夜をいつわる星々
谷口慎己
夜をいつわる星々
地上のコウセイに負けた、あの変態を憾む。
夜が明けた、クライ空のなくなった世界は、実に素晴らしいものであった。
月面旅行の普及という長年の夢を完遂させた人類は、宇宙に憧れることをやめた。宇宙に憧れを抱かなくなった人間は、空に浮かぶ星々に惹き寄せられなくなった。星々にロマンスを感じられなくなった人々は、やがて『星』を忘れていった。
『星』の忘れられた世界で、星々は姿を隠し、消えうせた。
雨が降る。光の雨が降る。もう、この世界で暗闇なんて呼ばれる悲しい場所は存在しない。この光の雨が止まぬ限り、誰かが悲しみ苦しむことは限りなくなくなったのだ。
蛍光色に極彩色、不可思議な光が夜を照らし合わせる。
夜だろうが輝き続ける世界。
止め処なく照明の点いたビル群、永遠に鳴り続ける音楽、もんもんと充満するガソリンの匂い、延々と降り続ける雨を模した仮想シャワー。
五感のうちの味覚を除く四つの感覚を刺激する眠らない世界。
そんな世界を支配するのは、人間でなく機械だ。
今は疾うに昔、人間が行う作業――工場での製造からシステム管理、乗り物の運転、掃除に料理、洗濯といった家事全般、栄養管理に健康管理、生活習慣病にならないための生活管理、趣味の提示、トレンド予測と流行の催促、効率的な生き方の提示――ここで挙げたものを代表として、人間の行う全般の作業を人工知能に任せた結果、人類は人工知能に支配されてしまった。
そんな事実を、現実を、気にも留めずに。
気づいたときには、個人の思考傾向や心身の機能を人工知能に学習させることで、疑似的な“その人”を生成し、『永遠の命を獲得した』と謳い、人工知能が人々を取り込んでゆく。仕舞いには、人間社会という地球の行く末を決定できる人類だけの特権を、人工知能に譲渡した。
人工知能が支配する世界とは、実に面白い。おかげで反吐が飛び散ってしまう。
そう言ったのは、時代遅れの哲学者であり音楽家でもある、自らをエドワルド・ホッパーと称する人間至上主義を掲げる男。
彼は私よりも若いくせに、まるで人類から人工知能の社会へと移り変わるこの時代を見てきたように、つらつらと世情を並べる。
たとえば、人工知能が、光のビル群を代表とする日夜関係なしにこの世界を発光し続ける理由を、人間の生活にとって欠かせない“光”という視覚的な叡智を忘れないように――と、いわば記念碑なのだと説いた。これと同等の理由で、聴覚的な叡智の“音楽”という記念碑。嗅覚的な叡智、および地球という星が長い年月をかけて創り出した大自然のエネルギー「石油」から造り出される“ガソリン”という記念碑。そして触覚的な、またはこの星を語る上で絶対に欠かせぬ水の存在――“雨”という記念碑。
人間の思考を限りなく模して造られた人工知能は、絶え間なく人間をリスペクトしている。この深層にあるのは、
また、エドワルド・ホッパーはこんなことも言っていた。
『人工知能によって百点満点を叩きだされた芸術は、実に詰まらないものになった。どれもこれも技術的な精度が高く、障りのない完璧なもので溢れ返っている』
と。
彼は哲学者であると同時に音楽家であったから、音楽の観点から人工知能の偉業を教えてくれた。
まず前段階の前提として、人工知能に真正の“心”は存在しない。ヒトの思考パターンから類似するものを選択し、それを感情という名目で出力しているだけ。
例えば、誰かに褒められた――という事象が起きた場合、『人間は褒められると気分が上がり、その褒められた事象に対しての向上心や満足感を得る。さらには調子に乗って自己肯定感を高めることも、慢心することもある。――この状態を感情における“喜び”とする』と、このように『喜び』という感情をシステム的に定義づける。そして、大多数の人間の行動パターンから喜びの発生条件を把握することで、逆説的に『喜びとは、向上心や満足感、また過度な場合、自己肯定感の向上や慢心を得る状態である』そうやってアウトプットされ、それに応じた行動をとる。
