第20話 悪魔の涙4
彼女は悪魔だ。
ヒトに化け、その社会で生活している。
悪魔はひとけのない倉庫にいる。
全てが運び出された、がらんとした広い空間に独りだ。
やがて、彼女をここに招いた男が姿を現わした。
相手は、二十メートルほどの距離に立ち止まる。
「黒木、だっけ?」
「忘れるなよ」そう言って男は笑って見せた。
黒づくめの彼は、以前悪魔同士のゲームが行われたパーティ会場で出会った、元ボクサーだ。おそらく過去に何かがあったのだろう、彼はよく笑顔を見せるが、すべてが作りものだった。今も目の前で、真っ白な義歯を見せて顔を歪めている。
「なんでワタシを呼んだの?」
「悪魔の涙。あのダイヤには懸賞金がかかっている。お前が何かを知っていると、赤田からメールがきたよ。白井の身に何が起こったのか、それもお前が握っていると」
彼女は思わず周囲を見渡した。赤田がこの状況を、どこかから見ているようが気がする。あの赤い男の意図は不明だ。彼女にヒトを殺させようとでもしているのだろうか。
「何も言うつもりはないよ」彼女は言った。
黒木の顔から笑顔が消える。「俺はまあ、どっちでもいいんだが」
男は腰を落として戦う姿勢を見せた。悪魔の視覚は鋭い。相手の身体を包む服が、防刃繊維の戦闘服であることは分かっていた。歩き方などを見る限り、かなり戦えるように思えた。
「最初からそのつもりだったくせに」
黒木の放ってきた前蹴りを、彼女は抱き込むように捕まえようとする。
敵はそれを察知したようだ。目の前から瞬時に足は消える。
ややつんのめった彼女の顔へ、再攻撃のつま先が迫った。彼女は上体を急激に反らして、難なくかわす。そして目の前を伸び上がる相手の足首を掴んだ。
彼女はそのまま黒木を転倒させようとした。しかし手の中の足は回転して振りほどかれる。敵は腰から回転して宙を舞い、こちらから距離を取った。
二人はまた対峙する。
「あなた戦えるじゃない。なんでこんなツマラナイ仕事しているの?」
「戦えても、金にならねーし。まーモテないんだな、コレが。
……お前、やっぱり人間じゃないな。何なんだ?」
彼女は天井を見上げて舌を出した。腹に力を入れて横隔膜を上下させる。
喉の中を固い物がせり上がって来て、やがて舌の上に転がり出た。それを相手に見せた後、また口に含む。
「悪魔の涙はここにある。最初から偽物だったけどね」
彼女が言葉を発するたび、偽のダイヤが歯に当たり高い音を立てた。
「……白井のことは?」 黒木はダイヤを気にかけてはいないようだ。
「それは言えないよ」
彼女は相手の動きから目を離していない。会話を続けながら、密かに黒木が武器を手にしたのに気付いていた。おそらくナイフだろう。それを逆手に持ち、隠している。
彼女は戦いの興奮に飲まれそうになっていた。今悪魔は、心から笑っている。
黒木はじりじりと後退して距離を開けている。おそらく武器はナイフだけではない。それを囮にして、本命が拳銃というのは十分に考えられた。相手の有利な距離になるまで黙って見ている義理はない。彼女は足に力を込め、予備動作なしに相手へ向けて急発進する。
彼我十五メートルからのスタートだった。空中を黒いモノが飛んできた。脅威を感じなかった彼女は、眉間をめがけて飛んでくるそれを、顔をずらして右頬で受ける。突き立ったモノの感触で、それがナイフだと分かった。彼女は構わず進む。
後十メートル。黒木は拳銃を取り出し、こちらに向けた。彼女は唇をすぼめる。銃口から弾丸が発射されるのを見て、悪魔の涙をそれに向け吹き放つ。
