第3話「愛してる!」**
【緊急報告】旦那(Danna Tsundere Domesticus)の特異行動と飼育員の高度な対応に関する考察
対象個体: 旦那
報告者: 飼育員(妻)
危険度レベル: A(一時的に飼育関係の崩壊危機)
行動事例1:睡眠中の他個体への求愛行動(擬態)
深夜、睡眠中の対象個体が**「エリ…むにゃむにゃ…」**と、未知の雌個体の名前と思われる鳴き声を発する事案が発生した。これは、飼育員(妻)以外の個体への関心を示す、極めて稀で危険な行動である。
【考察】
この行動の解釈には、複数の可能性が考えられる。
過去の記憶の再生: 過去の群れにいた個体の記憶が、夢の中で再生された可能性。これは単なる生理現象であり、現在の飼育員への忠誠心とは無関係である場合が多い。
擬態・カモフラージュ説: 日中、飼育員からより多くの給餌や愛情を引き出すため、あえて危機感を煽り、自身の希少価値を高めようとする高等戦術の可能性。無意識下での生存戦略とも言える。
単純な誤作動: 名前の発音機能のバグ。「エリ」は「(こっちへ)来い」や「(腹)減り」など、別の欲求を示す音声が誤変換された可能性も否定できない。
いずれの説が正しいにせよ、この行動は飼育環境における信頼関係を著しく損なう危険性を孕んでいる。
行動事例2:飼育員の機転とそれに対する個体の反応
未知の鳴き声に対し、飼育員は即座に**「はい、エリだよ!」**と応答。自身がその「エリ」という個体であると装う、非常に高度な対応を見せた。
この応答に対し、対象個体は即座に覚醒。飼育員に対し**「殺気以外何もない」**と観察されるほどの強い警戒と敵意を示した。
【考察】
この一連の流れは、当種の生態を理解する上で極めて重要な示唆を与える。
縄張り意識の証明: 個体にとって、「エリ」は夢の中の存在、あるいは存在しない架空の記号に過ぎなかった。しかし、現実の縄張りに「エリ」を名乗る個体(飼育員)が出現したことで、彼は**「自分の縄張りに未知の侵入者が現れた」**と認識した。彼が放った殺気は、「エリ」に向けられたものではなく、自分のテリトリーを守るための防衛本能そのものである。
飼育員への絶対的帰属: 彼にとって、この縄張りにいるべき雌は飼育員(妻)ただ一人である。それ以外の雌(エリ)の存在は、彼の世界の秩序を乱す脅威でしかない。つまり、彼の殺気は**「お前はエリじゃない。俺のパートナーはここにいるはずの“あいつ”だけだ」という、飼育員への強烈な忠誠心の裏返し**なのである。
最終観察:関係の修復と再確認
その後、個体は飼育員の正しい名前を呼び**「愛してる!」**と発声。これは、縄張りの安全が確認され、本来のパートナーの存在を再認識したことによる安堵と、危機を乗り越えたことによる愛情の再燃焼(リバーン)現象である。
飼育員の**「しかたねーな(笑)ふふ」**という応答は、この一連の騒動の根本原因を理解し、彼の不器用な忠誠心を受け入れた証であり、両者の絆がより深まったことを示している。
小説:うちの旦那の飼い方【第三話】
その夜、事件は静寂を破って訪れた。
豪快ないびきの合間に、普段は聞こえない、やけに甘ったるい響きが混じったのだ。
「エリ…むにゃむにゃ…」
…えり?
エ……リ…?
私の名前には「え」も「り」も掠りもしない。なんだその、やけに可愛らしい響きの名前は。どこのどいつだ。脳内で、会ったこともないフワフワのロングヘアで、守ってあげたくなるタイプの女『エリ』の姿が勝手に生成される。
腹の底から、マグマのような黒い感情がふつふつと湧き上がるのを感じた。しかし、ここで叩き起こして問い詰めるのは三流の飼育員だ。一流は違う。この危機的状況すら、利用する。
私はそっと旦那の耳元に口を寄せ、この世で一番優しい声色を作って囁いた。
「はい、エリだよー」
その瞬間。
さっきまで弛緩しきっていた旦那の体が、ピシリと硬直した。ゆっくりと瞼が持ち上がり、暗闇の中で焦点の合った目が、私を捉える。
その目に宿っていたのは、愛でも、ましてや寝惚け眼でもなかった。
殺気。
純度100%、混ぜ物なしの、殺気以外何もない。
まるで、縄張りを荒らしに来たハイエナでも見るかのような、冷たく、鋭い視線。さっきまで甘く名前を呼んでいた女(仮)に対する態度とは到底思えない。その視線が、無言で私に問いかけていた。
『お前は、誰だ』と。
空気が凍りつく。やばい、これは地雷だったか。そう思った瞬間、彼は私の名前を、今までにないくらいはっきりとした声で呼んだ。
「――(私の名前)! 愛してる!」
渾身の力で私を抱きしめる腕は、震えている。まるで、悪夢から覚めて、大切なものがちゃんとここにあるか確かめるみたいに。
ああ、そうか。
私という存在を脅かす『エリ』という幻に、本気で殺気を向けていたのか。不器用にもほどがある。
「しかたねーな」
腕の中で、私は小さく笑った。その背中をポン、ポン、とあやすように叩いてやる。殺気まで出して私を守ろうとしてくれたのなら、寝言くらいは許してやらないこともない。
「ふふ」と笑い声が漏れると、彼の腕の力が少しだけ緩んだ。再び穏やかな寝息が聞こえ始める。もう、そこには『エリ』の影はない。
私は彼の隣に潜り込む。殺気の余韻が残る温もりは、なんだかいつもより愛おしく感じられた。まったく、うちの猛獣は、本当に手がかかる。
飯!風呂!ねる! うちの旦那は、三語で生きる絶滅危惧種です。 志乃原七海 @09093495732p
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