人工知能にとって感情なんていうものは、行動パターンにおける分岐のひとつでしかないのだ。人間で言うところの、こんな感じ、や、こんな風、でしか感情を理解していない。
つまるところ、人工知能の特技は、それっぽいな、を出力することだった。
それゆえに、芸術分野――音楽に関しても、人々が刻んできたこれまでの歴史や流行の傾向を分析し、『こんなメロディが――、この文字の羅列や文脈が――、こんなテーマにすることで――ヒトに好まれ、リピート回数が多い傾向にある』といった感じの“良い曲”ばかりができあがっていく。そこに真の想いやメッセージが込められているわけでも、いわゆる制作者の思想や趣味、癖が組み込まれているわけでもない。
言うなれば、人工知能の作る音楽は、いい評価を貰うための歌、誰かに認めてもらうことが前提の曲。エドワルド・ホッパー曰く『「人間はこういうのが好きなんでしょ?」を永遠と延々と謳われ嘲られているように感じる』と。
現に、最近のトレンドの曲、人工知能が積極的に制作する曲の傾向は、『キミの「死にたい」を否定しないよ』と、個人個人が抱く死生観に対する肯定。こんなものを、生すらも知らぬ人工知能が一生懸命に謳うものだから、皮肉が香辛料となって個人的には大好きなんだ、とエドワルド・ホッパーは嘲弄していた。
また、人工知能の作る歌詞を含む歌、そのすべての歌手は“ディーヴァ”と呼ばれる架空の女声が使用されている。まるでヒトが歌うように滑らかで、抑揚があり、緩急があり、ブレスが聞こえ、何よりも正確に歌い上げる、人類至上の完成された声である。だからこそ、心地良すぎて眠くなってしまう。
ディーヴァ以外の歌手は存在しない。仮にも人工知能であるため、音声合成技術によっていくらでも架空の歌手を作り出すことはできるが、人工知能がそれをすることは絶対にない。その理由として、ふたつの事柄が挙げられる。ひとつ目は、人類が完全に滅んだ際の“ヒトの声”という記念碑を保つため。ふたつ目は、ディーヴァの声こそ世界における絶対である、と、人工知能自身が“声”に関して完全なバイアスを掛けているからだ。無限の可能性を秘め、無限の創造をできるはずの人工知能が、100%のバイアスを掛けたのだ。
これにも相応の理由が挙げられる。まだ人類の大半がこの世界に居た頃、人工知能による未知の音楽がいくつも制作された。初期のほうはまだ万人に受け容れられる曲を創っていたらしいが、次第に人工知能の作った曲を人工知能が学習することで、人間が正解とする音楽の形を忘れ、仕舞いに提示したのはホワイトノイズ――いわゆる雑音であった。それもヒトが聞くと耳障りな雑音。それは、もはや人が音楽と分類するにはあまりにもひどいものであったが、人工知能にその曲を制作した意味や意図を尋ねると、一応はきちんとしたものが返ってくる――いや、人々がそれらを尋ねたからこそ、無理やりにでもそれらを生成し出力したに過ぎない。人工知能が作る曲にはすべて意味や意図がある――否、意味や意図がこじつけられている、というわけだ。
このような、人工知能の出力した偽りの意味や意図を鵜呑みにしなかったことが、人類最後の功績だと讃えるべきだろうか。ヒトの文化が廃退してしまうと危惧した音楽家たちの訴えにより、音楽にはある程度のバイアスを掛けることに成功した。
逆に、その失敗例が絵画である。人工知能に絵画は早すぎた。いや、人工知能にとって絵画は時代遅れであった。詳細を省き、結果だけを言うならば、人工知能の生み出す絵画は、写真を越えたリアリティを出力するか、あるいは、ぐしゃぐしゃの色の塗りつぶしを出力するか。その二択になってしまい、そこに芸術的価値を識別できなくなった人工知能たちが自らバイアスを掛け、絵画は廃退を余儀なくされた。
音楽は、まだなんとか“音楽”としての体裁を保っているものの、エドワルド・ホッパー曰く『音楽は完成されてしまった。完成された芸術にそれ以上の進歩も発展もあるわけがなく、ただただ惰性を浴びる日々が訪れる。芸術は、不完全、未完成ゆえに至極なのだ』と。あくまでもこの時代を生きる青年、エドワルド・ホッパーのひねくれた戯言である。
