雪解け
愛田雅気
雪解け
今年の冬は無情にもよく冷える。車を降りたあと1秒ごとに冷え切った北風が私の体を切り刻むように過ぎ去ってゆき、体の芯まで凍えが伝わる。やはり今日もまだ寒い。
今日は祖父の三回忌のため家族で墓参りに来た。重い足取りで少しの階段を登りきったあと祖父の墓と対峙をした。じっくりと見てみるが、やはり以前のような生物的なぬくもりはなくただの石にしか見えない祖父の姿がそこにはあったが、少しの安心感がそこには存在していた。着いてすぐ地面いっぱいに広がった落ち葉を拾い、汚れた墓石を磨いていき、花瓶の水を入れ替えたあと純白な菊の花を添え、線香を立てかけた。
線香の香りが周りを包み込む中、私はじっくり手を合わせ目を10秒間瞑り何かに対して懸命に祈った。そしてゆっくり目を開けるとまばゆい光と墓石が現れ、わずかな哀しい気持ちが私を覆うとしていた。あるわけのない幼稚で非現実的な期待を抱いていたのだろうか。自分の気持ちにまた嫌気が差し、そこからすぐに去ろうとした。すると父が大声で「お供え忘れてる!」と教えてくれた。危なかった。祖父の好きなコーラとビッグマックを持ってきたのを忘れていた。
旨そうなビッグマックを墓に置いて少し待つことにした。そういえば祖父の最後に食べたかったものはビックマックだった。ただそれを言ったときはもう手遅れで口は動かず流動食のような柔らかいものを飲み込むことしかできなかった。今頃は空で喜んで食べているのだろうか?大層喜ぶ祖父の顔が多分そこにはあるだろう。そう思いたい。そうであってほしい。鼻先で寒さを感じながらふいにそう考えてしまった。
結構寒かったのでわずか5分でビックマックを墓から取り上げ、祖父母の家に帰った。やはり命日なだけあって祖父の話題が尽きない。食卓でビックマックついでに買ったてりやきバーガーを食べながら家族の話に花が咲く。
だが、やはり私はそこに物足りなさを感じた。それはいわずもなが祖父の存在であった。
私の左隣の席には祖父が座っていた。いつも3席あるうちの真ん中に私が座りよく甘えていたのを思い出す。せめて二十歳までは一緒にいれると思っていたのだが、別れの兆しは十三歳から出ていた。
祖父は脳腫瘍でだんだん当たり前の物事ができなくなっていった。初めは歩くときによく転び始めた。ただそれだけだった。そこでは私はまだ笑っていれた。そこから脚が動かなくなって、手と腕が動かなくなって、顔が動かなくなって、体が動かなくなっていった。そこでは私は少し心配になった。
そして、まるで全体が錆びていくように。年季の入った精密機械のように。流れるように衰え、急にいなくなってしまった。そこでは私は泣いてしまった。私が生まれてから15年の当たり前がそこで崩れてしまった。
興味のない昼ドラを一緒に見るのも、あまり好きではない芋ようかんを一緒に食べるのも今思うと幸せだったのかもしれない。その幸せが尊く恋しいものだと失ってから気づく。もう少し早めに気づけたらどれほど後悔が減ったか。戻らない過去に焦がれながら食べるてりやきマックはほんの少ししょっぱく感じてしまった。
祖父に供えたビックマックを豪華な部屋である応接間で食べた。冷え切ったハンバーガーも美味しいことに気づきながら周りを見渡すとレコードが視界に入ってきた。そうだ、祖父はよくレコードを聞いていた。私はこの応接間によく祖父と入り浸りマイケルジャクソンやビートルズなどを聞いていた。レコード棚を漁ると私のお気に入りだったサムクックのレコード盤を発見した。レコード盤に針を置くと洗礼されたトランペットの音にサムクックの力強い歌声と黒人独特のグルーヴが部屋全体に響き渡る。部屋の中が現代から1950年代のアメリカに様変わりしたみたいだった。スピーカーが震えるたび祖父の面影が隣に現れる。ウイスキーを片手にタバコを蒸す祖父の姿がその都度見えた。その空間を楽しみながら私はビックマックにかぶりついた。ちょうどコーラを飲み終わった時に演奏が終わりまた部屋が静寂に包まれ、私もまた一人になった。またあの面影を見たく次は祖父の好きなレコードを流そうとまたレコードの棚を漁った。そして見つけた。手に取ったのはクイーンのレコード盤だった。