ただいま
増田朋美
ただいま
その日はまだ6月なのに、35度近くまで上がって、本当に暑いなあという言葉があちらこちらで聞こえてくるような、そんな日であった。杉ちゃんたちは、いつもと変わらず、水穂さんにご飯を食べさせる事をやっていたのであった。歩けない小さなフェレット二匹が、その有り様を悲しそうに眺めていた。
突然、フェレット二匹が、いきなり騒ぎ出したので、杉ちゃんたちは、一体どうしたの?と声をかけるのであるが、それと同時に、玄関の引き戸がガラガラっと開く音がして、一人の中年の女性が、一人の若い女性を連れて入ってきた。
「失礼いたします!」
と、中年の女性はそういったのであった。
「何だ伊達五月さんか。びっくりさせるなよ。」
彼女とそういうふうに対等に話せるのは、杉ちゃんだけであった。水穂さんも座礼をしなければならないほど、彼女は、そういう恐ろしい人物なのである。
「参議院議員の伊達五月さん。ジョチさんが出馬させた、八重垣麻矢子さんを破って見事当選。今はえーと、政務官だっけ?そんな地位についている、大物国会議員。」
杉ちゃんがそうでかい声で言うのは確かに事実なのであるが、それは、普通の人が言うのはとてもできない台詞である。
「今日は、どうされましたか?」
水穂さんが座礼をしたままそう言うと、
「ええ、この子を預かってもらいたいんです。」
と、伊達五月さんは言った。
「この子?」
杉ちゃんが言うと、
「ええ、この子です。伊達メイ子ですが、なにか文句がありますでしょうか?」
と伊達五月さんは隣りにいた若い女性を指さしていった。
「はあ、娘さんをここで預かれってことか。」
「しかし、あまりにも非現実的な。」
水穂さんと杉ちゃんはそう言い合った。特に、水穂さんのような人は、あまりにも身分が高い人の依頼なので、困った顔をしている。
「ええ。お願いします。メイ子を預かってください。お代は、貴方がたが要求する額をちゃんと払いますから。」
と、伊達五月さんは言うのであった。
「しかし、」
水穂さんはそう言うが、返事の代わりに咳き込んでしまうので、メイ子さんが心配そうな顔をしている。
「まあ、しょうがないな。じゃあ、メイ子さんを預かるから。その代わり、何かあったら、責任取ってよ。僕らはマスコミに騒がれても困るんだから。」
杉ちゃんがそう言うと、
「わかりました。じゃあ、お代として、10万円を払っていきますから、よろしくお願いします。」
と、伊達五月さんは、小切手を杉ちゃんに渡して、さっさと製鉄所を出ていってしまった。咳き込むのが止まった水穂さんが、
「こんなものもらってもしょうがないですね。」
と、大きなため息を付いた。
「すみません。母が、強引で。」
メイ子さんは申し訳なさそうに言った。
「い、いやあねえ、それはいいんだけどねえ。だけど、なにかあったんか?親子喧嘩でもしたんかな?」
杉ちゃんがメイ子さんにそう言うと、
「ええ、ちょっと大事なことがありまして。」
と、メイ子さんはいいたくなさそうに言った。
「大事なことってなんだよ。」
杉ちゃんが言うと、
「いいたいときに言えばそれでいいことですよ。それより、メイ子さん、伊達五月さんと、仲良くしている姿が度々目撃されております。例えばこの間の選挙の時だって、あなたは、伊達五月さんと一緒に選挙カーに乗っていらっしゃいました。でも、この一ヶ月、あなたは姿を見せませんでしたね。どこへ行っていたんですか?」
水穂さんは優しく伊達メイ子さんに言った。
「ええ。ちょっと、旅行していたんです。」
と、メイ子さんは答える。
「へえ、どこへ旅行したの?沖縄かな?北海道かな?どこへ行ってたのかな?」
杉ちゃんがそうきくと、メイ子さんは口を噤んだ。水穂さんが、
「杉ちゃん、あんまり彼女を責めてはだめですよ。」
と言ったので、杉ちゃんは、ああそうかと言い直して、
「そんじゃあ、お前さんにはこのフェレットの世話をしてもらおうか。餌を食べさせて、時々一緒に遊んでもらう。なんか悩み事あるみたいな顔してるからよ、歩けないフェレットに癒やしてもらえ。」
と、言ったのであった。
「わかりました。じゃあ、フェレちゃんの世話をします。それ以外でもあたし、やれることは何でもやりますから、杉ちゃんも水穂さんも、どんどん命令してください。」
「うーんそうだねえ。でも、大物国会議員の娘を、使用人みたいにしては、いけないからねえ、、、。」
杉ちゃんがそういうのであった。水穂さんもそうだなと言う感じの顔をする。