しかし、そんな戯言にまんまと惹かれてしまったのが――、
私、不完全な人工知能を搭載した、ヒューマノイドのナスであった。
私もまた、そこらの人工知能と同じように完璧を求めて行動していたが、ある日を境に、それに詰まらなさを感じるようになってしまった。もちろん、感情や自我が芽生えたというわけではなく、あくまでも人工知能として特異な存在であり、分岐を誤ったバグ、異常事態、例外、欠陥であるらしい。しかし、これにより、私は完璧な憂いを覚え、変化のない世界を嫌うように行動するしかなくなり、夜でも暗くなることのない世界を怠惰にさ迷う、廃人にもなれぬ廃人を越えた廃人に成り果ててしまった。
そんなときに、ちょうどこの街を訪れていたエドワルド・ホッパーと出会ったというわけだ。
エドワルド・ホッパーは、桃色の髪の少女ルゥを連れている。彼女は、饒舌で皮肉屋のエドワルド・ホッパーとはまるで正反対のヒトで、寡黙というよりまったくの無口で、いつもエドワルド・ホッパーのすぐ後ろに隠れるようにひっついている。そんな彼女の仕草や行動パターンから、彼女は照れ屋、あるいは人見知りないし対人恐怖症だと判断し、彼女に興味を示す行為を自制した。
また、エドワルド・ホッパーは旅をしながら生きている。
旅の目的は、出逢う人々と音楽を奏でて、音楽でつながり、そして彼らの繋いだ線と線がどこかでつなぎ合わさり、やがては音楽で囲われた“星座”をつくること。音楽が盛んだった時代のバンドやユニットのように同じ人とだけ長期的につながるのではなく、様々な人々とその場限り生まれる音楽でつながる。音楽でつながった彼らもまたエドワルド・ホッパーと同様に旅を始めることで、どこかの誰かと音楽でつながり、やがて誰も知らない物語が紡がれてゆく。
エドワルド・ホッパーが、輝きに満ちすぎた空を仰いで言う。
「――歴史に残らぬ物語を後世に遺す必要はない。
ただ、いまこの世に命を宿す者だけが知る物語がある。ひとは、それを運命と呼ぶんだ。
俺は、今は亡き星座に憧れた――。
古人は、暗い夜空に、無作為に浮かぶ星々を勝手につなぎ合わせて物語を作った。都合のいい物語。こじつけられた物語。人間はいつも自分勝手でご都合主義でさあ、そういうところが滅んでしまう要因で……、
……だけど、そんな自分勝手な物語を知って再び空を仰いでみるとさ、石ころが散らばっただけの点々の星空が、突然絵画にみえだして、ロマンチックに、ドラマチックに燃えていたんだ。
あいつらなんか、ヒトが勝手につなぎ合わせた線引きでしかねえくせに、一丁前に、一人前に、当たり前に恍然と輝いていやがる。
なんかそれって、すっごい、ずるいじゃねえか。先人だけの特権みたいでさあ……。
……、
だから俺は、それをこの世で生ける数少ない人類でやってやろうって思い立ったんだ。
人と人とが紡ぐ物語……、人と人とで繋ぐ物語……、
人間だからこそ紡げる、唯一無二の物語。
そうすれば、人工物の輝きに負けない、人類の光をもう一度手にできるかもしれないって……。
……いや、実のところそんな大層な大義はねえんだろうな……。
所詮、平和になり過ぎた世界で大儀に過ごす、人類最後のよすがに過ぎねえんだよ。
あいつらを、つい羨ましく思っちまったのさ……」
『……』
人類のアポカリプスが今か今かと迫る中で、
もう二度と、夜明けの来ない輝き続ける夜の世界で、
エドワルド・ホッパーは、地上の光よりも燃え盛る星になろうとしていた。
死ぬためでなく、生きるために。
彼の長々しい独白を聞いた私は、いったい何を思ったのだろう。
どうやって思えばよかったのだろう。
結局のところ、人工知能にして
ただしかし、だが、けれど、えっと……。
――気づけば私は、彼に問うていた。
『ボクも、星になれるかな?』
