この物語はフィクションです。
@mazurapu
この物語はフィクションです。
『皆様こんみやび〜』
柔らかい声が鼓膜を揺らす。語尾が上がっていたのが印象に残った。
スマートフォンの画面には、ゆったり左右に揺れる、2Dアバターが映し出されている。胸のあたりまで伸びる明るい青緑色のロングヘアー、ケモみみ、緑と黄色のオッドアイ、そして大きなリボンが特徴的な女の子だ。
いや、これはネクタイなのだろうか。よくわからない。
心の中で謝罪しておく。
いや、そんなことはどうでもいい。
『宣伝画像持ってくるから、ちょっと待ってね〜』
しばらくすると、画面には『書き終わったら是非ポスト!』などとという文字が表示された。
『はい、今日の企画概要はこちらです!』
今回の配信は、視聴者からの短編小説を投稿してもらい、それを配信中に読むという趣旨のものだ。
募集する小説の条件は“指定された3つのキーワードを含む、5000字以内である”こと。
『今回のお題難しい? みんながんばって〜』
ふんわりとした声にも、私の心が和むことはなかった。胸に痛みを感じるほど、心臓は早鐘のように激しく脈打っている。
1週間前、私もこの企画に小説を投稿した。
いや、投稿してしまった。
小説など久しく書いていなかった。数年前に好きなアニメの二次創作を書いてっきりだ。
しかしお題を見たら、ついついアイデアが浮かんでしまったのだ。
試しに電車の中で指を動かしてみたら、降車駅前に書き切ってしまったので、結局公開することにした。
『最近、見にきてくれた方になんて言おうかなって思ってるんだよね〜。でも“おいでやす”は違うじゃん笑』
画面の彼女は、耳をぴょこぴょこさせながらリスナーとの会話に興じている。
どうやら、投稿作品を読み始めるのはまだ先のようだ。
__これ別に面白くないから。小説家はやめなさい。
まただ。
「いたいいたいいたいいたいいたい」
注射の時に痛いと言えば痛みが和らぐというやつを、心にも応用できるかなと思い試していたら、いつの間にか癖になっていた。別に特段効果は感じない。せいぜい、黙って何もしないよりはマシな程度だ。
「はぁ」
やっぱりやめておけばよかったかもしれない。
しかし、書いてしまったからには、どうしても気になってしまう。
まぁでも、配信者は外面が大切なんだから、はっきり否定的な言葉を使う可能性は低いと思う。人柄も温厚そうだし。そもそもこんな企画をするくらいなのだから、つまらない作品のあしらい方だって心得ているはずだ。
だから大丈夫。大丈夫。
「……はぁ」
初めて見る相手になんてことを考えているんだ。自己嫌悪でまた溜め息が漏れる。
『え〜と、まずカナデさんからかな?』
「ッ!」
自分のハンドルネームが呼ばれて、意識が鋭くなる。
ついに投稿作品を読み始める時間になっていたらしい。
『じゃあ読んでいきますね』
胸が締め付けられる。
『ふんふん』
どうやら読みながら独り言を口ずさむタイプのようだ。
『あ〜〜』
これはどういう感情なんだ?
心が言葉の色を判別しようと動き出す。
その瞬間。
『面白い!』
え?
耳を疑った。
私の小説が、面白い?
