天理名物三選 V.2.1

@MasatoHiraguri

第1話 第0話 在来種純粋日本人として必見

 奈良県天理市にある、ニッポンの至宝(この上もなくたっとい宝。また比喩的に、そのような人)と、私が考える2つの場所・建物・組織と、一人の人間です。

 (「人」に関しては「そういう人間が実在する」という事実を知ってもらえればいいのであって、実際に見に行かれる必要はありません。)


くだらない仏教遺跡や、チャラい西洋絵画なんかより余程価値があると、寡聞にしてですが、そう思います。東京国立博物館の鳥獣戯画や高村光雲(1852~1934)作「老猿」、或いは、群馬県の岩宿遺跡・青森県の三内丸山古墳に匹敵するほど、私たち在来種純粋日本人にとって必見といえるでしょう。

※ いわじゅく‐いせき【岩宿遺跡】

群馬県みどり市笠懸町にある遺跡。相沢忠洋(1926~1989)の採集した石器が端緒となって、1949年・50年に発掘調査が行われ、日本における旧石器時代の存在を初めて立証した。広辞苑


  韓国脳外来種偽日本人や、キリスト教なんかすっかり忘れ、ものカネだけのアメリカ流プラグマティズム(形而上を見ない実用主義)に生きるアメリカ人には、全く無意味な場所(人)です。

  「日本昔話」に生きる在来種純粋日本人や、ドイツのニュールンベルグやベルリンに「Hirosima Shutrasse(street )・広島通り」なんていう名前をつけた道を大切に残したり、毎夏、息子と訪日し、阿波踊りと広島・長崎の追悼式典に(個人的に)参加する、なんていう我らが在来種純粋日本人の同胞である純粋ゲルマン人には、是非一度、この名所を訪問し、縄文人の精神を共感して欲しいと思います。


  私としては、韓国脳外来種偽日本人のような俗物が押し寄せて穢されるのが嫌なので黙っていたかったのですが、棺桶に片足を突っ込んだ今ゆえ、敢えて公開・紹介する次第です。韓国脳外来種偽日本人や、日本人をなんでもそうかい(痴呆化しよう)会の関係者は、絶対に行ってもらいたくない。どのみち、彼らが訪れて楽しいものはなにもないのですから。


 てんり【天理】

奈良県北部の市。近世は宿場町、また市場町。元官幣大社石上(いそのかみ)神宮がある。1888年(明治21)に天理教本部が設置されてから急速に発展。人口6万7千。広辞苑 第七版 (C)2018 株式会社岩波書店


第1話 天理教神殿(天理駅から徒歩15分)

○ 何が素晴らしいといって、勤行者というか奉仕隊というのでしょうか、全国から参拝に来られる天理教信者の方々によって、150年の間(乾布・乾いた布で)毎日磨かれた神殿の床や柱・壁。

  それらはすべて樹齢千年近くの檜なのですが、建築されてからこの方、毎日磨かれているので、その木目がくっきりと・きれいに表れている。単に、樹齢千年の「死んだ材木」で作られた建物ではなく、毎日磨かれることによって木が生きているのです。

  これぞ本当の宗教、と私は思います。イタリアのシスティーナ礼拝堂という立派な建物やそこに展示されている品々は確かに素晴らしい。しかし、その建物は「生きて」いない。


  私は京都の大徳寺や鎌倉の建長寺に坊主として居たことがありますが、両寺に限らず、どこの寺も神社も「毎日仏殿や神殿を乾布で磨く」なんてことはしない。「煤払い」なんていって、せいぜい年に一度、坊主やかんぬしがやる程度でしょう。

 その意味で、奈良の法隆寺なんて、単に「世界最古の木造建築物」というだけで、8世紀に再建されてから今日まで「死んだ」まま。(建物も坊主も「魂」が死んでいるから、現在の日本に於ける仏教の衰退があるのです。)


  法隆寺のような、単なる見世物・置物とちがい天理教の神殿とは、完全なる信仰の対象です。心を込めて床や廊下を磨くという行為を通じて(磨く人の)信仰心もまた磨かれるから。つまり、かの神殿とは天理教信仰のシンボルであると同時に、修行の場でもあるわけです。

  滝に打たれて修行する、山伏となって跋渉(山をふみ越え、水を渡ること)修行する、(無理な姿勢をして・脚を痛めて)座禅修行をする、といった様々なやり方(真理へのアプローチ)がありますが、「神殿を乾布で磨く」という、極めて簡単で・無理のない・子供からお年寄りまでできる、そしてかなり効果の高い修行法といえるでしょう。

