人のあなたを無事に帰すまでが【イービル・イレイス】の仕事なの。だから、ね?」
「アルテナ……!」
喉の奥から感情が込み上げる。マーガレットは口から漏れそうになったそれを歯を食いしばって押し留め、胸の底へと飲み込んだ。
ここで、お別れ。それはもう、どうしようもない。自分とアルテナは、住む場所も背負った使命も違うのだから。
マーガレットは震える手で、預かっていた銀のロザリオを差し出した。
「これ、返すわ。本当に、ありがとう」
だがアルテナはそっと手のひらをこちらに向け、ロザリオを押し戻した。
「上げるわ、マーガレットに。大事にしてね」
意外すぎる言葉に、マーガレットは目を見開く。
「……良いの?」
「お守りと、記念よ。ろくでもない街で出会い、そしてお友達になれたことの、ね」
強張っていた心が、ゆっくりと解きほぐされてゆく。
アルテナとの繋がりを示すロザリオが、マーガレットの手の上で輝いている。
もう、寂しくない。たとえ歩む人生が違っても、お互いの間には確かな絆がある。
その事実が、マーガレットの心に限りない勇気を与えてくれる。
「さようなら、アルテナ。貴女と出会えたこと、絶対に忘れない」
「さようなら、マーガレット。わたしも決して、あなたを忘れることはないわ」
見つめ合うマーガレットとアルテナの間に、光の川から溢れた粒子が粉雪のように舞い、二人を煌めきで包んだ。
マーガレットは一度目を閉じ、そのまま彼方の光点に向かって足を踏み出す。
開いた目に、しっかりと未来を見据えて。
「あ、そうだ。最後にひとつだけ、お願いしても良いかな?」
光の出口が大きくなってきた時、マーガレットはふと振り返ってアルテナに声を飛ばす。
既に彼女と先輩の姿は小さくなりつつあったが、まだ声は届いた。アルテナの琥珀色の瞳も、鮮やかな薄紫色の髪も、周囲の光に映えてよく見える。
「なに、マーガレット?」
アルテナが訊き返す。マーガレットは大きく息を吸って、友達に言った。
「〝メグ〟って呼んで!」
意表を衝かれたようにアルテナがきょとんとする。それからふっと笑って、大きく頷いた。
「頑張れ、メグ!」
たったの一言。だがそれだけで十分だった。
マーガレットは晴れやかな気持ちで、再び光へ向けて歩みはじめた。
友達の声援を背に、未来を掴み取る為の戦いへ。
そしていつかきっと、彼女とまた出会うのだ。
その日は必ず訪れる。その時までに今よりも誇れる自分になろう。
確信と決意を胸に、マーガレットは光の出口を潜っていった。
イービル・イレイス ―欲望の虚都にて少女達は出逢う― ムルコラカ @heibon-na-sakusya
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます