第57話 話し合い(2)
「なあ、中谷」
「――――こうして泣いているんだし、実際はちょっと“からかわれた”だけだったんじゃないのか?」
「……はい?」
私はやっとのことで、声を発する。
――――ちょっと、何言ってんの?
まさか、香織の嘘泣きを真面目だと捉える気なの、この人。
混乱する私の目の前で、田原先生は楓恋と圭子に優しく言う。
「君たちも、ちょっと“からかった”だけなんだろう? それを“いじめ”だと取られてしまったんじゃないのか?」
「まあ、“された本人がいじめだと言ったらいじめ”って言うもんなあ」
「君たちは、それに倣って“いじめました”と言った。そうだろう?」
「……」
「……」
田原先生の台詞に、楓恋は変わらず無表情だが、圭子は口をぽかんと開けていた。
先生が続ける。
「先生が子供だった時も、よくあったよ。ほら、からかいで「バカ」とか「汚い」なんて言ったり、ノートの端にメッセージや絵を書き合ったりするだろう?」
「だが、そこに悪意はなくて、仲の良いもの同士のコミュニケーションというのかねぇ……」
「それを勘違いして大事にしてしまう子もいたよ。まあ、まだ子供だったから、必要な成長過程だったということかな」
「今回のことも、そんな些細なことだったんだろう。よくあることじゃないか。でも、まあ……」
田原先生が私を見る。
「それでも中谷は傷付いたんだ。ここは互いに謝罪をして、仲直りしようじゃないか!」
「これで、元通りになれるだろう? な?」
「まあ、名門であるこの美海女子高等学校で、いじめなんてあるわけがないからな!」
「ウチは優秀で常識のある生徒ばかりのはず、だからなあ!」
田原先生が「はっはっは!」と笑うと、香織、美奈子、花梨が、ここぞとばかりに口を開く。
「そうだよ! 仲直りしようよ、彩里ちゃん」
「からかってごめんね! もう言わないから!」
「傷ついていたんだね。ごめんね!」
大袈裟に眉を下げて謝罪する三人。
その言葉には、微塵も気持ちが感じられない。
田原先生は満足げな表情で、手をパンパンと二回叩き、
「さてと。謝罪も済んだことだし、これにて話し合いはお終いでよいな、中谷?」
威圧的な笑顔が、楓恋を除いた加害者たちと先生から向けられる。
「……あ……」
私はかすれた声を漏らすが、すぐに唇を噛んで押し黙った。
あれが、からかい?
先生まで証拠の隠滅ですか。
ほんとふざけてる。
信じられない。
終わりで良いワケがないでしょう。
頭の中で、言葉が現れては消え、また現れては消える。
だって言えない。
この空気で反論なんて出来ない。
まあ、この場にいる私以外の人間は、あれが“からかい”であって欲しいワケで。
楓恋たちは“いじめなんか”で処分なんてされたくないだろうし。いじめの加害者であることが原因で進学や就職に影響が出たら、人生滅茶苦茶ですものね。
学校側もそうだ。「美海女子にはいじめがある」と噂されて、優秀な生徒が集まらなくなったら、たまったものじゃないですものね。
田原先生が本気で香織の言う事を信じているわけじゃないのはわかる。でも敢えて“からかい”だと判断したのは、“そっちの方が、都合がいいから”だ。
こういう話し合いは、普通は担任の先生も交えるものなのに、田原先生しかいないのは、それだけ私自身のことは軽視されているということ。
強引な言い回しでいじめを隠蔽するのは、きっと上から圧力でもかけられているのだろう。
そんなわけで、加害者と学校の共通の目的が出来上がっているわけだ。
最大多数の最大幸福?
ジェレミ・ベンサムが、のたまいましたってか?