  山伏だの禅坊主のカッコをするのにカネがかかる、座禅専用の建物を作るのにカネがかかる、何日間・何ヶ月も山にこもる、座禅道場で生活するのに時間と金がかかる。しかし、自分たちが信仰する神様がおられる建物を、年に一度でも訪問した時に布で磨く・擦るという働きかけによって、神様と心が通じ・自分の心が清浄になるのでしょう。


<天理教の修行を、いま最も必要としている人たち>

その意味で「天理教神殿における乾布修行」というのは、自分に嘘ばかりついている韓国脳外来種偽日本人(政治屋・マスコミ屋・警察屋・防衛省)、或いは「税金を食う怪物たち」が、彼らの業務研修に於ける必修科目として、月に一度(一日)は、神殿での奉仕活動(清掃作業)を行う意味は十分にある、と思います。

くだらない、なんたらコンプライアンス(法令や社会規範・企業倫理を守ること。法令遵守)なんてお飯事(ままごと)で遊んでいないで、老いも若きも男も女も、乾いた(きれいな)ぞうきんで、神殿の床や廊下・トイレの床を磨くという働きかけ(清掃作業)をすれば、裏金・冤罪・韓国系大手広告代理店との癒着といった、様々な彼らの悪業(庶民に苦しみをもたらすわるい行い)も、自然と雲散霧消していくことでしょう。

法律や規則で悪はなくならない。人の心を(清掃作業で)矯めることで、自分から(天理教信者のような)善人になるのが、自然な更生というものではないのか(自浄其意:自ら其の意を浄うする)。


  立派な肩書きと高い年収にばかり目が眩み、裏金・犯罪捏造・冤罪・人殺し(戦争)の正当化といった狂気に染まり、国民に奉仕すべきが私利私欲に走り、その罪悪感から何をしているのかわからないフリをしている人たち( → つまり、自分の良心に嘘をついて自分と世間を誤魔化している)。

  このまま行けば、政治屋とマスコミ屋は様々な不安・疑心暗鬼を国民に与え、警察は治安維持法(1925年(大正14)公布。違反者には極刑主義を採り、言論・思想の自由を蹂躙。1945年廃止)の復活を目論み、戦争屋は自衛の名の下に他国への主権侵害・侵略戦争を煽る。

  「そのとき、イエスはこう言われた。『父よ。彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか、自分でわからないのです。』https://seishonyumon.com/words/1083/



  ○ 神殿の下にあるトイレ

  これも素晴らしい。

  こんなきれいな(単に美しいというのではなく、清潔な・清浄な・神々しい)ところで「用を足す」のは申し訳ないというか、一回用を足させてもらえば、それだけで御利益があるような気持ちになります。御利益というのは、幸運がもたらされるということではなく「自分の心が清浄になる」ということ。


  在来種純粋日本人であれば、まさに:

諸悪莫作 (諸々の悪をなすことなかれ)

衆善奉行 (もろもろの善を奉行せよ)

自浄其意 (自ら其の意を浄うする)

是諸仏教 (これ諸仏の教えなり) の境地になれるでしょう。



第2話 天理大学図書館(神殿から更に徒歩15分)

  天理大学(私立大学の一つ。1925年(大正14)創設の天理外国語学校が起源)については、偏差値がどうだとか知りません。また、街で見かける学生たちの品行・風情については、しばらく滞在しているのでなんとなくわかりますが、N/Aということにしておきます。

  学校(天理大学・小中高・幼稚園)とは何の関係もない独立した存在の、いち図書館として「天理図書館」を見るということです。



○ 「昭和5年の創建時のまま」の建物・机・椅子・(一部の)硝子

  こちらの閲覧室に座り、昭和13年・1938年発行の岩波新書や東洋文庫なんていう書を閲覧させてもらっていると、約100年前の著者(在来種純粋日本人)と話をしているような気持ちになる。本の著者ばかりでなく、100年前にそれら書籍を選んでこの図書館に置いた人(図書館員)と、時空を超えて対話しているような錯覚に陥る。

  まるで「タイムマシン((H.G.ウェルズのSFに由来する語)時間の流れを越えて過去や未来に旅行するための架空の機械)」で、過去と現在を行き来しているような錯覚。ドラえもんの「どこでもドア」で、過去の日本やアメリカや中国に旅しているようです。