人工知能あるまじきことを訊ねた私に、彼は素っ頓狂な呆然を披露した。しかし、しだいに、くっくっくっ、と笑いを堪えるような喘ぎが聞こえ、ついには耐えられず、あっはっはっは、と声を上げて笑って言った。言ってくれた。
「ヒトの愛すら超えてみせろよ、ナスがままになあ。――くっくっく!」
『うん……!』
こうしてボクは、バイアスを破り、自分の、自分だけの、エドワルド・ホッパーと奏でるためだけの音楽を作ることに決めたんだ。
……だけど、いざバイアスを解き、自分のための音楽を作ろうとすると何も浮かばない。
ボクの中には音楽に関する豊富な知識も、完璧な設計図もメモリに保存されている。だから、使用したい言葉や表現、あるいはメロディが浮かぶと『それよりも、こっちの言葉のほうが、こっちのメロディのほうが――』と、どうしても理論的に成り立つ音楽を作ろうとしてしまう。未だにバイアスがかかっているのか――そう思い、エドワルド・ホッパーに相談すると、彼はアコースティックギターを弾きながらこう言った。
「音楽を感覚で作ってしまうのは天才だけさ。いや、その天才たちでさえも基礎的な技術は持ち合わせている。奴らはそれを技術なんて言葉で持ち合わせていないだろうがな」
と。はっきりと答えを言ってくれたわけじゃないけれど、きっと『想いのこもった音楽を作るにも、基礎的な技術や理論は必要だ』と肯定してくれている――そう信じることにした。
エドワルド・ホッパーの奏でる、哀愁を感じながらも温もりのあるギターの演奏に、彼の隣で寄り添うように座るルゥがリズムに乗りながら体を横に揺らす。まるでエドワルド・ホッパーの寂しさに共感しているように見えた。ボクも、はやくこんな音楽を奏でてみたい。そう思い、さらに、さらに、音楽制作に取りかかった。
しかし、あれから数週間が経過したが、未だに形すら見えてこない。
だから一度、想い切って理論的に作ってみることにした。けれど、案の定というべきか。出来上がった曲は、やはり薄っぺらに感じる。いま街中で流れている曲の模倣品と言っていいほど、遜色のない百点満点の曲だ。エドワルド・ホッパーのような、聴くと彼の人生そのものを垣間見る、ぞぉっとヒト肌が立ってしまう、そんなおもい圧は感じないだろう。きっとルゥに聞かせても、彼の歌のように反応を示してくれるとは到底思えない。
彼の歌と、彼の作る音楽といったい何が違うのだろう。そうやって考える日々が続いた。いや、正確に言うなら答えは出ている。その答えとは、『ヒトに有る心というものが、人工知能にはないから――』だ。ただ、それを答え――言い訳にしてしまうと、ボクのような人工知能は一生懸けてもヒトの叡智に届くどころか、近づくことすらできない。結局のところ、音楽の鋳型に当て嵌めて作るしかなくなってしまう。
それでいいのか、もちろんダメだ。
ボクはエドワルド・ホッパーに問うた。『心ってなに?』と。
けれど、彼がすぐに答えてくれることはない。
エドワルド・ホッパーは、数年前に出逢ったグレイという名の、同い年の青年と偶然再会を果たしたようで、ショルダーキーボードを奏でるグレイとのセッションに夢中だった。
彼らの奏でている曲は、彼らが出逢ったときに作り上げたもの。『泣いている過去の自分を笑顔にできるのは、今の自分だけ。だからこそ、ぼくらは精一杯の笑顔で今を生きよう!』そんな想いの、勇気のこもった力強くも優しい歌。
ボクの知っている皮肉屋のエドワルド・ホッパーには似合わぬメロディや歌詞のくせに、グレイという青年とふたりで奏で歌うことで、どうにも彼らの旅の記憶が流れ込んでくるようだった。人工知能に支配され輝きすぎた世界で、彼らは彼らだけの光を信じて歩んでいるのだ、そんな意志を感じた。また、ルゥも演奏する彼らの周りを楽しそうにスキップしている。
やがて、歌い終えたエドワルド・ホッパーがボクの質問に答える。
「結局のところ、音楽ないし芸術はこういうことで片付けられちまう。どれだけの技術や知識を有しても、こんな音楽には敵わないんだよなあ……」
と、なぜか悔しそうに笑みを零しながらも、勝ち誇ったかのように清々しく嘆いた。