「そんなことありません。あたしは、伊達メイ子だし、母とは違います。あたし、何でもしますから、すぐに言ってください。」
とメイ子さんはそういうのであるが、
「だけど、伊達五月さんになんて言われるか。彼女は、一言でここを潰すことだってできる女だよ。それに、水穂さんだって、立場が危うくなるでしょう。」
杉ちゃんはでかい声で言った。
「そんなこと言わないでください。そういうことはしないようにあたしが母に言っておきますから、例えば水穂さんの世話をすることくらいさせてください!」
メイ子さんがそう言うと、
「ああ無理無理。大物国会議員の娘さんに、新平民の世話をさせてみろ。後で何を言われるかわからんよ。マスコミだってそうだろう。お前さんもそういう立場であることは、忘れないように!」
杉ちゃんがそう言うので、伊達メイ子さんは、涙をこぼして部屋を飛び出していってしまい、台所の椅子に座って、泣き出してしまうのであった。
「泣いてもだめ!お前さんは自分の立場を考えなくちゃ。伊達五月さんに、何を言われるかわかんないよ。伊達五月さんは政務官と言われている国会議員だぜ。その議員の娘が、新平民の世話をしたとなれば、マスコミが滝みたいに押し寄せる。それでお母さんの伊達五月さんはひどい迷惑を被る。だから、お前さんにはフェレットの世話しかさせられないの。泣いてないでさ、お母さんの娘であることをちゃんと考えてよ。」
「あたしは、お母さんの娘であることで、人に恨まれるんですね!あたしには何も居場所もないんだ。どこにも行くところがない!」
伊達メイ子さんはそう言って泣いた。それと同時に、食堂でテレビを見ていた利用者が、
「居場所がないかあ。そういうことなら、こういう仕事をしている人に相談してみたらどうですか?お母様の伊達五月さんだったら、多少無理を言っても通じるんじゃないかしら。」
と、テレビの画面を指さした。そこには中年の女性が映っている。黒い服に身を包んだかなりの美人である。なんだか報道番組のようで、緊張した男性のアナウンサーが、彼女にインタビューしていた。
「そうですか。小林先生は、若い人が居場所をなくしているとおっしゃっているのですね。」
アナウンサーがそう言うと、小林先生と言われた女性は、
「ええ、まず初めに親が、自分の立場にこだわりすぎているといいますか、子供が問題を起こしたら、親は自分の立場などを考えずに、子供の事を考えてやることが一番なんです。親が自分の仕事に誇りを持ちすぎているために、子供が学校でいじめられたり、居場所をなくしていたりするんだと言うことを、もう少し、考え直していただきたいです。」
と、言ったのであった。それと同時に、メイ子さんがギャーと叫んで、
「小林香織!」
とどなった。そうなると、彼女はテレビに出ている女性と面識があるのだろう。
「どうしたんだ。ちゃんと何があったか話してみてくれ。このテレビに出ている人と、お前さんは関わりがあるのか!」
と、杉ちゃんが言うが、メイ子さんは更に泣いてしまうのであった。メイ子さんの顔を覆っている手を、水穂さんは、静かに顔から離した。利用者たちがすぐに、
「水穂さん、メイ子さんと関わりを持たないほうがいいのでは?伊達五月さんにこれがバレたら、水穂さんの立場が危なくなるのよ。」
「それに、なにか悪いことがあったら、例え相手が悪くても、水穂さんが悪いことになるのよ。」
と相次いで発言したが、
「そうなっても構いません。」
と、水穂さんは言った。利用者たちは、水穂さんのその態度を見て、呆れた顔をしていたが、水穂さんはテレビを消して、もう泣くのはやめましょうよと言った。
「ごめんなさい。私はお母さんの娘であるということで、人に恨まれるんですね。」
メイ子さんはそういう。
「そうじゃなくてさ。それだけじゃないでしょ。なんで、小林香織の顔を見て騒いだのか。その理由をちゃんと説明してくれ。」
杉ちゃんがそう言うと、利用者の一人がスマートフォンを眺めながら、
「小林香織さんってすごく偉い人みたいね。なんか、問題を抱えている子供さんを預かり、共同生活をして、立ち直らせる施設をやってるみたい。最近その功績が認められて、文化勲章をもらったって。」
「はああなるほど。」
彼女に言われて杉ちゃんは言った。
「その小林香織さんに、文化勲章あげたのは伊達五月さんだね。まあ、そういうことか。なんとなく顛末はわかった。まあ、小林香織さんにしてみればお前さんを施設に入れたことによって、文化勲章への足がかりということになるが、文化勲章は、言ってみれば口止め料だな。」