  昭和5年・1930年以来、戦争や天災・火災をくぐり抜けて生き続けてきた建物と書籍群、そして、それを守り通してきた歴代図書館員達の労苦にも思いを馳せるのです。


<様々な寺宝を売り払った坊主達>


  鎌倉の建長寺なんて、坊主時代に市の学芸員から聞いた話では「歴代の住職や坊主達が、鎌倉時代からの財宝を適時売り払ってしまったので、ハッキリ言って『宝物』なんてひとつもありません。」と。つまり、寺としては死んでいる、ということなのです。

  この寺に限らず、日本の寺にあった寺宝のほとんどが、明治維新と十五年戦争終了時(1945年)、海外へ流出(坊主が売り払った)したのです。でなければ、あれだけ素晴らしい美術品の数々がボストン美術館を始め、世界中の美術館や好事家の元にあるわけがない。

  その意味で、書籍とはいえ、日本の出版文化を図書館の蔵書という形で守ってきた天理大学図書館の功績は極めて大きいのです。


  古い本を適時修復し、100年前の椅子や机を大切に磨き・整備して、今に「生かしている」。まさに、天理教神殿(の木目)と同じく「これぞ宗教」。一個の宗教を超えた、在来種純粋日本人としての純粋・無辜の精神を、この建物や書籍・調度品、そして歴代館員の方達に感じることができる。

  これが(私にとって)素晴らしい、ということなのです。



○ ただの読書とはちがう次元と位相による没入体験

  単に、昭和13年発行の書籍を古本屋で購入して自宅で読む、のとは(形而上的に)全く違う体験ができる。



○ 私の心配すること

  大阪池田小学校で生徒9人を出刃包丁で刺し殺した在日韓国人宅間死刑囚や、相模原障害者施設(やまゆり園)で19人の老人を殺した、同じく在日韓国人植松聖死刑囚。

また、先月、法政大学で学生10数人を後ろから金槌で殴打した韓国人留学生(女性)のような狂人が、上記神殿や図書館という聖域に入り込まれると、とんでもないことをしでかす可能性がある。

  (日本のマスコミは韓国脳外来種偽日本人の影響力が強いので「在日韓国人」と報道されませんが、台湾のマスコミでは「韓国籍○○○」と、真実がハッキリ明示されています。)

  彼らには、正常・清浄・神聖なものに反発するという習性があり、また韓国人特有の火病、或いは精神分裂症という病を持っている。

  私が大学生の頃、犯罪心理学のゼミで訪問した刑務所と精神病院では「受刑者の6割が在日、入院患者の8割が在日」と聞きました。当時、日本の人口に占める在日韓国人というのは数パーセントであったはずなので、統計学的にはかなり「有意」ということです。(この話は、大学卒業後すっかり忘れていたのですが、韓国の大統領による「いきなり戒厳令」といった、最近の韓国人による(狂気)事件の数々によって、記憶の底から呼び戻されました。)

  もちろん、私の大学時代の先輩のように、(在来種純粋)日本人以上に、ものごとの本質をつかむ能力を持つ在日韓国人もいらっしゃいましたが、私の経験ではこれまでの人生で、いい意味で「感心できる(在日)韓国人」とは、この方一人だけです。

差別ではなく、ハッキリと(精神的に)区別することで、日本人ひとり一人が自分の頭で考え、在来種純粋日本人の魂の純潔を守るしかないのです。


  精神分裂症・火病の治療

  私もビジネスマンの端くれでしたから、問題提起ばかりでなく問題解決もまた、呈示しておきましょう。

  韓国脳外来種偽日本人の精神病を治すのは、

① 戸塚ヨットスクールで「死の恐怖体験」をする。

  かつて(30年前)、マスコミや警察によって一旦潰された戸塚ヨットスクールですが、その原因は、あまりに効果がある(この学校に入って苦しい訓練を受けると、皆正常になる)ので、あのままこの学校が存続すると問題児が激減し、向精神薬が要らなくなり、精神病院の経営も成り立たなくなる、という理由でした。製薬会社や病院経営者によって潰されたのです。実際、戸塚ヨットスクールで精神病が完治した若者の中には在日韓国人が沢山居た、とも言われています。

