第2話 リゼットの決意
翌朝、執務室に現れたコンラートは、すでにおおよその事情を知っていた。
どうやらロドリグが昨夜のうちに彼のもとを訪れ、説明を済ませてくれたようだ。
ならば話は早いと、アレクシスは単刀直入に問いかける。
「リゼット・メイエールが厨房を離れた場合でも、シャルロッテの食事は今まで通りに提供できるだろうか」
「ご安心くだせぇ。実は自分らもメイエールのアイデアに刺激を受けて、彩りや食べやすさを意識した料理を作るようになりやして。引き継ぎもしっかりやり済ませますんで、問題ありやせん」
「分かった。では持ち場へ戻り次第、彼女に軽く事情を説明し、ここへ呼んでくれ。これからも厨房は任せたぞ、コンラート」
「ハッ! 失礼しやす!」
コンラートは敬礼し機敏な動きで出ていった。相変わらずアレクシスの前では軍人時代の癖が抜けないようだ。
そうしてまもなく執務室にやってきたリゼットに、アレクシスは例の辞令を言い渡したのだった。
꙳✧˖°⌖꙳✧˖
「リゼット・メイエール。君に──転職を命じる」
唐突な雇い主の言葉に思考が止まり、リゼットはその場に立ち尽くしてしまった。
──『転職』ということは、つまり……。
「く、クビ……ということでしょうか? わ、私……なにか粗相をいたしましたでしょうか?」
動揺のあまり身を乗り出して尋ねると、アレクシスは眉をわずかにひそめ、怪訝そうにこちらを見た。
「クビ? 一体なんのことだ?」
「い、今、転職とおっしゃいましたので……。てっきり遠回しに解雇を言い渡されたのかと……」
「それは誤解だ。君に辞められては困る。まさかコンラートからなにも聞いていないのか?」
「は、はい。特に説明はなにも。『旦那様がお呼びだ。重要な用件だからすぐに行け』とだけ……」
「はぁ、あいつ……。確かに〝軽く〟説明してくれとは言ったが、言葉足らずにもほどがある」
アレクシスはやれやれといった様子で呟くと、リゼットを呼んだ経緯を一から丁寧に説明してくれた。
いわく、彼の告げた『転職』とは〝職場〟を変えるのではなく、〝職務〟をキッチンメイドから変更するという意味だったらしい。
なんでもシャルロッテの強い希望により、このたびリゼットは世話役を任されることになったのだという。
(クビじゃなかったんだ。あぁ、よかった……)
リゼットはホッと胸を撫で下ろした。
「世話役の引き継ぎを終えたのち、マディソンは軍に復帰し、屋敷を離れることになっている。君には現在の使用人部屋を出て、マディソンが使っていた子供部屋の近くの居室へ移ってもらいたい。いいだろうか?」
「マディソンさんがお屋敷を……? は、はい。かしこまりました」
世話役はマディソンとともに務めるものだと思っていたため、彼がいなくなるという予想外の話に、リゼットは驚きと戸惑いを隠せなかった。
その動揺を察したのか、アレクシスが言葉を続ける。
「マディソンは他の使用人とは違い、現役の軍人だ。フェリクスとシャルロッテの父親とは幼馴染みで、子供たちも懐いていた。そのためふたりを引き取るにあたり、一時的に屋敷に来てもらっていた」
「そのようなご事情だったのですね。あの、旦那様。〝フェリクス〟様という御方は……?」
おずおずと尋ねると、アレクシスは意外そうに訊き返してくる。
「シャルロッテかマディソンから聞いていないのか?」
リゼットは「はい」と小さく首を縦に振った。
ふたりとは毎日のように顔を合わせていたが、リゼットは厨房の仕事があるため、読み聞かせが終わると急いで子供部屋を出なければならない。
シャルロッテとは絵本の感想を語り合い、マディソンとは翌日の打ち合わせをする程度で、それ以上踏み込んだ会話をする余裕はなかったのだ。
ただ、読み聞かせの最中に一度だけ、シャルロッテが「おにぃちゃん」と口にしたことがあった。
気にはなったものの、一介の使用人である自分が立ち入ってよいことか分からず、尋ねるのは控えていたのである。
そう説明すると、アレクシスは状況を理解したと頷き、「フェリクスはシャルロッテの二歳年上の兄だ」と教えてくれた。
ふたりはアレクシスの部下だったハンフリーという方の子供だという。
しかしその方が亡くなってしまい、今まで子供たちと暮らしていた彼の妹も事情があって面倒を見られなくなってしまったらしい。
そこでマディソンから相談を受けたアレクシスは、施設に入るしかなかったふたりをシュヴァリエ伯爵邸に住まわせることにしたのだそうだ。
「フェリクスには家庭教師をつけているため、君はシャルロッテの世話に専念してほしい。この後は厨房には戻らず、子供部屋へ行きマディソンから引き継ぎを受けてくれ。急な配置換えですまないが、シャルロッテをよろしく頼む」
「かしこまりました。誠心誠意お仕えさせていただきます」
一礼して執務室を後にしたリゼットは、子供部屋へ向かって歩き出した。
独身のアレクシスの屋敷に暮らす、ふたりの子供たち。
(なにか事情があるのだろうと思っていたけれど、こんなに辛い事情があったなんて……)
三歳のシャルロッテがどこまで現状を理解しているのかは分からない。
けれど不安や寂しさは皆無ではないはずだ。
──おそばに仕える者として、これから精一杯お支えしよう。
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