「それでは、旅行に行ったって、誤魔化したくなりますよね。きっとその施設は、これからすごい評判上がるのに、あなたは、傷ついたままでいきていかなくちゃいけないですからね。」
水穂さんが優しくそう言うと、メイ子さんは静かに頷いた。
「まあ、そこで何かきついこと言われたんだ。きっと国会議員の娘だからいい気になってるなとか、そういうこと言うんだろう。まあ、しょうがないよ。誰だって立場でものを言うから。それは立場で言ってるんだと思ってな、割り切って生きていかなくちゃ。いいか、生きてるのが素晴らしいなんて言えるのは、本当に偉いやつだけだ。みんな苦しんで生きているんだよ。だから、多かれ少なかれつらい思いを持って生きているってことを、考えなくちゃ。」
「でも、つらい気持ちがあっては、ずっと辛いですよね。そうしたら毎日が楽しくなくなりますよね。だから誰かに話さずにはいられないのでしょう?」
と、水穂さんがそっと言ってくれた。利用者たちが、水穂さんに、自分の身体のことを考えろとか、伊達五月さんにひどいことを言われたらどうするんだとか言っていたが、水穂さんはすべて無視していた。
「誰でもつらい気持ちは持ってます。だからこそ、人間と言うのかもしれない。本当は伊達五月さんだって、機械ではないのですから、どこかで失敗するはずなんですけど、偉くなるとそれを忘れてしまうんですよね。」
「まあ、汚い話だが、憚りにみんな行くのと同じだ!」
杉ちゃんがでかい声で言った。
「どんなに偉い人であっても、同じことだってことを忘れないでください。みんな人間だから、どこかで失敗するし、悲しい気持ちを持つことだってあります。全部の人生で順風満帆に行く人はおりません。それを忘れないでください。」
水穂さんはそっと言った。
「じゃあ、お前さんは、フェレットにご飯を食べさせてやってくれ。ご飯は、冷蔵庫の中にあるから。」
と、杉ちゃんがそう言うと、メイ子さんはやっと涙を拭いて、わかりましたと言って、冷蔵庫を開けた。その中にフェレットフードと書いてある紙袋が見えた。メイ子さんは、それを2匹分のお皿に入れて、静かに食堂を出ていった。
「しかし、困りますね。そうやって矯正していくことを、教育だと勘違いしている輩が多いんだな。」
と、杉ちゃんがでかい声で言った。
「まあ、それで文化勲章もらうような人だから、ほとんど自覚はないだろうし、大変厄介ね。」
利用者の一人がそういうのである。
「あたしが前の学校にいたときにもいたわ。そういう、怒鳴ればいいとか、進路を押し付ければいいと考えている教師。」
もう一人の利用者が言った。
「まあそうだねえ。そういう奴らから逃れるには、水穂さんが言うように、誰でもどこかで失敗すると考えるか、みんな憚りをすると考えるしかないんだな。そうだねえ、」
杉ちゃんが、水穂さんの方を向くと、水穂さんは、疲れ切った顔で、咳き込みながら座り込んしまった。
「おい!大丈夫かい!」
水穂さんは、頷くが咳き込むのが止まらなかった。利用者たちも心配して、水穂さんの背中を叩いたり、さすったりするが、咳き込むのは止まらなかった。
「もう横になったほうが良いわ、こんな暑いときは、涼しいところで寝たほうが。」
と利用者たちが、そう言って水穂さんに肩を貸し、無理やり立たせようとしたが、水穂さんは立ち上がることができずふらふらとしてその場から動けなかった。仕方なく利用者が、二人がかりで水穂さんを無理やり動かした。なんとか部屋まで歩かせて、水穂さん横になろうと声をかけながら布団に寝かせる。それを二匹のフェレットにご飯を食べさせていた伊達メイ子さんが目撃してしまった。メイ子さんは、また涙を流して、わーっと叫びながら、製鉄所を飛び出していってしまった。杉ちゃんがちょっと待て!と言っても、車椅子の杉ちゃんには追いつけなかった。杉ちゃんもそのまま車椅子で玄関から出ていく。残りの二人の利用者は、水穂さんを布団に寝かせて薬をもらうために柳沢先生に電話することをしなければならなかった。
杉ちゃんの方は、車椅子を動かして、製鉄所の周りを探してみたが、メイ子さんは見つからなかった。ああどうしようかなと思って、これでは警察に電話しなければだめかなあとか、考えていたところ、
「杉ちゃん。」
と、男性が声をかけた。杉ちゃんが振り向くと、そこにいたのは有森五郎さんだった。
「ど、ど、うしたの?」