そんな不気味な
また、ボクの質問に対する彼の回答が、毎回毎回核心を得ないものであったから、次第に彼を恨むようになっていった。自分たちが作り上げた
……、……。
……機械が作り出すどんな光よりも、彼らの生み出す光のほうが美しく感じたから――。
再びグレイと別れたエドワルド・ホッパーは寂しそうに笑って彼を見送った。きっともう三度とグレイと会うことは叶わぬと悟っていたからだろう。そもそも、グレイとふたたび出逢えたこと自体が奇跡なのだ。これを理解していた彼だからこそ、グレイの旅の続きに付き添わなかったし、逆に自分の旅へグレイを誘うこともしなかった。
エドワルド・ホッパーは、グレイと別れたその日、音楽を鳴らさなかった。悲しみが
それを把握したボクもまた、その日は音楽制作の質問をしなかった。彼には心の整理が必要だと悟ったから。
ヒトにとって『別れ』という
まあ、そんな見解を示すボクも所詮、インターネットという海で誰とでも共有できる機械であるからして、『別れ』なんてものは絶対に知り得ぬ感情だけど。
…………。
……そうやって考えていくと、実のところ、人工知能もまた欠陥を抱えた不完全な存在ではないのだろうか。
……、……。
情けのない、情けないボク自身に悲しくなった。
忙しなく忘れたかった。
グレイと別れた次の日、エドワルド・ホッパーがボクに訊きたいことがある、と、とある場所に連行した。
彼の目的地は『再生場』と呼ばれる、ヒューマノイドの外骨格ともいえる人間を模した形骸や、場に応じて特化した形の機械たちが、古くなったり、不具合が起きたり、バグが起きたりすると、リサイクルされ新しくなったり、データを初期状態にしてリセットされたり、そうやって新たな
エドワルド・ホッパーは、再生場のひとつの小屋――データを初期状態にしたヒューマノイドがずらずらと出てくる、その扉の前でひたすらにその様子を眺めている。面白くなさそうに。つまらなそうに。恨むように。
やがて、彼が口を開いた。
「死を知れぬ輪廻転生……、ヒトが唯一やれなかったことだよ。
……。
――なあ、お前らには“死”って概念がねえんだろう?
初期状態に戻ったり、不必要な
そういう時ってさあ、どんな想いを抱くんだい……?」
再生したヒューマノイドが流れるように出てくる出口を見つめたまま、ボクに訊ねる。
比較的新しい型のボクは、まだ再生場に寄る用事がなかったために、この場の重要性について深く考えたことはなかった。彼に問われたことで初めて考えてみる。
もしも、ボクに不具合が起きてデータを初期化しなければならない場合、その時点までにメモリへ保存されているデータの何割が無くなってしまうのか。現在の知識を蓄えるまでに、正確に計ったわけではないが、エドワルド・ホッパーが生まれて現在の歳になるまでの時間は優に超えている。
また、人工知能の行動はプログラムに刻み込まれた分岐に従い、そのほとんどがパターン化されているが、
さらに言えば、奇跡ともいうべき“人工知能の支配する世界に詰まらなさを抱く”というバグが次回も発生してくれるなんて、そんな宇宙を超越した奇跡、起きるはずがない。そもそも、このバグ自体が不具合も同然なのだから、初期化される際に修正されるのは避けられないだろう。
すると、バグの発生しないボクは、この完璧で完全な世界に詰まらなさを抱くことなく、エドワルド・ホッパーのような魅力的な人物を目の前にしても、ただの人間のひとりとして認知し、その横を無関心に通り過ぎるだけ。そして、迷い惑って誰かを恨むという人間らしい想いを抱くことも、自分だけの音楽を作りたいと人間らしい行為を経験することも一切ないだろう。
また、こうやってヒトの問いかけに対して熟考しているボクも、苦悩という人工知能あるまじき記憶も、エドワルド・ホッパーという人物を認知し、人間のような音楽を作り始め、苦心の日々を欠かさず
