夏風に教わる

杉浦ささみ

第1話

 江北こうほく駅のロータリーを抜けると、どこにでもありそうな国道に出た。夏だった。うどん屋やバーガーショップ、コンビニなんかが並んでいた。国道を隔てた先はほとんど田園で、駅の後ろの一帯は夏草を繁らせる山だった。


 駅から五分も歩かないうちに汗が吹き出してくる。道がまっすぐだからか、国道ではみんなスピードを出している。他県ナンバーのトラックが多かった。


 目的地まではバスに頼ろうとしたが、あいにく手ごろな便はなかった。とりあえず近くにある大きなスーパーに寄って、袋詰めのかき氷を買って歩きながら食べる。正直得意な味ではなかった。すぐに溶けて指にまとわりついた。


 ぼくの仕事は、いわゆるなんでも屋だ。集客力の低そうな看板をかかげ、一日に数度あるかないかの仕事をこなす。最近は、おつかいのような仕事ばかりだった。


 ばかでかい氷を炎天下のなかで運搬させられたり、変な儀式の道具を渡されて、それをべつの誰かに届けさせられたり、スーパーでキュウリを買って持ってこいと頼まれたり。現代で生き残っているのが驚かれるほど素っ頓狂な仕事ばかりだ。てんで、まとまりというやつがない。


 閑散期は職場の周りを放浪し、食品サンプルを見つけては未練がましく腹を鳴らす。こんな有様なのに、いちおう上司や部下がいる。祭りの日に神社の隅っこで宴会に興じるあごヒゲのおっさんや、あんまり洗ってなさそうなネクタイをつけた小太りのおっさんなど。そういうわけだから若いのは僅少である。まったく妙な職場だ。


 ぼくはかき氷の空袋をポケットに押し込み、さっきの国道から横に折れた。そして、田園に挟まれたまた別の国道を歩きはじめた。水田には稲が点々と顔を出している。


 そういえば依頼人は、ヒゼンヤマグチエキ、ヒゼンヤマグチエキとしきりに喚いていたが、そんな駅は見当たらなかった。鳥栖とす駅で路線図を見上げたときにもなかった。スマホで調べればなにかしら分かるのかもしれないが、江北駅が最寄りだったので、とりあえずここで降りた。間違っていたとしても、別にどうでもいい。こんな仕事に執心はないし。


 電柱の連なりが行方をしめし、導かれるように足を運んだ。ふと、ポケットでスマホが鳴った。ぼくは応答した。依頼人からの電話だ。


「あの、もしもし」

 老人の声だ。

「もしもし。なんでも屋の○○です」

「ほう、がんばっておるかね」

「あ、はい」

「今はどこだい」

 周囲の目立つものを大雑把に列挙した。


「とりあえず、パンダの看板まで行ってくれんかのう。歯医者の看板だよ」

 頷きながら足を運ぶ。ふと顔をあげると例の看板があってびっくりした。

「ちょうど今ありました」

「ほう。それじゃあ近くにたぬき顔の地蔵があるだろう」

「ええっと」

 田んぼのわきに地蔵が鎮座していた。たしかにたぬき顔である。近づいてみると、お堂の屋根に風鈴が吊るされ、薄く土ぼこりを被っている。今日はとんとん拍子だ。


「この風鈴をたしか……」

 ぼくは顔をあげた。すると老人が

「青い洋館みたいなのが、ずっと先に見えないかね。……病院なんだが」

「あ」

 目を細めて、黄緑色の平野を見透かすと、かげろうの中になるほど洋館のような施設が見える。

「あすこのすぐ近くに家がある。孫が目印に立っていると思うから、持ってきてくれんかの」

「はい」


 ありがとう、という声とともに電話が切れた。同時にぼくは絶望した。その病院とやらは、ここからは遠すぎるのだ。下手すれば四キロくらいありそうだ。ため息に風鈴が揺れる。風鈴だって、おっさんの吐息で鳴りたくはなかっただろう。


 ぼくは歩いた。平野ばかりだったが、歩くほどに景色の表情がわかるようになってきた。舗道に残る乾いた土のわだち。草むらから飛び出して僕を驚かせるトノサマバッタ。ガードレールにぎらつく反射。平凡な景色も知らない土地ではなんだか新鮮だった。