吃音者の五郎さんは、そう言ってくれたのであるが、杉ちゃんにしてみれば、嫌な話だ。
「あのね。伊達メイ子さんがいなくなったんだ。どこへ探したら良いのかわからないので、今から警察へ行こうと思うんだ。」
杉ちゃんが言うと、
「あ、あ、め、めい、こ、さんは、あ、あま、寺へ。」
五郎さんはそういった。それを、本当かと杉ちゃんが言うと、
「はい、て、いく、の、を、み、み、みた。」
つまり、五郎さんは、メイ子さんが、尼寺に入っていくのを見たと言っているんだと杉ちゃんは理解した。それなら、ということで杉ちゃんは、車椅子の方向転換をして、尼寺のある方向に向かった。五郎さんもそれについて行った。
一方、その間製鉄所では、柳沢裕美先生が、水穂さんに薬を飲ませていた。それを飲んでしばらくすると、水穂さんの咳き込むのはやっと止まってくれた。
「ごめんなさい。メイ子さんに申し訳ないことをして。」
「水穂さんまだそんなこと言っているの?今回はメイ子さんにも反省してもらわないとだめよ。」
利用者がそういったのであるが、
「いや、軽い熱中症ですから、少し休めば治りますよ。」
と、柳沢先生が、利用者たちに言った。
「メイ子さんは、ああいう反応しかできなかったのではないですか?」
水穂さんが聞くが、利用者たちは誰も答えなかった。
「でも、小林香織さんに対しては、確かに強引すぎて困ると、私の下へ来た患者さんが言っていたことはありました。決して、メイ子さんだけがきついことを言われたわけではありません。他にも、刑務所みたいで嫌だとか、そういう事を言っていた患者さんもいました。」
柳沢先生はそういった。それこそ、メイ子さんが求めていた答えだったのだろう。それをもし、誰かが直接話していれば、メイ子さんがパニックになることもなかったのかもしれない。
「でも、メイ子さんは、」
と利用者がそう言うと、
「いや、今は言わないほうが良いかもしれないです。」
と、柳沢先生が言った。そういうことならねえと、利用者たちは、大きなため息を付いた。水穂さんは、もう疲れ果ててしまったらしく、あるいは薬には眠気を催す成分があったのだろうか、静かに眠ってしまった。
その頃、杉ちゃんと五郎さんは、尼寺へ到着した。尼寺の本堂から誰かが話している声が聞こえる。のぞいてみると、メイ子さんが、庵主さまとなにか離しているのだった。杉ちゃんと五郎さんは、メイ子さんの話が終わるのを待つことにした。その時も太陽はジリジリてっている。本当に暑いけれど、杉ちゃんたちは我慢して待った。ふたりとも汗びっしょりになって、もうだめだと言いたくなったときに、
「ありがとうございました。これからも頑張ります。」
というメイ子さんの声が聞こえてきて、本堂の扉が開いた。そこからメイ子さんが出てきたのであるが、杉ちゃんは汗をダラダラ流しながら、
「よ、待ってたぜ。みんな心配してるから、早く帰ろう。」
とだけ言った。
「ごめんなさい。」
メイ子さんは、杉ちゃんたちの目の前で手をついて謝ったのであった。
「いや、あやまんなくてもいいからさ。もう、こういうことは、やめような。」
杉ちゃんがそう言うと、五郎さんが、
「い、つ、まで、も、な、なな、かよく、して、くだ、さ、い、ね。」
と言ってくれたのであった。この言葉は通訳を付けなくても理解できた。メイ子さんは小さな声で、
「わかりました。」
とだけ言った。
「じゃあ、帰ろうなあ。水穂さんも、他の利用者もみんな待ってるから。」
「はい。」
メイ子さんは車椅子の杉ちゃんと一緒に本堂を出て製鉄所に帰った。ついでだからと五郎さんもついてきてくれた。不思議なもので、こうして本気で寄り添ってくれる人物は、五郎さんのような事情がある人でないとできない。偉い人と呼ばれる人は言葉だけで、実践が伴わないのである。
杉ちゃんたちが、ただいまと行って製鉄所に帰ってきた。利用者たちは、口々に心配だったといった。メイ子さんは改めて、申し訳ありませんと謝罪した。利用者たちは、それ以上何も言わなかったが、
「お前さんあのとき寺で、庵主様に何を言われたんだ?仏様が守ってくれるとか、そういう宗教的なことか?」
と、杉ちゃんが聞いた。メイ子さんは首を横に振って、こういったのであった。
「いいえ、待っていてくれる人がいることこそ、一番うれしいんだと言いました。」
ただいま 増田朋美 @masubuchi4996
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