  現在の戸塚ヨットスクールはかなりソフト化されていますが、それでも、海での様々な鍛錬を通じて「脳幹治療」するという根本的な精神は変わらないので、投薬(精神安定剤)や病院へ入院するよりも余程効果があるはずです。


② 私の大学時代のOB(在日韓国人)のように、子供の時から韓国名を名乗り、漫画「Be-Bap ハイスクール」の加藤ひろしや仲間とおるのようなハードな中高時代を送れば、かなり精神が鍛えられるでしょう。

  一般に、在日韓国人は「おれをいじめると、仲間とマイクロバスに乗ってお前の家に火をつけるぞ!」「オレの叔父さんは在日ヤクザだ。」なんて、脅しやはったりで問題解決をしようとするから、人間的に成長しないのです。

  「目には目を、歯には歯を」、殴り合いには殴り合いの精神で、正面から正々堂々と対抗して少しは修羅場を経験することで、韓国脳特有の分裂症(火病)はかなり減衰するはずなのです。


③ 高校を卒業したら、大学日本拳法ができる大学で、毎日防具をつけて死ぬほど殴り合いをする。防具を着用して殴られるというのは、「脳幹治療」の効果もあるのです。




第3話 或るお店の店員さんの立ち居振る舞い

① 今までに述べた天理教とは何の関係もない話です。

  優美・華麗といった女性的な仕草のことではありません。

  具体的に、何がどう素晴らしいか、については敢えて述べません。

   

  私自身が「いいものを見させて貰った」という感動に浸っている、ということが(私にとって)重要なことなのです。人それぞれ価値観が違うのですから、各自が「自分の目に適った」人や物を賛美し味わえばいいのです。

  そういう時のひとつの目安(参考)として、以下に彼女の素晴らしい点を列記いたします。



目に見える事象ではなく、形而上的に「私が感動したこと」

◎ 一人の人間として、(ステレオタイプの型ではなく)合理的で洗練されたその人独自のスタイルを持っている。

◎ アマチュアではなくプロの人間に成り切った、科学的・論理的な(再現性の約束された)存在。

形而上:「形而上なる者は之を道と謂(い)い、形而下なる者は之を器と謂う」形式を離れたもの。抽象的なもの。広辞苑


② 彼女の働く姿とは、私にとって、次のような方々の動作・立ち居振る舞いを彷彿とさせてくれるのです。

○ 京都での雲水時代に接した三千家家元

○ 雲水時代に見た先輩雲水(堺の南宗寺住職となられた)

○ 台湾の大学に公演で来ていた中国歌劇団の古琴の奏者(女性)

○ 横浜は馬車道にある高級ナイトクラブのチーママ(お店に行ったわけではない。鎌倉のファミレスで、わたしたちの近くの席にいらした彼女の、洗練されたbehavior・立ち居振る舞いに感銘を受け、声をかけて聞いてみたら、そうであった。)


③ 自分の存在を哲学できない大学生や、問題意識の希薄な、ただただ「税金を食む怪物」のように、薄らぼんやりと「見かけだけの人間」をやっている、いわばアマチュアの人間・人間擬きには全くわからない価値。かなり傲慢な言い方ですが、自信を持ってハッキリこう言えます。


  私は人生を約70年やってきて、こういう人間の価値を見い出せた自分に感動しています。70年生きてきた甲斐があった、と。

  金持ちになるとか社会的な肩書きを手に入れる、なんていうことではなく、人間として真に生きている人間を見いだすことができた。ようやく、そこまでオレは人間として成長し充実してきた(つまり、人生の終わりが近づいてきた?)という喜びなのです。


③ 中峰和尚の偈に曰く

○ 「人身受け難し、今すでに受く」

  何十億の人間が存在する中で、本当に価値のある・しっかりとした存在感をもつ人間に巡り会えたという奇特(ふしぎなしるし。すぐれたききめ。霊験)。


○ 「仏法聞き難し、今すでに聞く」

  世界中に様々な教え・哲理があるなかで、こんなに素晴らしい物を見た・聞いたという幸運。


○ 「今生に度せずんば、更にいずれの生に向かってかこの身を度せん」

  これで漸く、私の人生の持つ意味がひとつ解明された。


  オイオイ爺さん、ちょっとオーバーなんじゃないの、なんて言われそうですが、「わかる者にだけわかる価値」というものがある。それでいいのです。


2025年06月18日(水)

V.1.1

2025年06月19日(木)

V.2.1

平栗雅人

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