処女作
@N-Kei
漂う虚空に何を想う
気づけば、まるで大きな暗闇の中に、猛々と吹き煮えくり返る溶岩のごとく煉獄はそこにあった。”それ”は地獄で言う煉獄であろう世界にいた。ここは黒と赤以外の色などとうに消滅しているに違いない。”それ”は傍からそれを見ていたのだ。大きな暗闇に赤く浮かぶそれをみて、”それ”はゆっくりとその元下へ向かっていった。”それ”が何を考えているのかわからなかった。なぜなら、”それ”はもはや人間というには醜悪な、まるで蝦(えび)のような身体に黒い靄のような霞のようなものをまとう、この世界の住人になり果てていたのだから。もともと美しい女であった”それ”は、そこではその姿で存在していた。その美貌により、多くのものが彼女に魅了され、身命を天秤にかけ多くが争い死んだ。そして彼女は殺されここに堕ちてきた。
”彼女”はその姿にて、役目を終えた亡者を迎えていた。あの暗闇に赤く浮かぶところからゆっくりと元下へ落ちてゆく亡者たちを。積み重なった死体に大層驚いた。枯れ果て、腐り堕ち切った者達が元下で一つ、二つと折り重なっていくのだ。彼女はその者達のそばに行きその体に口を寄せた。その醜悪な形相で彼らを”分解”し始めた。
彼女にとって、かつてのその美貌が自分そのものであったことは疑いようもない。しかし、この世界ではその武器は取り上げられ、残ったのは分解者に似た、形相の醜い住人ただ一人が、落ちてくる亡者を分解していくサイクル。これがどれほどの苦痛を彼女に与えているのか、やはり地獄というのは堕ちる者によってその顔は違うのだと痛切に思い知らされた。傍から私はその光景をただじっと見ていた。
彼女は言った。
「最初、なぜ私がこのような仕打ちになっているのか。
なぜ自分は亡者ではないのか、なぜこの形相に変わり果てたのか、考えがめぐりました。もしこの罪を償うべきなのであればあの炎に巻かれたほうがいっそましなのではないか、この姿になり、あの頃の私はもういないという絶望に打ちひしがれた私をこの世界はつかんで離さないのです。死のうとしても死ねない。ほかにやることもない、ただ私一人。堕ちてくる亡者は増えていく、そして皆が私を静かに見つめてくる。私は、彼らを喰らいました。腹が減るのです、ただひたすらに。あの目を見つめ続けると、あの潤んだ灰色の目と合うと、私はいてもたってもいられなくなる。」
想像できようか、この世界は、かつて人間であった彼女に彼らを喰らうことを強制したのである。彼女はいつ解放されるのだろう、そう思い虚空の暗闇を見続けた。断続的に響く音が止んだ後、彼女はふと声を出した。合わせた目は無機質で感情は読めない。ただ声が聞こえてくる。
「もう気付いているのです。私は長く罪を償った彼らを供養しているのでしょう。これが私なりの償いとして世界が与えたのです。」
煉獄より下の階層に来るには狂いそうなほどの時間がかかるという。あの煉獄世界は阿鼻地獄、または無間地獄ともいう。何千年、何万年とすればいつかは亡者はその苦しみから解放されるようであった。そしてその解放され、供養を待つ亡者たちを彼女は分解という形で救済していたのだ。亡者の山は崩れることなくただ響き続ける音とともにそこにある。
罰なのか救いなのか、もはや定かではない、しかしなんとも切ない気持ちになった。同情なのか、はたまたこの世界に対する慴伏(しょうふく)の念であるのかは私も定かではなかった。
彼女は一体いくつの魂を救済へと導いたのだろうか。
一体いくつの時が流れたのだろう。
彼女は何も答えてくれない。彼女を救いたいと思う私は愚か者なのだろう。そう思い、すっと現れる静けさを唯この身に染みこませる。そこにある背中はただ静寂を創り出していた。もう彼女の顔に感情は乗っていない。彼女の思考を支える脳は、もはや手助けをあきらめたのか、頭の中にあるのは唯々空虚であった。彼女の流す涙を見てみたかったと思う。彼女の声はもう聞こえない。
嗚呼、寂しくなる。私と”それ”がいる、二つの色が彩る。暗闇に見えるのは黒を放つ赤。夢から覚めても真っ暗だ。ほんのりと苦い口の中は、あの光景を思い起こさせる。
めぐるこの世界はいつだって救済を待っている。
このたたずむ虚空は、ただ形を作り出している。
完
処女作 @N-Kei
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