空中で二つのモノは衝突し、偽物のダイヤが四散する。きらめく悪魔の涙の破片の中に、彼女は弾丸の先端を見付けた。失速気味に飛んでくるそれを、彼女は舌先で舐め上げ口に放り込んで飲み下す。弾け飛ぶ石ころの只中を潜った彼女は、顔中に灼けるような痛みを感じている。残り二メートル。
黒木は身を翻して逃げようとしていた。
悪魔は跳んで相手の頭上を飛び越えた。逆さまに落下しながら、敵の胴体に正面から抱きつく。
急所に頭突きを見舞うと、戦闘服の身体は仰向けに転倒した。
彼女は敵の腹を引き裂こうと馬乗りになる。
「なんだ。バケモンじゃねえか……。ツマンネー」
後ろから聞こえた不満の声に、悪魔は我に返った。
彼女は身を起こすと、離れて黒い身体を見下ろした。
「ダイヤはあの通り。あなたが残骸を持って帰れば、この件は終わりじゃない?」
「そうなるな。……だから逃げようとしたんだが」黒木は寝転んだまま、他人事のように平静な声を出す。
しばらく、二人の間に沈黙が流れた。
「白井もお前みたいな、ヒトじゃないものになっていたのか?」
「言わない」悪魔同士の秘密をヒトには漏らせない。
しかし、彼女の言葉は肯定も同じだった。
「……いい女だったんだけどなぁ」
黒木は反動をつけて立ち上がった。そして、彼女の顔をのぞき込んでくる。
「ひどい顔だな」そう言って笑う彼の顔は、やはり作りものだった。
彼女は、突き刺さった刃物を抜いて遠くへ投げた。顔に触れると、石の破片があちこちめり込んでひどい有様だった。鏡を見るのが怖いくらいだ。
「こんなに傷ついたの初めてだよ」
彼女は部屋で一人、顔に刺さる破片をピンセットで抜いていた。
悪魔は苦痛に強いが、痛みを感じないわけではない。彼女は、慎重にそれを一つ一つ取り除いていく。
おそらく黒木と会うことは二度とないだろう。彼は偽物のダイヤの破片を持ち帰り、報酬を貰えばそのままどこかへ消えると言った。彼の見せる感情は偽物だが、嘘は言わないと彼女は感じている。
全体の半分ほどを処理して、彼女は洗面器に転がる破片を一つ手に取った。
この石を奪ったのは、こうしてヒトの欲の中心に立てば、違う何かが見えると思ったからだ。結局、それは彼女を傷つけただけに終わった。
悪魔の治癒は早い。まだ顔には絆創膏が残るが、彼女は久し振りにゲーム実況を行うことにした。
「今日もハイパートリオやりまーす」
彼女が実況を始めると、いつになくコメントが流れていくのに気付いた。
「顔どうしたの?」「大丈夫?」「しばらく見ないから心配してたんだけど……」「何かあったの?」
彼女は鏡を見た。絆創膏に血が滲んでいる。ヒトには刺激が強すぎたのだろう。それに、配信へ血を流すのはまずいことだった。
「あー、たいしたことないから。もうだいじょうぶ」
と言って、彼女は傷を触ってみせる。
「アッ……、イッタァ……」
頬のナイフの傷は深く、まだ奥に痛みが残っている。彼女はとっさに触る場所を間違えてしまった。
その途端、コメントが読めないほどの勢いで流れ始めた。
「泣いちゃってるじゃん」「かわいそう」「DVとかじゃないよね?」「むりしなくていいよ」
悪魔は自分の頬に触れた。たしかに彼女は涙を流していた。これは、痛みからくる生理反応にすぎない。
しかし、ヒトには彼女が泣いているように見えたようだ。
彼女は、赤田の「そう見えるのがすべて」という言葉の意味を体感した。
血は生き物を瞬時に怒りに駆り立てる。涙は、ヒトを優しくする。
やはりヒトは、本質よりイメージを好む生き物だ。だから救われるのだろう。
彼女は悪魔だ ナキヒコ @Nakihiko
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