 どれくらい歩いただろう。絞ったような汗を流して、灼熱のアスファルトを踏みしめていると、向こうから、ふらふらしたママチャリがやってきた。青年がこいでいる。ぼんやり眺めていると、ぼくのそばに止まった。自転車はロックもかけられず、ガードレールに突き飛ばされた。ぶつかった反動でベルが鳴った。持ち主はこちらの風鈴を認めたかとおもうと


「あのボンクラじじい! 熱中症にさせる気か」


 そう言ってずんずん近寄ってきた。動きやすそうなワイシャツをきている。おそらくこの人が孫だろう。青年はスポーツ刈りの前髪からぽたぽた汗の玉を落とし「なんでも屋さんですよね?」とたずねてきた。さっきとは打って変わって丁寧な口調だ。


「はい」

「なるほどですね。遠いので迎えにきました」そう言って自転車を立てると「じゃあ乗ってください」と宣言する。

「え」

「にけつです。にけつ」


 青年は荷台を指さした。ぼくは、ためらいながらも、そこに腰を落ち着けた。強い熱を含んでいて思わず「あつっ」と声が出た。風鈴を預かってもらった。青年は風鈴を提げるついでにハンドルをにぎり


「それじゃあ、ぼくの背中にしっかりつかまっててください」と言い放つ。

「はい」


 青年は思い切りペダルを踏み込み、平野を疾駆した。風が耳をくすぐり、風鈴がありえない音を立てて暴れた。フィルムを巻くように景色が流れる。大きな川をわたった。スーパーを通り過ぎた。独特なにおいのレンコン畑も過ぎた。やがて少年は大きな家の前で急ブレーキをかけて生垣のそばへ自転車を寄せた。ありがとうございます、と荷台からおりてぼくは言った。


「ところでヒゼンヤマグチエキって」

 門をくぐろうとしたとき、気になっていたことを尋ねてみた。

「ああ、肥前山口、今は江北駅ですね。いろいろあって名前がかわったんです。ボンクラじじいに間違って教えられたんでしょう」

「はい」と言いかけたところで、クライアントをボンクラとするのは失礼な気がして、曖昧にうなずくだけにした。


 居間にはクーラーが効いていた。レトロなダイニングである。ちゃぶ台には個包装の煎餅が散らばっていた。実家を思い出す。テレビでは知らないローカル番組がやっていて、はじめてなのに妙な感傷をくすぐられた。ただ、至るところに風鈴がぶら下がっているのは場違いだと思った。


 きんぎょの柄、あさがおの柄、花火の柄、れんこんの柄、かえるの柄。メジャーなものから、モチーフに頭をかしげるものまで、様々な模様のガラスが並んでいた。ぼくはきょろきょろと周囲を見回した。すると老人が台所からをくぐってやってきた。


「じじい! 業者さんに無茶させんなよ」

 老人はフローリングをうろうろしながら、すまない、と頭を下げる。

「長くたくさん歩いてくれたほうが、風鈴が喜ぶと思ってな」

「だからって」

 青年は弱々しく反駁した。そして、きまりが悪そうな顔をしながら

「そういえば言ってなかったですね。ここら辺の風というのは、吹いた場所の景色とか温度を、生き物みたいに知覚できるんです。」


 一説によると、ひとつひとつの風に精霊が宿っているとか、と青年は加えた。たしかに他では感じないような空気感がこの町にはあった。遠くの山の色の濃さや、声の通りが緻密なような。

「じじいの作る風鈴はちょっと特殊で、そういう風を封じ込めてしまえるんです。不思議な話ですけど」


 青年はぼくの風鈴を持ち上げ、片手で煽って風を送った。澄んだ音が鳴った。外で鳴らしたときよりも高く感じた。


「それで、ある種の感性に秀でた人はガラス面にさわると風鈴の蓄えた記録がわかるんです。飾られていた場所の様子が、淡い水彩画みたいな映像で伝わってきて。もしかしたらお兄さんも……手元のを触ってみたらどうですか」