丁寧に取り出し年期の割には傷のないレコード盤を置き針にかけた。その瞬間フレディマーキュリーの高音が部屋に響き渡った。それと同時に曲に見惚れる祖父の姿も現れた。私は安堵した。束の間の楽園が現れた。しばらく聴いていると祖父のお気に入りの曲に移った。ドンドンタンというドラムの音が響き渡った。祖父は仕事仲間と共にこの曲を聴き足踏みと手拍子でこの曲に乗るのがすごく好きだったらしい。もちろん私と聞く時も一緒に足踏みと手拍子をしていた。私もつい最後までリズムに乗ってしまった。レコードが回り終わると寂しさが返ってきた。いつまでこれを味わえばいいのだろうか。こんなことをしても祖父は帰ってこない。わかっていても受け止めきれない自分がそこにはいた。祖父が死んだその日からいっそのこと全て忘れようとしている自分もそこにはいた。頭が重くなる。ため息が出る。ああ、まだ苦しい。ああ、もう寂しい。この思いから逃れようとするために新たにレコードを聴くためにクイーンの盤を片そうとカバーを持ち上げたその時だった。
カバーの中から一つの白い洋封筒が地面に落ちていった。
赤色の蝋が洋封筒にしっかりと封をしている。
その右下には祖父の名前である『健次郎』と書いてあった。私はおもむろに手に取り、名を二度見し、丁寧に封を開けた。そこに書かれた内容はこうであった。
「拝啓、誰かへ
昔は達筆と言われていた私の字も今では口で書いたように下手になっている。つい数ヶ月前にはできていたことももうできなくなっている。箸を持つと手が震え、階段を登るのも、椅子から立つのも一苦労。着実に自分の体がおかしくなっていることに気がついていた。いずれ文字を書くことも、もしかすると起き上がることすらもできなくなるのかもしれない。もしかすると急に死ぬかもしれない。そんな思いが不意にくる時もある。しかしながら私はそれでもいいと思ってしまった。死を思うと不思議と自分の人生を振り返ってしまう。野球に明け暮れた学生生活。銀行で働き大変な毎日。家族と食卓を囲む夕方。日々大変であったが幸せであった。十分であった。苦労もまた幸せの一部であった。悲しみも幸せの一部であった。私の人生全てが幸せであった。いや、そうなった。もうたくさん受け止めきれないほどの幸せをもらった。息子が初めて孫を連れてきた時も、夢であったスポーツカーに乗れた時も毎日見た家族の笑顔も一生忘れないだろう。もちろん悔いはあるが死ぬことに恐れなどはない。毎日が幸せなことに気づけて死ねるのだから逆にありがたいことだ。この手紙を見ている誰かに私は伝えたい。辛い時や耐え難く悲しい時がいつかはあなたの前にやってくるだろう。笑い飛ばせと妄言は言わない。しっかりと受け止めなさい。受け止めきれなかったら誰かに支えてもらいなさい。それでもダメならそれを背負いながら前を向きなさい。乗り越えなければ続きはなくそして時がたったらその辛さが苦しさが幸せになる時が来る。深い悲しみも巨大な辛さも背負っていればいずれは薄れる。私はそうやって人生を幸せに過ごしてきた。私の人生はここで終わるかもしれないがあなたの人生はまだ続く。私の中で抑えきれなかったこの人生の喜びをいつもを共にした大好きなクイーンの盤に潜める。あなたの人生に幸が増えますように。」
私は隣を見つめてしまった。それは祖父が私に語りかけている様だったからだ。顔から落ちる数々の涙は祖父への優しさゆえのものだった。やはり、上手だった。予見していたのであろう。なぜならばこのレコードを聴くのは祖父か私の二人しかいなかった。しばらくの間、鳥の鳴き声がする中で私は啜り泣きを続けた。涙と共に私の辛さが薄れていった。次第に決心がついてきた。
私はこの悲しみを寂しさを背負ってゆこうと心に決めた。いつの日か幸せに変わると信じて。応接間を出る頃にはもうあの寒さは無くなっていた。扉を開けるとそこには変わらぬ毎日が出迎えてくれた。私はそこにしっかりと歩んで行った。以前とは違う噛み締める足取りで。
『雪解け』
雪解け 愛田雅気 @yukimaro2007
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