ゴブリンと眠り姫

うつぼ

深緑のベッドで微笑む彼女を夢見て

 化け物、彼のことをそう呼んだ。人間は彼を恐れ、逃げ惑う。誰も傷付けていないのに。彼は逃げ惑う人間達を咆哮で驚かし、待っていた。そう、彼を退治する王子様を待っていたのだ。彼は王子様の剣の攻撃を受けながら、逃げるように街を離れ、森へと向かう。王子様は彼を追って、白馬を駆る。右手には王家の紋章が彫刻された剣、誰もが王家の力を讃え、歓声を上げた。街は王子様のおかげで救われたと。


 これは心優しい彼の物語である。



 彼の名はゴブリン。森で暮らす妖精。妖精といっても、その姿は醜悪。左右の目も不揃いで、ギョロリとしている。つり上がった口角からはいつも涎が垂れている。でも、とても心が優しくて、森の動物達にゴブリンを嫌うものはいなかった。そんなゴブリンが森を散歩している時、深緑のベッドで眠るお姫様を見つけたんだ。ゴブリンはそのお姫様を一目で好きになった。

 毎日、木々の葉に溜まる朝露を集めて、お姫様の口元にそっと注ぐ。毎日、お姫様の肌が傷つかないように深緑のベッドを綺麗に整える。毎日、毎日、眠り続けるお姫様のお世話をする。早く目を覚まさないかな。ゴブリンはお姫様が目を覚まして、微笑みかけてくれることを夢見ていた。でも、何年たっても、お姫様は目覚めない。森の動物達は毎日お姫様のお世話をするゴブリンを心配している。いつか体を壊すんじゃないかって。

「人間ならお姫様を目覚めさせる方法を知っているんじゃないかな」、ゴブリンが言う。人間の世界に行くことはとても危険なことだった。森の動物達も人間の世界に行ったら帰ってこれない。だって、人間達は動物を狩って生きている生き物だから。もしお姫様が目を覚まして、微笑みかけてくれる方法が分かるなら。ゴブリンは危険と知っていても、動物達が止めても、人間の世界に行くことを決めたんだ。




 深い森の奥から人間の世界へ。ゴブリンは木々の葉を揺らしながら、森を抜けていく。初めて行く人間の世界にドキドキする。人間の世界にたどりついた時、とてもビックリした。見上げるとひっくり返ってしまうぐらい、背の高い建物が並び、猪よりも足の早い鉄の馬車が走っている。ゴブリンがお姫様の目を覚ます方法を聞きたくて、人間に声をかけるけれど、ゴブリンの姿を見ると逃げ出してしまう。どうしてだろうか。ゴブリンはショーウインドウに映る自分の姿と人間の姿を見る。人間とは違う自分の姿。自分の醜悪さにゴブリンは初めて気が付いた。だから、ゴブリンは物干し竿に干してあったシーツをかぶって、誰にも見られないようお姫様が目を覚ます方法を探し歩く。

 背の高い建物の間に赤レンガ造りの建物に見つけた。建物の中はとても静かだった。人間はいるけど、みんな自分のことに集中している。紙とインクの匂いがいっぱい溢れていて、鼻がむず痒くなる。赤レンガ造りの建物は図書館。シーツにくるまったまま、ゴブリンは廊下を歩く。幾つかの本を見てみたけど、字が読めないから何も分からなかった。

「お姫様、可愛い」、小さな人間の声。今、お姫様って言った。ゴブリンは声の方へ走っていく。そこは絵本の部屋。これなら字が分からなくても大丈夫。ゴブリンは小さな人間にまじって、お姫様の絵本を探す。そして、見つけた。