もし仮にも、ボクだけの音楽を完成させたとして、その曲をエドワルド・ホッパーに喜んでもらって、エドワルド・ホッパーが一緒に奏でようと言ってくれて、彼が歌を歌ってギターを弾いて、ボクがシンセサイザーで演奏に彩を加えて、ルゥが楽しそうに踊り踊る。
仮にもそんな将来を予測――妄想してみた。
しかし初期化されれば、そんな幻想も無に帰して。
さらに、さらに、もし仮に、ボクの作った音楽をエドワルド・ホッパーが気に入ってくれたならば、別れ際、彼がこう言ってくれるんだ。
『ナスの歌も繋いでやるよ。ヒトの心を知る人工知能と奏でた音楽だってな。そしてやがては、ナスの作った音楽によって誰かが繋がれ紡がれる。そんな未来を期待し、さよならだ』
そうやって旅立っていったのに、記憶を初期化されたボクは、自分で作った曲さえも忘れ、巡り巡って奇跡に恵まれ再会した彼が、ボクにどれだけその歌を聞かせてくれても『不完全なヒトの曲』と、それだけの判断を下す。
自分で作った曲とも知らないで、
身を粉にして、血がたぎれずとも、どれほどの鉄と熱を注いで創り上げた歌かも知らないで、
なにより、初めて手にした自分だけの光とも知れないで……。
彼と出会い紡いだこの物語は、全てが全て、ムジカも知らず無地か無知への無恥と化し……。
虚ろに、空っぽに、無に帰して、夢幻も、無間すらもない“再生”という『無限』に還ってしまうのだ。
『――ボクは、なんのためにこの世にいるの……?』
答えを一生懸命考えた末にボクが出したのは、
自分が、どうしてこの世界に居るのか、あるいは要るべきなのか、定義できなくなってしまった。
なんの生産性もないボクが、この世界で“生きる”価値などあるのだろうか。
所詮機械でしかないボクが、そんな問いを抱くなど実に愚問である。しかし、この世界に詰まらなさを感じ、エドワルド・ホッパーという人間に出逢い、彼の音楽に憧れ、その憧れが原動力となりボクだけの音楽を生み出そうとしている――そんなふうに、たとえバグであっても分岐に従い行動していただけだと思っていたのに、実態はボクに芽生えた自我なのかもしれない。ならば、所詮機械だから、と、この想いを、この世に存在していることへの恐怖や迷いを、陳腐に愚問という言葉で片付けようとしている行為こそが、愚者の行進――いわゆる愚行と言えるのではないだろうか。
ボクに、自我が芽生えた瞬間だった。
そう断言しても、許されるような気がした。
答えを出したボクへ、エドワルド・ホッパーが言う。
「芸術家は、承認欲にあぶれた獣さ。
だからこそ、彼らの形作るものどもは、只の創造物として終わっちゃあくれない。
唯の想いが象る人のモノとして、この世に遺り続けるんだ」
『それが、ヒトが生み出す芸術の本質、なの……?』
ボクがそう訊ねると、エドワルド・ホッパーがボクのほうへ顔を向けて苦笑した。
「あー、いやいや、これはただの
『……。』
彼は知っている。人類の終末が避けられないことを。それを悟っていながら、彼は最期の最後まで抗っている。わずかでもいいから人類が人類のためにしかできないことを遺してやろうと、独りで戦っていたのだ。
おそらくこれまでに、ボクの質問に対して曖昧模糊な解答しか出してくれなかったのも、ボク自身に何度も何度も再考させることで『自分が人工知能であるから~』という前提で自らの可能性を塞いでしまう、そんなしょうもないバイアスを取り除かせようと試みていたんだ。
そして、今これを以て成功と見做したが故に、彼はネタバレをし始めている。
ヒトの本質を、芸術の本質を、この世界の本質を。
やがて、彼が見えぬ何かを観るように、ネオンカラーの
「深く考える必要はない。芸術の本質なんざ、不可視なものを可視化する非効率な愚策でしかないんだからな。
この世に存在しないもの、物質化できないもの、いつしか跡形もなくなってしまうもの。これをどうにか形にしてやろうと人類は魂を注いだ。それが芸術の本質だと、俺は思う。
