第3話 変わらぬ絆と新たな生活

 世話役の引き継ぎは順調に進んでいった。

 これもひとえに、マディソンがシャルロッテに関することを細かく記録してくれていたおかげだ。


 注意事項の伝達をひととおり受けた後、リゼットはさらに詳しく知りたいことをマディソンに尋ね、それらを手帳に書き留めていく。


「他に、なにか僕に訊いておきたいことはありますか?」


「いいえ、大丈夫だと思います」


「もしなにか分からないことがあれば、家令のロドリグさんに相談してください。もちろん、僕に連絡してくれても構いません。すぐに返信できない時もありますが、できる限り早急にお答えしますので」


「分かりました。ありがとうございます」


「感謝するのは僕の方ですよ。こんなにスムーズに引き継げてホッとしました。この分なら、明日からリゼットさんに任せても大丈夫そうですね。──シャルロッテ、それでいいかい?」


「うんっ!」


 リゼットの隣でメモを取る真似をしながら絵を描いていたシャルロッテが、首を大きく縦に振った。

 そして胸をぽんっと軽く叩き、ドヤ顔で力強く宣言する。


「リゼットのおせわ、シャルロッテにまかせてっ!」


「いやいや、お世話されるのはお前の方だろう」


 間髪入れずマディソンがツッコむと、シャルロッテは「ちーがーうーっ!」と手足をバタバタさせて猛抗議した。


 ふたりの間には以前から親戚のような気安さがあったが、マディソンがシャルロッテの父親と幼馴染みだったのなら、この親しげな雰囲気も納得だ。


「はいはい、分かった分かった。後のことはシャルロッテに任せるから、そんなに暴れないでくれ」


「ふふん! どろぶねに、のったきもちで、いなさい!」


「泥船は沈むぞ。それを言うなら〝大船〟だ」


「ふぇ? そうなの、リゼット?」


「〝大船に乗った気持ち〟という言い方が正しいですね」


「わあっ、まちがえちゃったぁ! あはははっ!」


 両手を頭に当てて無邪気に笑う三歳児につられ、リゼットとマディソンも思わず吹き出してしまった。


 そんな大人ふたりを見てさらに笑顔になったシャルロッテは、先程からせっせとお絵かきをしていた画用紙をずいっとマディソンに差し出した。


「これっ、あげるっ! ありがとうの、ぷれじぇんと」


「シャルロッテ……! 僕の方こそ、今日までありがとうだよ」


 感激しながら受け取ったマディソンだったが、絵に目を落とした途端、なぜかスッと笑みを引っ込めた。


「これは……なにが描かれているんだ?」


「それねぇ、マディソンの、かおだよっ!」


「ええっ⁉ 嘘だろ……。僕はこんなブサ……個性的な顔じゃないと思うんだけどな。ほら、ここの尖った部分はなんだい?」


「みみ!」


「だとしたら、化物じゃないか!」


 大げさなマディソンの反応が面白かったようで、シャルロッテがキャッキャと楽しげに笑った。


 微笑ましいやり取りに、リゼットの顔も緩みっぱなしだ。


「まったく。僕はこんな顔じゃないけど……まぁ、ありがたくもらっておくよ」


 言葉とは裏腹にマディソンは絵を大切そうにしまい、それからリゼットの方へと向き直った。


「今日はもう上がっていいですよ。明日から僕の使っていた部屋に移れるように、荷物をまとめておいてください」


「分かりました。それではシャルロッテ様。明日の朝、また参りますね」


「うんっ! まってる! たのしみぃ!」


 ご機嫌なシャルロッテに微笑み返したリゼットは、部屋の外まで送るというマディソンとともにその場を後にした。


 廊下に出ると、マディソンが小さな声でそっと尋ねてくる。


「子供たちのこと、アレクシス様から聞きましたか?」


「はい。こちらに来る前に伺いました。辛いご事情の中でも明るく元気に振る舞っていらして、シャルロッテ様は本当にいい子ですね」


「ええ。あの通り元気の塊みたいな性格なので、振り回される時もありますが、すごく、すごく優しい子なんです」


 マディソンは穏やかな微笑みを浮かべ、リゼットに深々と頭を下げた。


「どうかシャルロッテを、よろしくお願いします」


 言葉と仕草から伝わってくる、マディソンの慈愛に満ちた想い。


 温かな気持ちを受け取ったリゼットもまた、「かしこまりました。お任せください」と深く頭を下げる。



 ──こうしてマディソンからリゼットへ。

 大切なお役目のバトンが、静かに渡された。




 荷物の整理がおおかた終わった頃、サフィーネが部屋に帰ってきた。