 お姫様は森の奥で眠っている絵。

 王子様が現れて、優しくキスをする絵。

 お姫様は目を覚まし、王子様に抱きつく絵、

 王子様とお姫様の結婚式の絵。


 ゴブリンガ見つけたのは格好いい王子様の絵本。王子様のキスでお姫様が目覚めて、幸せになる物語。そうだ。お姫様にキスをすれば目覚めるんだ。ゴブリンはそう思った。






 突然、人間達の世界に現れた化け物。左右の不揃いな目がギョロリとしている。つり上がった口角から涎が垂れる。化け物は電柱を引き抜き、誰もいない空き地に投げると、土埃が舞った。見たこともない、醜悪な化け物に悲鳴を上げて、人間達は逃げ惑う。そこに現れたのは深紅のマントを羽織った王子様。マントには王家の刺繍。腰の鞘には王家の紋章が彫刻された剣が刺さっている。

「この化け物め」、王子様は剣を抜いて、化け物に振りかざした。化け物は口角をさらにつり上げて笑っているように見える。不揃いなめがギョロリと動く。そして、森へと進路を取り、走り出した。王子様は化け物を追い、森の深くへ白馬を駆る。時折、立ち止まる化け物。王子様の様子を見て、また走る。ハンミョウのようにストップアンドゴーを繰り返し、さらに森の奥へと進む。




 どうして僕じゃ駄目なの。深緑のベッドで眠るお姫様に言う。朝露に映る不揃いの目とつり上がった口角。相変わらず涎だらけ。王子様と雲泥の出で立ち。ゴブリンはお姫様にキスをして、目覚めるのを何日も待っていた。でも、お姫様は目覚めることはない。それは僕が王子様じゃないから。格好いい王子様じゃないから。じゃあ、王子様をここに連れてくればいいんだ。ゴブリンは祈った。どうか人間達が怯える化け物の姿に。身体の骨と筋肉が軋み、膨張する。爪と牙が鋭く伸びる。体毛が不気味に身体を覆う。森の奥深くに一匹の化け物が現れた。



 深緑のベッドの上、お姫様は眠り続けている。化け物の咆哮と王子様の駆る馬の蹄の音が響いて、木々と葉々が揺れても目を覚ますことはない。森の動物達はかつてゴブリンであった化け物を木蔭から心配して見ていた。



 

 森の動物達はゴブリンのことを止める。

「王子様のキスでお姫様が目覚めても、お姫様は君のことを何も知らないんだよ」

「お姫様が目覚めても、絵本の通り王子様と結婚式をあげるんだよ」

「君は王子様に殺されてしまうんだよ」

分かってる。でも、お姫様が目覚めて、笑ってほしいんだ。ゴブリンはつり上がった口角を歪ませる。そして、化け物の姿で人間達の街へおりていった。




 深緑のベッドの傍らで化け物は立ち止まった。ハンミョウのようなストップアンドゴーはもう必要ない。必要なのは王子様に王家の剣で身体を貫かれること。簡単なことだ。このまま動かなければいい。王子様の剣は青い空を裂くように化け物の胸を貫いた。緑色の血が噴出し、深緑をさらに鮮やかに染める。倒れ込む化け物。その向こうに見える深緑のベッド。王子様は眠れるお姫様を見つけ、優しくキスをする。お姫様は氷が溶けるようにゆっくりと目を開ける。そこには格好いい王子様。目覚めたての体は固くて、動かしずらかった。王子様が剣を鞘に納め、お姫様をゆっくりと抱きかかえる。お姫様の目に映る醜悪な化け物。思わず目を背けた。王子様は体を傾けて、化け物がお姫様の目に映らないように馬へと進む。化け物の不揃いな目に一瞬映るお姫様。美しいお姫様だった。不揃いな目から零れる涙。お日様の光が滲んで、虹色に揺れる。ああ、よかった。化け物は命が薄れゆく中、夢を見ていた。ゴブリンに微笑みかけるお姫様の夢を。



 王子様とお姫様の結婚式は盛大に行われた。王子様はお姫様を救うため、凶悪な化け物を王家の剣で退治し、その勇敢な物語は未来へと語り継がれた。でも、心優しいゴブリンの物語が語り継がれることはなかった。







 

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ゴブリンと眠り姫 うつぼ @utu-bo

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