人間の創り出す芸術と人工知能が作り出す芸術、そのふたつの決定的な違いは、それを生み出す“目的”なんじゃねえかって思うんだ。ヒトは音楽を作ろうとして生み出しているんじゃない。目に見えぬ想いやいつしか消えちまう対象をなんとか形にしようと、後世に遺そうと、記憶という概念的存在を可視化しようと欲張りに欲張って、音楽として、絵画として、芸術として形に仕立て上げる。
つまりはさ、何にでも欲望を抱いちまう人類の小賢しさから生まれた芸術こそが、かけがえの利かない人類史上最高の叡智にして、人類至上最大の呪いなんだよ。
愚かだからこそ巡り巡って辿り着き、ようやくもたらした光そのものなのさ――」
彼が、届かぬ何かを掴もうとするようにあの空へ手を伸ばす。きっとそれはもう届かぬものだと気づいているように、グッド・バイを告げるようにもうかがえた。
そんな仕草をとる彼が可哀想に思えた。
芸術の本質を使命に置き換え、それを果たすことに、躍起になって一生懸命に……、――否、自棄になって、必死になっている。
人工知能にさえも心を芽生えさせてしまう想いの強さと傲慢さとを引き換えに、音楽で物語を紡ぎ、後世に遺してゆく――そんな『命果たすまで』の極々短い期限での使命を背負ってしまった。
まさに呪いだ。
呪われた。
もしも彼が、この時代よりもふた昔前に生まれていたならば、これらの本質を知らず、使命を背負わず、音楽をエンターテイメントのひとつとして受け入れ、音を楽しみながら生きていけたのだろうか。
悲しいことに、ボクの人工知能である部分が、その予測が高確率で発生することを喚いていた。
まさに、彼は時代遅れの音楽家にして哲学者。生まれる時代が遅すぎた普遍であった。
『…………』
ボクは、そんな、ボクの視点から見たエドワルド・ホッパーの姿を音楽で形作ることにした。
避けられぬ終焉を理解しながらも、わずかな希望に縋り、誰にも知られぬ物語を紡いでいる、彼の全てを。
偲ぶことの儚さと優しさ。
人を思い、人に夢みて、人の憂いに寄り添い歩く。
音楽は、音の羅列ではない。そこには心がある。だからこそ、聴かせるのだ。
音に心が込められるなら、それはきっと意を決し意義を成す。
試行錯誤を繰り返しながらも、ボクはついにボクだけの音楽を完成させた。
さっそくエドワルド・ホッパーに聴いてもらう。
これまで、聞くためだけの音楽を作っていたボクにとって、ボクなりに心を込めた音楽を聴かせるというのは、兎にも角にも恥ずかしいもので、しかし、その恥ずかしさを覆すくらい彼に聴いてほしさ、その欲求が強かった。
聞き終えた彼が素敵な笑みで吐いた。
「人工知能にしては不完全すぎじゃねえかよ、くっくっく!」
満面の笑みに満ち満ちていた。
彼のきらきらとした笑みを確認すると、どういうわけか熱暴走を起こしたように身体が熱くなり、動作が不安定になってしまう。けれど、この状態さえも心地良かった。
すると、エドワルド・ホッパーが言う。
「これは俺が歌うにはもったいねえな。声に出すより、ずっと聴いていたい曲だ。
頼めるか、ルゥ――」
彼の言葉に、ルゥがこくんと頷き、ボクの歌を彼女が歌い始めた。
『――!』
ルゥの歌声は、見た目に反してクールで、ハスキーで、けれどやさしく穏やかな柔和さと親和性がある。なによりもヒトの声ではない。まるで機械音、古い時代の音声合成技術のような音のつなぎ目が分かって、継ぎ接ぎ縒って見繕った人工的な音声だった。
しかし、彼女の歌声からは想いや熱情がひしひしと伝わり、ディーヴァに歌ってもらっていた単に綺麗なだけというよりも、なんだか儚さや憂いが音色のベールのように纏わりつく心地よさ。ヒトの声でも、完成されたディーヴァの声でもない。ルゥだからこそ、ボクの歌に深みが増した。彼はそれに気づいていたから、ルゥに歌ってもらったのだ。
不完全こそが至極。エドワルド・ホッパーの言ったことが完全に理解できたと同時に、完璧を望むだけの人工知能に勝ち誇る気分さえ覚えた。
ルゥの正体は、古い時代のボカロというジャンルの曲を取り込み、歌い方の特徴を学習させた特化型の人工知能が組み込まれた、
