行き先

@iosono

行き先

改札を抜けホームに降りたとき、人身事故のアナウンスがあった。しばらく電車が動く気配はないが、朝から授業があって疲れていたので座れる時間が増えるのは嬉しかった。見たところ座席はほとんど埋まっていたが、どうにか空席を見つけて腰を下ろした。ふと窓の外を見ると、三月が近いからだろうか、ひな祭りをイメージした駅ビルの装飾がライトアップされている。時間を潰すためにSNSを適当に眺めることにしたが、しばらくスマホをいじっているうちに右肘に何かぶつかった感覚を覚えた。隣の乗客にぶつかったと思い、謝るために視線を右に向けた瞬間、驚いて声が出なくなった。彼は車掌の格好をしていた。コスプレにしては完成度が高すぎる。自分と同じ猪名白翔と書かれた名札を見ると少しだけ親近感が湧いた。こんなところで同姓同名の人に出会うとは。しかし、そんな感情も猪名白車掌の顔を見て消え失せた。その顔までもが僕に似ていたーいや、鏡写しのようにそっくりだったのだ。ここまで似ていると気持ち悪い。

「お気になさらず。」

車掌から発せられた言葉は僕の耳には入ってこなかったが、その声は頭の中に潜り込んできた。ここまで外見がそっくりなら、声も僕と同じなのではないか。僕はこんな声をしているのかと、現実から目を逸らすように呑気な考えが無意識のうちに浮かぶ。

「ちょっと、お客さん。」

車掌が乗客に話しかけている。物音は何もしていないが、体調の悪い者でもでたのだろうか。

「ちょっと、ちょっと。」

自分の肩が叩かれた。確かに最近生活リズムが崩れている自覚はあるが、体調不良者に間違われるほど顔色は悪くないはずだ。

「僕は大丈夫ですよ。お気になさらず。」

「いやいや、大丈夫というわけではないでしょう。」

「どこも具合は悪くありません。」

「そうではなくてですね。」

「では何の御用ですか。」

「お客さん、ここで何をしているのですか。」

予想外の質問に一瞬思考が止まった。

「ええと、ー。」

時間を稼ぐために考える素振りをしながら窓の外の景色に目を向ける。しかし、そこに先ほど自分が見た景色はなかった。ビルの明かりは消え失せ、かといって星明かりの一つさえも見えない、真っ暗闇である。きっとこの電車の行く先もー。ここまで外が暗いと、電車の中が窓に反射してよく見える。だが、先ほどまでいた乗客は一人も見当たらない。一体この電車は何なんだ、とても現実とは思えない。ーそうか、これは夢なのだ。疲れがたまっていた僕は座っているうちに眠りこけてしまったのだ。だとすれば、大人しく覚めるのを待っていればよい。けれど、いくら待っても、歩き回ってみても目覚める気配はない。外に出ようにも、ドアの開閉ボタンは反応せず、窓から出ようとすれば車掌に腕を掴まれ

「危ないですよ。」

と止められた。もう質問に答える他にないようだ。頭のエンジンをかけ直し、この特異な状況への解答を探る。僕は夢が覚めるのを待っているだけだ。そのように答えても

「そういうことを聞きたいわけではありません。」

と返された。

「思いつかないなら、もっと分かりやすく言い換えましょうか。」

車掌が半笑いで僕のことを嘲るように言った。

「どうしてお客さんは、SNSで興味もないものをずっと見ているのですか。」

「流れてきたから見ているだけです。そこに何の思考もありませんよ。」

嘘だ。誰か見られるのが怖いから見ているだけだ。自分の本性を他人に曝け出すのが怖いのだ。世間の批評の目に晒され、異常の判を押されるのが僕には怖くて仕方がないから、当たり障りのないもので自分を覆い隠し、正常であるように見せかけているに過ぎない。

「嘘はよくないですよ。お客さん自身のためにも。」

「何のことですか。本心を言ったまでですよ。」

「まだ世間というものを気にしていらっしゃるのですか。」

なるほど車掌には全てお見通しのようだ。随分と不気味だが、慣れてきたのか特に気にすることはなかった。

「知っているなら、わざわざ私に聞くこともないじゃないですか。」

「そんなに世間が怖いのですか。」

「怖いですよ。人から軽蔑され、距離を置かれ、孤独になるのはとても怖いですよ。」

「何もそうなるとは限りませんよ。お客さんを受け入れてくださる方々は近くにおられるはずです。視野を広げてみては。」

お前こそ嘘をつけ。二十年近く生きてきたが、僕を受け入れてくれる人は誰もいなかった。いなかったからこそ、助けてもらえなかったからこそ、世間恐怖症という不治の病に罹患してしまったのだ。

「お客さんに手を差し伸べてくださった方は、今までに大勢いらっしゃいましたよ。ただ、お客さんはその手を自ら払いのけていましたが。」

そんなはずはない。確かに僕を助けようとする素振りを見せる奴はごまんといた。けれど、本心から僕を助けようとした奴は一人もいなかった。皆んな世間から優しい良い子だと思われたいから、名声が欲しいから僕を気にかけたのだ。そんなやつらのダシになるのを丁重にお断りしたまでのことだ。

「そんなことありません。彼らはー。」

嘘だ。嘘だ。きっとこの車掌も世間の評価が欲しくてたまらないのだ。そうやって皆んな僕を利用していくのだ。世間に振り回される人に振り回されて、三歳児の所有物のように乱暴に壊されるのがオチだ。そうと分かったら、こいつの話を聞く必要などない。僕は下を向き、耳を手で塞いで首を横にブンブン振り回した。そのとき、僕の前のドアから人工的な明かりが微かに漏れているのが見えた。これをチャンスと見て、僕は膝の上の荷物もお構いなしに勢いよく立ち上がり、予想通り開きかけていた目の前のドアへ走り出した。

「待って。落ち着いて。」

車掌の声が聞こえる。けれど待たない。ドアをくぐり、顔をあげると、駅の看板が見えた。終点の一つ手前だった。やはり座っている間に眠ってしまっていたらしい。もう電車もないので近くに宿をとって休むことにした。僕の乗っていた電車が終着駅に到着する直前で大規模な脱線事故を起こしたことを知ったのは、翌朝のことだった。


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