古き鐘の音をば

 語り部の才能を持った人は大勢いるが、それが文筆の才と合致しているとこうなるのだという見本。
 すらすらとなめらかに書いているようでいて、その裏にはどれほどの知識と、そして書き手の繊細な感性が蓄えられていることだろう。
 一読して中島敦「山月記」かな? と笑みがこぼれてしまったほど、質が高い。

 親孝行の息子が親の希いを叶えんとして研鑽に研鑽を重ね、ついに手にいれた美しい妻。
 俗っぽい欲望に満ちた凡人と、何としてもこの筆から希代の佳人を生み出さねばならぬと地を這って身を削る男の対比。
 世俗欲のない男のねがいはただ一つ。この世ならぬほどに美しき妻を得て郷里に帰ること。

 冴え冴えと白い月のひかりや、草花にとどまる透きとおった露を描きとめようと足掻いても、その美は画の中に画としてしか存在しない。
 風の匂いや、清浄な大気、眼球を刺す光の実態は、反映されない。
 もしあるとしたら、それはその画をみる者の記憶が呼び起こしたものである。

 刻々と移りゆく対象の消滅と引き換えに、画家は心に残ったすがたを描き、それを見た者はおのれの中の心象と繋ぐ。
 流れゆくものともし同化するには、同じく我々も留まらずに去らなければならない。
 それゆえに月を眺めていた男の心に焼き付いた憧憬を、男はもう一度焼かねばならなかった。
 男の心を焼かねばならなかった。

 稗官と称する旅人は、実はこの話の中の絵師かもしれないと、ふと想った。
 鐘古さんは作者だけが楽しむそういう仕掛けをたまにする。
 落魄した男が虎ならぬ法螺吹きと化して天地のはざまに流離うのもよろしかろう。

 狂った獣のように恋焦がれたふたたびの焼亡のその先には、荒蕪の下界を見下ろす真珠の宮が待っている。
 滅してのちの無窮。
 それを見ることは現世の誰にもできないことである。

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