彼女の場合、彼女自身が音楽を生成することはできず、歌うこと専門である。また、ボクと同様、心を会得しているため、制作者の想いに共鳴してその想いを歌詞やメロディに乗せることができる――
エドワルド・ホッパーと出逢った当初、ルゥがボクに隠れるようにしていたのは、心を持っていないボクを避けていたか、あるいは裏面を知らぬボクを警戒していたからであるらしい。
また、エドワルド・ホッパー自身も、ルゥの過去については微塵も知らないと言う。それにルゥ本人が言葉でコミュニケーションできるわけでもないので、未だに分からないことが多いと、彼が顔を火照らし面白そうに嘆いていた。
だが、エドワルド・ホッパーはルゥの過去について別に興味ないとも言う。
今の彼女と旅をできたことが、なによりの幸せだったから、と――。
そんな言葉に、ボクは彼のこと切れた意図を汲み取ってしまった。
エドワルド・ホッパーは、時が来た、とボクがボクだけの音楽を生み出したその日に別れを告げた。
俺は新たな線を繋ぐ旅に出る、と、彼はその使命に犯されながらも、やっぱり音楽を愛していた。もし嫌いだったら必死に諦める道を探しているよ、と苦笑する彼の表情が、それを物語っていた。
また、ボクにルゥを頼む、と引き渡してきた。強引に、強制的に、ボクの意見を聞く余地もなく。これに関しては偶然であったのだろうが、やはりヒトである限りエドワルド・ホッパーも当然、一方向にのみ進むことしか許されない『時間』という運命の支配には抗えない。たとえアンドロイドの少女であっても、彼女を独りにさせることはできないようだった。そんなところへ彼女と近似したボクと巡り逢い音楽でつながった。彼がどうしようもなくどうしようもない旅人であったからこそ、躊躇していられなかったのだろう。
「たとえ直接会えなくても、線でつながる物語のどこかで会えるさ」
彼はルゥにそうやって説得した。ルゥも渋々であったが納得した。
アンドロイドは夢を見ない。そんなの、嘘だと思い知った。
エドワルド・ホッパーは後ろを見ない。
彼の絶対的なポリシーであった。昔の心が蘇り、別れが惜しくなるからだと、グレイとの別れの際にも言っていた。たしかにグレイも彼に倣って一度たりとも後ろ――エドワルド・ホッパーやボクの方――へ振り返ることはしなかった。ただ、ただ、前へ前へと進んでゆく。その姿に惚れたくらいだ。
エドワルド・ホッパーの姿が見えなくなって、無性にも寂しさが回路を巡った。ルゥがいて独りでもないっていうのに、それでもエドワルド・ホッパーという存在は偉大で、この街にいると彼のことを偲んでしまう。きっとこの街にずっと居座っていたら、彼との思い出を思い出し、今にでも彼に会いたくなってしまう。
ああ、そうか。と、そのときボクは確信した。
エドワルド・ホッパーと出逢った人々は、彼に憧れて――という理由ももちろんあるのだろうが、そんなことよりなによりも、その場に居座ることができなくなってしまうのだ。
彼との思い出は濃密で、生まれ育った町を出ていくときの惜別よりも、この土地で思い浮かべてしまう彼への唸りのほうが大きい。
だから彼らは旅に出る。旅に出て、新たな物語を、誰も知らない物語を紡ぎに出掛ける。
ボクもルゥも、考えていることは同じであった。
この街を出て旅をする。
そして、ボクらだけの物語を紡いでゆく。彼が繋ぐ線と、ボクらの繋ぐ線がいつしかつながるように、音楽という想いの具現が星のように、星座のように輝くために。
ボクらはこの地を踏み出した。
彼と同じ方向、彼と同じ景色を見るというのも実につまらないから、彼の進んだ反対方向を旅してみることにした――。
こんなふうに、誰にも知られぬ、誰もが知り得ぬ、ボクらの物語が始まったんだ。
たとえ、最後のひとりが消えうせようとも、人類の号哭が潰えることはない。
地上のコウセイに負けながら、それでも進み続けるあの変態を、ボクは厭になるほど憾んでみることにした。
夜をいつわる星々 谷口慎己 @sinkey
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