第2話 川の上流
福野市で溺れていた男が引き上げられた頃、現代人の誰もが行ったことのない場所で、何やら革製の鎧を着た怪しげな男たちが森の中を徘徊していた。彼らはどうやら一日中この森にいたようで、着ていた衣服の類は汚れだらけ、顔にも疲労の色が滲んでいた。
彼らはある男を捜していた。昨晩、自分たちが殺そうとして取り逃がし、この森の大川の周辺で見失ってしまった男を。
男は「怪物」だった。もちろんその男が生物として人間ではなかったという意味ではない。ただソイツは怪物のように恐ろしい強さがあった、という話だ。
昨晩、その男を殺すため万に近い人数が集められた。全員背丈も人種も違うが、この世界でも有数の実力者たちだった。一人は、剣聖といわれるほどの剣の達人だった。また他の一人は、昔ある王国の近衛騎士として名をあげた男だった。参加していたのはなにも個人だけではない。残虐なことで有名な野盗集団、とある貴族の有する私兵団、冒険者といわれる傭兵集団なども参加していた。
彼らの仲は決して良くはなかった。立場も生い立ちも全く違うし、昨日まで殺しあっていたような者たちもいたのだ。連携も統率もとれるわけがない。ただの寄せ集めと呼ぶにふさわしい集団。しかしこれ程の実力者たちが一万も集まれば、一人の男を殺すなどアリを踏み潰すくらい簡単なはずだった。
今、森の中で男を捜しているのは約千人。残りの九千人ほどは、昨晩その男に殺されるか動けないほどの傷を負わされた。富や名声を手に入れるために参加した彼らの多くが、逆に命を奪われる結果になったのだ。
剣聖は死んだ。野盗団は焼き殺された。冒険者の一人は押し潰された。吹き飛ばされて人が死んだ。いきなり泡を吹いて人が死んだ。溺れて死んだ。体に穴が開いて死んだ。体の半分がいきなり消えて死んだ。とにかくたくさんの、人が死んだ。
生き残った人の全員が、昨夜のことを「悪夢のようだった」と思っている。中には「地獄をみた」と思う者もいる。皆、これから先の未来永劫、昨晩のことをトラウマとして抱えていくのは間違いなかった。
それでもまだ、その男を捜しているのは何故なのか。誰かに命令されているからだろうか。それとも、プライドや矜持が逃げることをよしとしないのだろうか。もしかしたら、殺そうとしたことを「怪物」に許してもらうために謝ろうとしているのかもしれない。彼らの胸の内は分からない。ただ彼らは一様に何かに突き動かされるように、「怪物」を捜し続けていた。
そんな彼らをはるか遠く、地平線の彼方にある塔の中で笑って観察する男がいた。長い白髪でしわのある顔をしており、かなり年をとっている老人だ。白い絹製のローブを身にまとい、杖もつかずに、開け放たれた窓から身を乗り出すようにして森の中の彼らを観察していた。
「馬鹿だなぁ、彼ら。もう少しやると思っていたけど、あんなのじゃ兄さんに傷一つだってつけられないよ」
小馬鹿にしたようなその発言は、容姿に見合わぬ子供のような口調で発せられた。
「しかし、兄さんもドジだなぁ。まさかうっかりして川に落ちてそのまま気絶して流されちゃうなんて。もし師匠が見ていたら、絶対に大目玉食らうよ、アレ」
どうやら昨夜から様子を見ていたらしく、彼らが捜している男の動向も老人は知っているようだった。
どうやって真っ暗な夜のうちに地平線の彼方から、昨夜の悪夢の一部始終を観察していたのかは分からない。普通は地平線の彼方で起こっていることなんて、どれだけ目がよくても分からない。それが真っ暗な夜の間のことなら尚更だ。しかし、この老人はハッキリと見ていたのだ。見て、楽しんでいたのだ。
「フフッ。それにしてもどうしようかなぁ。兄さんをもっと追い詰めるべきか、もうスッパリ追いかけるのをやめるか。ちょっと悩ましいねぇ」
そう。昨晩、一万の腕利きを集め、「怪物」に立ち向かわせたのは、何を隠そうこの老人である。各地にいる様々な事情を抱えた実力者たちを、成功すれば金や財宝、名誉などをくれてやると誘い、「怪物」を殺すように唆した。成功するはずがないということを、知っておきながらも。
「傷の一つくらいはつけられるかなぁって思っていたんだけどなぁ。やっぱり兄さんを殺すには、大前提として魔法使いじゃないとダメだね。じゃないと抵抗すらできやしないっぽいし」
無邪気な子供のように人を、しかも自らが「兄」と呼ぶような人物を殺す算段を真剣に考え、口にするこの老人は、人から見れば異常者のように見えるだろう。そしてそれは間違いではない。この老人は確かに異常者だった。
しかしその一面を、老人は誰かに見せたことはない。たとえ誰かに見られても、必ず相手の口を塞いできた。だからこそ、彼は「賢者」としての名誉を失わずにすんでいるのだ。
「ま、どっちにしてもまずは兄さんを捜し出すことから始めないとね。そうしないと、うかうか夜も眠れない」
まったく僕が見失うなんてドジったなぁ、と呟いて老人はまた楽しそうに遠くを眺め始めた。
この時、もはや距離も曖昧な異世界で「怪物」がずぶ濡れのまま背負われ運ばれていることを、老人は知る由もなかった。
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魔術使用の二流探偵事務所 草戸拓志 @takkumin
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