第19話 エネルギー

 彼女は悪魔だ。

 人に化け、人間社会で生活している。


 今日はエレベーターに乗っている。

 閉じ込められているのだ。

 箱が止まり二十分。いまだに復旧しない。


「あなた就活生?」

 悪魔が声をかけると、若い女はスマホから顔を上げて微笑んだ。

「うん、そう。……だめだ、やっぱり電波届かないね」

 その女は、上から下まで、一目で分かる紺色のリクルートファッションだった。

 手には大量の書類を持ち、大きなバッグを肩に掛けている。足には落ち着いた色の低いヒールを履く。

 悪魔は、ヒトの職の選び方に興味があった。ストレートに聞く。

「したい仕事なの? 夢とか?」

 紺色の女は顔を上げ、少し考えてから口を開いた。

「違うと思う。でも人生は掴んでみないと感触が分からない。まずはそこから」

「計画性は持っておいたほうがいいぜ。俺みたいに人生寄り道中になっちまう」

 箱の隅から鋭い声が飛んで来た。放ったのは、赤いバンダナを巻いた若い男だ。

「それには同意だが。正しい計画が必要だと補足しておこう。

 僕のように、成功したければね」

 赤の反対側に、メガネをかけた身なりのいい若い男がいる。

 彼の顔の下半分は青髭に覆われていた。髭が伸びるのが早い体質なのだろう。

 紺色の就活生、冷笑主義の赤い男、金持ちの青髭。この三人の若者と悪魔が、エレベーターの中にいる。


 青髭が高価そうな腕時計を覗き、「なかなか復旧しないな」と呟いた。

 就活生もスマートウォッチを気にしている。

「時間大丈夫?」

 悪魔は、どちらかというと、スマートウォッチに興味があった。

「うん……。まだ大丈夫、かな」

「まあ、今日は縁がなかったと諦めたら?」

 赤いバンダナが口笛混じりに放言した。紺の女は眉根を寄せて振り返る。

 聴覚の鋭い悪魔は、微かに歯軋りの音を聞いた。

「私はひとつも諦めない。全部掴んで引っ張らないと、向こうに誰がいるか分からないじゃない」

 拘束が長くなり、ヒトどもはピリピリし始めている。

 悪魔はほくそ笑んだ。この場では、多くの七つの大罪が見られるだろう。ひとまず憤怒を頂いた。

 青髭が顎をさすりながら薄ら笑いを浮かべている。

「その子の言っていることは概ね正しい。ただ掴んでからが勝負さ。より良いものを選んで乗り換える。それを躊躇うな」

「なんだ、わらしべ長者みてーな話だな」赤バンダナ低い声で言った。

「否定はせんよ。君も転売、株、先物、なんでもいいからやってみたまえ? 今の時代、金がないとは言わせんぞ」

 赤い男は肩をすくめて見せた。

「先物なんて、食ったもんがいつの間にか腹の中で石になりかねねぇ。

 自分でコントロールできない賭け事はゴメンだね。俺は、まぁ、ホドホドでいいのさ」と言って赤はスマホをいじる。

「真剣に己を救いたいと思わない奴は、結局自分自身への責任を投げている。自己無責任だよ。言ってもわからんか」

「あんたこそ、死んだら地獄行きだ。その腕時計一個で、ラクダを何頭買える?」

 会話はそこで止まり、二人の男は拳を握った。

 この先は血を流して決着をつけるのだろう。悪魔は心の中でせせら笑った。

 強欲の周辺には、滑稽もシリアスもよりどりみどりで負の感情が渦巻く。

「お金はさ」狭い箱の中に就活生の声が通った。

 女は、全員の顔を見渡して背筋を伸ばす。

「誰でも知ってることだけど、結局手段だよ。死ぬ時に『ああよかった』って言うための小道具の一つ」

 今にも殴り合おうとしていた男たちは、不機嫌な顔を反らし合った。


 まだ、エレベーターは復旧しない。遭難からすでに四十分が経過している。

 紺の女はずっと資料を読んでいた。そして時折時計を気にしている。

 この就活生は成長に貪欲だ。どこまででも行けると、自分自身を見込んでいる。

 悪魔の彼女も、近頃自らの成長を快く感じていた。悪魔に自己愛はない。これは快楽だ。

 そしてそれが、長い命を燃やす目的になりつつある。悪魔がヒトを知れば、どういう生き物になるだろう。

 彼女は自ら見届けるつもりだ。

「腹減ったなぁー。俺、ここにメシ食いにきたんだよ。せっかく早く来たのに、もう並んでるだろうな」

 赤い男のぼやきに青髭が反応する。

「今ならお菓子の家でも食べ尽くせるか?」そう言って忍び笑いを漏らした。

「そんなデカイもんイラネーよ。どうせ食いきれねぇ。ホドホドでいいんだよ」

 バンダナの頭を下げて男はスマホを覗き、「あー、マジで電波こねーのイライラする」と嘆く声を上げた。

「私ならお菓子の家は、買い取って量産するな。食べないっていうのは君と同意見か」

 そう言って、青い男は就活生に顔を向けた。

「君ならどうする? 暇つぶしさ、学びにはなる」

 紺の女は開いていた資料を手早くまとめると、口を結び考え込んだ。この女は何事も考えてから口に出す。

「……うーん。私なら……中にどんな人が住んでいるか、まずは会うよ。それから、あとは流れで」

 おそらくこの女は、童話の内容を知らない。しかしそれが正解だった。

「あなたは?」

 紺のスーツの女は、いたずらっぽい笑みを浮かべる顔を、こちらに向けた。

「ワタシなら……」

 何かのアラームが鳴り始めた。

 就活生の腕時計からだ。女は表情を消してうつむき、警告音を止めた。

 そして、その全身が震え始める。

 就活生は、何かを呟きながら顔を上げた。鬼のように赤い顔だった。女は叫ぶ。

「時間マニアワネーだろうがぁ!! くそボケがー!」

 絶叫を放ち、紺のスーツがエレベーターのドアに体当たりする。

「フザケンナ!! こんなもんで人生狂わされてたまるか! これは私のものだ!」

 激昂しながら、女はドア蹴り、殴る。男たちは唖然としてそれを見守った。

 そこで、突然ドアが開いた。開いた先のすぐ側に、黄色いヘルメットを被る作業員が突っ立っている。

 就活生はちょうど回し蹴りを放ったところだった。蹴りは空振りに終わったが、靴が脱げて前に飛ぶ。

 それは作業員のヘルメットにクリーンヒットして、乾いた音を廊下に響かせた。

 就活生は荷物を持つと、箱の中に立つ三人を振り返る。

「じゃあね!」

 紺のスーツは、敬礼と笑顔を残し、片方の靴が脱げたまま風のように走り去った。

 その場に残ったヒト達はやがて、「ああ、昼だよ」「十二時だ」「メシをくおう」と口々に言い、立ち去った。

 悪魔は、そこに残る片方だけの靴を見ていた。

 あの女は人生を掴む。そして、王子を必要としない。


 彼女は、飲食店を冷やかしながら街を歩いている。

 少し今日は、贅沢をしたい気分だった。

 あの箱の中で、暴食の罪を刺激されたからだ。

「お菓子の家は、全部食べる」

 それが悪魔だ。

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