……とにかく、この場で私は彼らの敵で、秩序を乱す異物なのだ。
どんなに間違っていることでも、多数が正義なのがこの世の中だ。
少数の異物を排除するためなら、どんなに非道なことだってするのが人間だ。
わかっているけど、悔しい。
別に、謝罪や償いが欲しいわけじゃない。そんなもの、最初から期待していない。
でも、“なかったことにされる”のは別だ。
死ぬほど辛い思いをしたのに、やった側はそれを“なかったこと”にして、忘れるのは許せない。
ましてや“からかいでした”と補正をかけて記憶するなんて、更に許せない。
せめて、覚えていて欲しい。
他人を傷付けたことを、覚えていて欲しい。
……こんなことを考えても、何にもならないのに。
気持ちばかりが溢れそうになって、膝の上で拳を握る。
「――中谷? どうした? もう良いよな?」
田原先生が承諾を促す。
応えたくない。
嫌だ。
でも、首を縦に振らないと、私が悪者にされる。
「謝ったのに許さないなんて」と言われる。
だから。
「はい」って言わなきゃ。
皆が注目する中、震える唇を動かした――――その時だった。
生徒指導室に、椅子を引いて立ち上がる音が響いた。
音源である人物に、一斉に視線が移る。
「とんだ茶番ね。くだらない」
楓恋は不機嫌な顔でそう言うと、床に置いてあった学生鞄を肩に掛けた。
「なんだ、西条! まだ話し合いは終わっていないぞ!」
田原先生が呼び止める。
楓恋は鼻で笑うと、
「これが話し合いですか。私にはそうは思えませんでしたけど」
「何がだ! ちゃんと謝罪させただろう!」
声を荒げて立ち上がった田原先生を、楓恋は白けた目で見下げた。
「こんなことする時間があったら、英単語の一つや二つ覚えた方が、余程ためになると思いますけど」
「な……」
顔を真っ赤にした田原先生を無視して、楓恋は生徒指導室のドアまで歩き、ドアを開けて振り向いた。
「主犯は私です。停学なり退学なり、好きに処分してください」
そのまま楓恋が出て行こうとすると、圭子が勢いよく立ち上がる。
「あなたは残って、圭子」
「わ、わかった」
制された圭子は、大人しく席に腰を戻した。
楓恋が出て行った直後、今度は私が立ち上がる。
「私も失礼します。田原先生」
「なんだ、おい、お前もか? じゃあ、この件は解決ということで良いんだな?」
私は冷めた目で田原先生を見つめると、
「どうぞ、勝手になさって下さい。二度と学校に“いじめられた”なんて言わないので、ご安心を。もう学校には頼りませんから」
低い声で言い切った私に、田原先生は激怒して、
「なんだ、その言い方は! こっちは授業の他に、事務仕事や部活の引率で忙しいのに、時間を割いてやったんだぞ! 悩んでいるというから、話を聞いてやったのに……感謝の言葉もないのか!」
楓恋にも悪態をつかれたばかりだからか、田原先生は唾を飛ばしながら怒鳴り散らす。
あーあ。ここまで怒らせたら後々面倒だろうな。
でもなんか、もうどうでも良いや。
「……今日はこのような場を作っていただき、ありがとうございました。失礼します」
呟くようにそう言うと、私は生徒指導室を出た。
そして、楓恋を捜して走り始める。
皮肉だが、あの場で「からかいでした」と私の口から言わずに済んだのは、楓恋のお陰だ。
かつては私をいじめた張本人でも、礼が言いたい。
そんな思いを抱いて、私は走った。
***
真っ直ぐに向かった特別棟の二階の廊下の突き当りの窓の前に、楓恋はいた。
機嫌が悪い時、彼女はよくここに居るから、もしかしたらと思って来てみたら、案の定だった。
窓の外を少し険しい表情で見つめる楓恋に、声を掛ける。
「楓恋」
楓恋は振り向くと、少し驚いた顔をした。
私は微笑むと、
「ありがとう。楓恋のお陰で、認めずに済んだよ」
「……別に。私は自分のしたいことをしただけよ」
無表情だが、声は柔らかい。
だから、今ならこれも言える。
「それに……私、嬉しかった。楓恋がいじめを認めるなんて、思っていなかったから」
「なによ、それ。どういう意味?」
「良い意味だよ。楓恋は……変わったなって」
反省しているからこそ、いじめていたことを認めたのだろう。
だとしたら、楓恋は私を殺そうとしている人物ではないのではないか?
楓恋の“昔みたいな”少し柔らかい表情を前に、私は気持ちが大きくなって、聞いてみる。
「……ねえ、楓恋。私を殺そうとしたのは、楓恋じゃないよね?」
「…………え?」
楓恋の眉が、僅かに寄せられる。
「私の自転車のブレーキを壊して変な手紙を入れたり、私に向かって花瓶を窓から落としたり、不良に頼んで倉庫で私を襲わせようとしたりなんて……楓恋は、しないよね?」
――――言い切った。
自分がリスクの高いことをしているのは、十分承知だ。
それでも、かつては最高のライバル関係だった彼女を――――変わってくれたかもしれない彼女を、信じてみたかった。
真剣な目線を、楓恋に送る。
楓恋は目を大きく見開いて、私を真っ直ぐに見つめる。
沈黙が、場を支配する。
時間が一秒、二秒……と経過するのに比例して、心臓の鼓動が速くなる。
やがて、楓恋は無表情に戻ると、静かに唇を動かした。
「…………
「……えっ?」
私の心臓が、ドクンと強く音を立てた。
「あなたを襲ったのは、緑髪の男……」
「……でしょう?」
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だから私は悪くない ユウキ零 @rei0503
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