日付変更戦

@xbjpujn

第1話

七回目のスヌーズでやっと目を覚ます。時刻は午前八時三五分。すでに部屋の中ではおもちゃの宝石みたいにキラキラした日差しが元気に跳ね回っている。

気づけば季節はとっくに冬に差し掛かり、朝は布団をかぶっていても肌寒さを感じるようになってきた。今日は水曜日。一限目からしっかりと授業の予定が入っている。一限は九時から開始となっているのだが、なに、そんなに焦ることはない。下宿から大学までは徒歩五分もかからない距離。そう、五分もかからない距離なのだ。

しかし、大学に向かうまでの一歩目どころか起床への一歩目すら踏み出すことが出来ない。どうもこの体が動こうとする気配を見せてくれない。原因は単純明快で分かり切っている。悪魔に襲われているのだ。それはもうとんでもなく強烈な睡魔に。

瞼は開いているのだが、網膜に光が当たってもそれを情報として処理することができない。俺の眼球はアルバイトの塾講師みたいに働いているふりをしているだけで与えられた役割すら果たしてくれない。

その上、思考してから行動に移るまでに数秒のラグがある。まるで身体と頭の間に通信制限がかかっているみたいだ。こんなコンディションの中朝の支度を済ませろというのも無茶な話である。

ここまで寝起きの脳の活動が鈍いのは俺だけなのか。それとも全人類がこんなおぞましい眠気と毎朝戦っているのか。この孤独で侘しい戦いの報酬で三文しか得られないなんてことが本当にあっていいのか。頭が働かないのでどうでもいい考えがグルグルと巡りめぐる。

この世には寝覚めが良いことを得意げに自慢している人間がごくまれに存在するがそんな奴ははっきりいって超能力者に片足を突っ込んでいる。いや、違う。そんな皆の羨望の対象になるようなものでは断じてない。

ヒトをヒトたらしめるものは思考だ。我々は思考をするからヒトであり、ヒトであるからこそ思考をする。そんなヒトが唯一思考を止めることが出来る睡眠はこの穢れにまみれた現世でヒトがヒトでなくなることを許される言わば免罪符と言っても過言ではなく、毎朝布団から出まいと努力を重ねている俺は免罪符にすがりつく敬虔な信徒と本質的に変わりが無いのだ。

つまりわざわざ無駄に労力を要して眠気を振り払い、健康的な生活を送ろうとしている人間達は異端者であるとここで断言しよう。

こうなると寝坊という言葉が存在していることが異常だとは思わないだろうか。寝坊だと?まるで社会が異端者を中心に作られているみたいじゃないか。異端者は少数派であるから異端なのであってそんな少数派を中心に据えた社会なんてものはあってはならないのだから。どうにか世の中の意識の方をアップデートして頂きたい。

ちなみに俺が少数派である可能性に関しては一ミリ秒たりとも考えたことがないためここでは除外する。

だがしかし、この俺の不断の努力が遅刻としてカウントされてしまっているという事実には目を向けなければならないだろう。

もしかするとこれは朝が弱いということになってしまうのか…………………………

危ない、意識を失うところだった。

いや、そんなわけはない。そんなふざけた思想は即刻唾棄すべきだ。俺が朝に弱いのではなく一限の開始時間を設定した人間が異常に朝に強かっただけだろう。

そもそも俺は寝過ごしたことは数えきれないほどあるが、二度寝をしたことは片手の指で数えられるほどしかない。これはつまり俺の怠惰を示しているのではなく明確に睡眠時間が足りていない証拠ではないだろうか。身体から睡眠を要求されている。警報が鳴っているわけであってそれを無視して活動したところで大した成果が得られるとは到底思えないのだ。夜の時間が短すぎることに関するクレームはどこに叫べばいいのですか?国か?地球か?それともガリレオ・ガリレイか?

だが、だがもし、もし本当に我々のような種族を朝に弱いと分類したならば朝に弱い奴とは人間として弱者すぎやしないだろうか。朝に強い人間と比較すると弱い人間は約一時間半の睡眠時間を追加で必要とするとしよう。一時間半、月で換算すると四十五時間。約二日だ。一年で換算したなら五百四十時間。二十二日間も睡眠というタスクに時間を削られてしまっている。これまでの人類史において成功者の中にロングスリーパーはいたかもしれないが朝に弱い人間はいなかったのではなかろうか………………………………………………

いや、まてまて。弱気になるな。危うくまたも意識を飛ばすところだった。気を確かに持つんだ。

人間ある程度弱さを持っていた方がチャーミングだという考え方もある。創作においてキャラクターを作るときは同時に弱点を明確にして親しみやすくなるというのも有名な話だ。

そうだ。強いことが良いことだという考え方がまず間違っている。そんな考えは人生を不幸に導く。そうやって目先の数字やら勝利やらにこだわるからお前たちはダメなんだ。人生の伴侶には自分の弱さを見せられる人でなければ上手くいかないというのも定説だろう。

完全な人間には不完全さが足りないというのは偉大な生徒会長が教えてくれたことだ。

努力によって成りたい自分を形作るとか、強さが幅を利かすふざけた時代はもう終わらせていいか?

そもそも皆強さを見せつけて誰に何をアピールしているんだ。

どれだけ自分を研磨し自らの輝きを増そうとしたところでお前の本質の弱さが無くなるわけでは無かろうが。俺からすれば自分磨きというのは磨いているのではなく、削っているだけにしか思えない。

結局のところ俺が言いたいのは本当の自分らしさとは弱さの中にこそ存在しうるものではないだろうか。弱さこそがアイデンティティとして自己を確立するもの、自己を担保するものだ。己を見失うな!自分自身の弱さに向き合え!この世界には弱くない人間などいないのだから。弱さを誇ろう。

いやこれも違う。こんな新年の抱負のように薄っぺらな人生観を語っている場合ではない。学校に行かなくては。

そもそも別に俺だって大学に行きたくないわけではない。当たり前の話だが自分の意思でこの大学に入学したのだから、好き好んで遅刻しているわけではない。俺だって入学当初は模範的大学生を目指し、無遅刻無欠席を目標に掲げていた。が、しかし現実はそう甘くはない。一人暮らしというものがどれほど恐ろしいものなのかようやく理解してきた。

一人暮らしはダメ人間製造機であるという意見もあるが真相はそうではなく、ダメ人間の素養を持った者が一人暮らしをすることで本当にダメな人間が誕生してしまう。一人暮らしとは怠惰増幅器なのである。二酸化炭素と部屋の隅にたまった埃を原料に怠惰エンジンを噴かすのだ。

しかし、もうこのエンジンを止めなければならないようだ。なぜならこれもまた単純明快。そろそろ出席回数が足りなくなってしまうからだ。そうだ。こんなところで単位を落としている場合ではない。

単位だけは取っておかなければ俺は大学生という肩書すら失ってしまう。この社会に適合できるギリギリの怠慢が許される人生最後の舞台を自ら手放すわけにはいかない。

もう目を覚ますことに拒否反応が出る体になってきたがここで引く俺ではない。明日への扉を開くため、大学生であり続けるため、学校に行くためではなく明るい未来を切り開くため上体を起こす。

なんだ、起きると決めたら簡単じゃないか。いつも以上にすんなりと起き上がった体に若干の違和感を覚えつつ閉じようとする瞼を気力のみで押し広げる。この期に及んでもあと何分の猶予があるのか確認せずにはいられない。机の上の置時計に目の焦点を合わせる。時刻は午前11時20分。

二度寝するか………………………………………………

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