 ぼくは半信半疑で触ってみた。しかし指で優しくこすっても、なにも感じない。ぼくは申し訳なさそうな顔をした。すると向こうも同じ顔をする。


「それではぼくが触ってみますね」青年は深呼吸をし、透いた曲線に指を当てると「……えっと、自転車と涼しくて強い風」


 青年は旅情に思いを馳せるような顔で深呼吸したが、ふと怪訝そうに目を細め「いちご味のかき氷? それと、にぎやかな食堂と、焼き魚定食」


「あ、えっと」風鈴に息をかけたのを思い出した。「あ、はい。すみません。今日ぼくが食べたものだと思います」


 青年はぼくの謝罪には触れず「こうやって、町の至る所に風鈴を置いているんです。となり町の音頭のにぎわいとか、終着駅のせわしない足音とか、いろいろ語ってくれます。ときどき夜道で、人でも動物でもないやつが通りがかったりして、ドキドキしたりもしますね」と語った。

 聞き入りながら、ちょっと怖いなと思った。


「じじい的には、風鈴から地域の来歴を知るのが、ボケ防止に繋がるらしくて。気づけばこんなに増えてました。だよな、じじい」と青年は白タオルで老人の汗を拭く。「……ちなみにぼくは、どれがどれか分かるように、ガラスに絵を描くんです」


 言われてみれば身近な手作り感がうかがえる。部屋の隅には絵具セットが並んでいる。パレットには、頑固な汚れが層をつくっている。この汚れが技量を培ったのだろう。感心していると、台所から床の軋みが聞こえた。


 老人が冷蔵庫のそばにいる。扉を開けて冷凍室をあさり、なにかの袋を取り出している。そして食器を携えて居間に戻ってくる。いちご味のかき氷だった。切り口はハサミで切られ、フルーツを食べるのにピッタリそうな皿に注がれる。


「どうぞ」と老人がちゃぶ台に置く。「たくさん歩かせようとして申し訳ない」

「いえいえ」

 ぼくは頭を下げた。スーパーの氷にうんざりしたのを思い出したが、気持ちが安らいでいるからか、他人の記憶みたいにどうでもよくなった。


 ぼくは、いただきますと手を合わせ、躊躇せず長いスプーンですくった。労働のあとの甘さは、きりりと応えた。テレビのなかで、バラエティー番組の司会が大仰なトークをする。老人は満足そうにうなずく。ぼくはシロップと混ざったをすくうと、「ごちそうさまでした」と手を合わせた。


 それからは、仕事のことを忘れ雑談に興じた。ここから近い干潟には、カエルのように泥をはねる魚がいる、ここらは全国で二番目に玉ねぎがとれる。そんなとりとめのない話だ。卓上のせんべいも振る舞ってもらい、ときどき鳴る柱時計の音に耳を傾けて談笑した。


 ずっと涼んでいたいなと思ったが、腐っても仕事なのでそうはいかず、もろもろの手続きを終えると、ぼくはその家を出た。ふたりは見送ってくれた。セミの声がやかましく、庭先の緑に目を細めた。


「お仕事ごくろうさまです」

「いえいえ、こちらこそ。まさか、上がらせてもらって、かき氷まで振る舞ってもらえるとは」

 めっそうもない、と青年は続ける。

「ところで、せっかく縁ができましたし、どうかこれを」


 青年は懐から小さな紙包みを出して、ぼくにそれを手渡してきた。そして、さあさあと開けてくださいと促した。ぼくはそれを手のうえで丁重にほどいた。クラゲのように透き通った風鈴が、造花に似た包み紙へときらめいた。


「いいんですか」

「はい」と青年。老人はなにも言わないながらも満足気な顔をしている。「ぜひともたくさんの風をよこしてください。色んなことを学びますので」

「ありがとうございます」


 雲の欠片のような涼しい鳥が飛んでいた。広い平野に入道雲が佇んでいた。ちょうど近くに別な駅があり、もうすぐ帰りの列車がきそうだったので、いいところで話を切り上げて別れた。夏だった。

 とてもきめ細やかなガラスで、摩擦を忘れて指先が泳ぎそうだった。


 それからしばらくして、風鈴は事務室のよく使うデスクのそばにかけた。うちわ代わりの厚紙でぱたぱたと涼をとると、いっしょに揺れる。ドアを閉めると、ちりんと囁く。稲穂が刈られる時期になっても吊るしていた。ある日、上役が「触っていいか」と尋ねてきた。ぼくは快諾した。ガラスは指でなぞられ、上役は満足そうな顔をした。

 昇給の知らせがあったのは、それから間もない日のことだった。

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夏風に教わる 杉浦ささみ @SugiuraSasami

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