代行退職

渡貫とゐち

第1話


「――君はクビだ」


 社長から直々の命令だった。

 珍しく……というか初めて社長室に呼ばれ、もしかして昇進の話かもしれないとウキウキしていた数秒前の自分を殴りたい、と、若手社員は苦虫を嚙み潰したような顔を浮かべる。

 ……そんなわけがないだろうに。


 数日前のことを思い出せ。

 大きなミスをしただろう? だから――仕方のない処罰であるとも言えた。


「ま、待ってください! 次は失敗しません! ですからもう一度だけ、チャンスを……っ」


「ダメだ。これは会議で決まったことだからな……君はクビだよ。荷物をまとめてすぐに会社から出ていくように。退職の手続きはこちらでしておくよ――」


「そんな……っ、社長! こんなの――不当な解雇ですよ!!」


「そうかね? 元々、利害の一致で雇い、雇われた関係性のはずだが。片方が利害に納得できなければ契約を切ろうとするのは当然の権利ではないかね?

 たとえば、君は好きなタイミングで退職をすることができる……法律上はいつでも可能だろう。まあ、二週間前には言ってほしいがね。それと同じで、君を切ることを我々はいつでもできるわけだ。

 今回は君が大きなミスをした、だから二週間後に辞めてくれとは言えないが……、ああ、有給が残っているなら消費してから退職してもらって構わない」


 粛々と進んでいく事務手続き。

 若手社員がなにを言ったところでもう…………


「社長、もう覆りませんか……?」


「残念ながら、無理だろう。君のクビは決定事項だ」


「でしたら――『代行退職』を使わせてください!!」


 まるで、探偵を呼ばせてください、のような言い方だったが――

 ともかく、退職代行? と社長が首を傾げた。


「いや、こうして直々に退職を促しているのだから、代行するもなにもないんじゃ、」

「それは退職代行ですよ。僕が言っているのは代行退職です」


「……なにが違うのか、私には分からないが……」


「代行退職は、退職自体を代行してくれるんですよ。たとえば僕をクビにする、という権利を消費するため、別の誰かに代行を依頼することができます。

 ……知りませんか? この会社にもそういう別会社の契約が入っているはずですけど」


「……確認してみよう」


 社長が連絡を取り始めた。

 副社長、幹部――幹部の中でも毎日支部まで移動し、本部と現場を行き来するような、下から数えた方が早い若幹部まで連絡がいったところで、発覚した。

 代行退職支部がある。


 そこには少なくない人員がきちんといて、会社に必要な仕事を任されていた。

 と言っても、彼らがいなくなったところで問題はない。ただぼーっと一日を過ごされても困るため、退屈を作らないために振っている仕事であった。


 彼らの仕事は別にある。


 そう、代行退職支部の人間は、である。


「こんな部署がうちにあったのか……」


「あ、知らなかったんですね……逆に、末端にいる人間ほど知っているのかもしれません。せっかくですから、代行支部を利用します。

 僕のクビを、代行支部の誰かに代行してもらいますから――」


 若手社員が連絡をした。社内メールではなくスマホのメッセージアプリだ。

 まるで友達感覚で……。つまり、代行支部との距離感がかなり近いのだ。


 若手社員が用件を伝えると、代行支部の社員がすぐに社長室に飛んできた。


 控えめなノックがあり、扉が開いた。

 入室したのも若手社員である。

 当然ながら、社長には見覚えがない青年だった。


「初めまして、代行退職支部の佐々木(ささき)と申します。彼――清志(きよし)さんの退職の代行を、わたしが勤めさせていただきます。

 では、私がすぐに退職を致しますので、清志さんのクビ案件についてはこれで消化された、ということになります」


 会社の人間をひとりクビにしたという事実は変わらない。

 そして、大きなミスをしたから、その原因を作った張本人をクビにした、という理由も今回の代行で使えなくなっている。

 ゆえに、別の理由でクビ宣告をするとしたならば、不当な解雇であると裁判を起こされた場合、会社側は確実に負けるということだ。


 代行退職とは。


 ……誰かをクビにする権利を、確実に潰すためにある。


「わたしがクビになりますから、清志さんを正当な理由なくクビにすることはできません――」


「佐々木さん……だったかな……、君はそれでいいのか……?」


「? はい、もちろんです。これがわたしの仕事ですからね。

 ――代行退職。わたしたちはいつだって辞められますよ」


 そして、宣言通り、代行退職の佐々木氏が即座に退職した。


 颯爽と、後腐れなく、爽やかに彼が会社を去っていった。


 代行である。

 彼が消えたところで会社に悪影響はなにもなかった。


 トカゲの尻尾切りでもない。まるで退職者が幻だったかのように、クビになるべきひとりがただただクビにならずに会社に残るだけだった。


 ……結局のところ、なにも改善されてはいないのだが……。


 一度、クビ宣告を受けた若手社員に一応のプレッシャーを与えることはできているのだ。

 彼の前向きな成長に期待するしかない。


「社長、安心してください……同じ失敗は二度と繰り返しません!」

「まったく別の失敗はしますけど、なんて言わないでくれよ?」


「………………」

「嘘でもいいから否定してくれ! がんばります、でいいんだからさ!」


「しかし、社長……痛みを伴わなければ学びませんし、改善もされません。失敗はあって当然だと思った方がいいです!

 完璧超人ばかりを求めていたら、新卒も中途採用も絶滅しますよ。ある程度の失敗は受け入れてください……社長なら尻拭いできますって!」


「会社が傾くような失敗を何度も何度もされたら困るんだが!?」



 代行退職……、これって、社長が責任を取る場合も代行してくれるのだろうか?


 ――と、社員を前に頭を抱えた社長が思ったのだった。





 … おわり

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代行退職 渡貫とゐち @josho

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