「あっ、おかえり、サフィーネ」


「ただい……ええっ⁉」


 荷造りをするリゼットと目が合った瞬間、サフィーネが血相を変えて詰め寄ってくる。


「ちょ、ちょっと、これなによ⁉ リゼット、辞めちゃうの? どうして? なにがあったの? あたしをひとりにしないでよぉ!」


「お、落ち着いて、サフィーネ。私、辞めるんじゃないの」


「え、そうなの? じゃあ、なんで荷物をまとめているのよ」


「今朝、急に旦那様からシャルロッテ様のお世話係を命じられて、明日から子供部屋の近くに移ることになったの」


「あっ、なぁんだ。そういうことか……。読み聞かせが日課になるくらいシャルロッテ様に好かれていたものね」


 納得したように頷くサフィーネだったが、すぐに表情は曇ってしまう。


「それじゃあ、もう……今までのように会えなくなるのね」


「そんなことないわ。同じ屋敷にいるんだから、いつでも会えるよ」


「うん……分かってはいるんだけど……。明日からこの部屋に帰ってきてもリゼットがいないと思ったら、なんだか寂しくなっちゃって……」


 途端にリゼットの胸にも寂しさがこみ上げ、うつむき言葉を失ってしまう。

 それを見たサフィーネが湿っぽい空気を払うように明るい声を発した。


「ああ、やめやめ! あたしらしくないこと言っちゃった、ごめんっ! お腹が空いて暗い気分になっちゃったみたい」


「まかないをもらってきてあるから、すぐに食べられるよ」


「さっすがリゼット、気が利くぅ~! 急いで着替えてくるわね!」


 ほどなくして私服に着替えたサフィーネが戻ってきて、ふたりはいつも通り向かい合って席に着く。


 今日の夕食はしくも屋敷勤め初日のメニューに似ており、オムレツと肉の香草焼きだった。


「オムレツは黄色いから安心できるけど、このお肉って……まさか例のイッカクジカじゃないわよね?」


「大丈夫、それは豚肉。あっ、そうだ。さっき厨房に寄った時にサフィーネの食事のことを頼んでおいたから、野生の食材は避けてくれるはずだよ」


「うぅ……ありがとう! 配置転換で忙しいのに気を遣ってくれて。同期がリゼットじゃなかったら、あたし今日までこのお屋敷でやっていけなかったかも」


「私も同じだよ。サフィーネがいなかったら、毎日こんなに楽しく働けなかった。部屋は別になっちゃうけど、これからも仲よくしてね」


「当たり前じゃない! あたしたち、このお屋敷でたったふたりの女性使用人だもの。それになにより、もう親友だしね! なにか相談事や愚痴を言いたくなったら、いつでもここにおいで」


 優しい友の言葉に心がホッと温まる。


 いきなり慣れない世話役の仕事を任され、正直、不安な気持ちもあった。

 けれど、私はひとりじゃない──そう思えるだけで、肩の荷が少し下りた気がする。


「ありがとう、サフィーネ」


「まぁ。愚痴を吐き出しにきても、いつの間にかリゼットが聞き役になっているかもだけど!」


「フフッ、そうかもね」


「ちょっと、そこは否定しなさいよ!」


「ごめん、ごめーん」


「なによ、適当な返事しちゃって、もう‼ …………ぷっ」


「……フフッ」


「「あははっ!」」


 リゼットとサフィーネは顔を見合わせて笑い出し、その日の夕食はいつにも増して賑やかに、そして楽しく過ぎていった。




 シュヴァリエ伯爵家での暮らしは、まだ始まったばかり。

 キッチンメイドから世話役へと転職したリゼットは、明日からまた新たな日々を歩みはじめる。


 今度はどんな人と出会い、どのような〝想い〟に触れるのだろうか。


 わけありメイドの織りなす温かな日常は、これからも続いていくのだった。





✼••┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈••✼


ここまでお読みくださり、誠にありがとうございました。


こちらの作品は、カクヨム恋愛小説大賞【ナツガタリ'25】大人の異世界スローライフ部門に応募しておりますため、ここで一旦の完結とさせていただきます。


連載中の応援とても励みになりました。

本作をお読みくださりエールをくださいました皆さまに、心より感謝申し上げます。


コンテストが終了いたしましたら更新を再開する予定でおりますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

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