『カナデさんのこれめっちゃいいぞ!』
思考がまとまらない頭に、興奮気味の声が響く。
『キーワードをこう使うんですね〜!その発想はなかったな〜』
1つ1つの音が、心に染み込んでいく。
『今から感想を書いてリポストしますね〜』
まだ話し続けているが、何を言っているのかうまく聞き取れない。
画面がぼやけて、よく見えない。
さっきまでとは違う、心が喝采をあげるような鼓動に、胸が苦しい。
でも嫌じゃない。
温かくて……なんだかむず痒い。
「そうか……」
自分の作品が面白いと言われて、嬉しいんだ。
それを自覚すると、胸から何かが込み上げてきて、目頭がよりいっそう熱くなった。
「こんなに、嬉しかったんだ……」
自分の書きたいものを書いているだけなんだから、誰に何を言われても、大丈夫。
誰からも反応がなくても、批判されるよりマシだから、大丈夫。
そもそも自分には才能がないんだから、批判されるのなんて当たり前だし、大丈夫。
そうやって自分を守ってきた。
だって自分の物語を否定されるのって、辛いじゃないか。
刃物で刺されたかのように痛くなる。
水底に落とされたかのように苦しくなる。
自分の無価値さを突きつけられたかのようで、消えたくなる。
しまいには創作から自分を遠ざけていた。
書かなければ、傷付くことはないから。
それでも1週間前の私は、小説を書いていた。
あまつさえ企画に投稿していた。
脳は、動きを言葉を感情をとめどなく吐き出し続け、指は何かに取り憑かれたかのように画面を滑り続けた。
それは、自分の作品を誰かに認めてもらいたい、「面白い」と言って欲しいという気持ちが、心の奥底に眠っていたからなのかもしれない。
この温かさを求めて、心が体を動かしていたのかもしれない。
期待したら期待した分、裏切られた時に傷付くって、痛いほど分かっている。
それでもやっぱり、期待せずにはいられない。
自分の物語が、誰かに届くことを。
面白いと、言ってもらえることを。
物語を描くことは、こんなにも楽しい。
それを彼女は、気づかせてくれたんだ。
「……ありがとう」
熱いものが頬を伝った。
***
『それでカナデ先生は小説を投稿し始めたんですね〜』
『そうですね。彼女がいなかったら、今日桐原さんとこうやってお話しすることもなかったと思います』
『それは感謝しなきゃですね〜』
『全くです』
『なんだかありふれてますね』
『辛辣すぎません?』
『まぁでも気持ちはわかりますよ。私も……憧れの人に声を褒められて、もっと頑張ろ〜って思いましたし』
『ブーメラン返ってきてますけど』
『先生』
『はい』
『ありふれているからといって、陳腐とは限らないんですよ』
『小説家よりうまいこと言うのやめてもらえます?』
『でもまぁ、今振り返ってみると、あの頃は青かったと思いますね〜』
『と言いますと?』
『他人の批判を気にしたり失敗を恐れたりして、前に進めてなかったです。人生は一度きりなんだから、もっと気にせず自由に行動していればよかったなぁと』
『最初からそれできるのは、頭のネジが外れている人だけですよ』
『その発言大丈夫ですか?』
『それにほら、ウジウジ悩んでいたからこそ、そのVtuberさんに出会えたわけじゃないですか。ウジウジしてて正解だったってことですよ。よっ!ウジウジ先生!』
『エモいこと言いながら刺すのやめてくれません?』
『知らないんですか?これがてぇてぇってやつですよ〜』
『多分参考にするVtuberを間違ってると思いますよ』
『それで結局、そのVtuberさんって誰なんですか?』
『実はこのあと、その方の記念配信があるんですよ!』
『このあとって、もしかして放送日的にですか?』
『そうなんです!しかも10周年ですよ!』
『すごい偶然!それはお祝いしなきゃですね〜』
『私もスパチャ投げますよ〜!青色の!』
『あれ?赤じゃないんですね?』
『彼女のイメージカラーは、青なので』
『なるほど〜』
『まぁ知りませんけどね』
『知らんのかい』
『それくらい知らない人からの言葉でも、1人の人生を動かす力があるということですよ』
『なんか良い話風にまとめてますね』
『何せそろそろ配信開始の時間ですからね。みなさん!こんな番組はもういいので、配信待機に向かってください!』
『こんな番組って言うのやめてくださいね』
『ではそろそろ、お別れのお時間です〜』
『ありがとうございました』
『いやぁ、それにしても、先生がこんな美人さんだったなんて、驚きましたよ〜!』
『いえいえ。それを言うなら、桐原さんもお綺麗ですよ』
『お世辞は大丈夫ですよ〜♪』
『本心ですよ。それに、やっぱり声も素敵ですね』
『へ?』
『キャラクターに声を当てられているときももちろん素晴らしいお声なんですけど、普段の話し声も柔らかいのにハリがあっ聴き心地が良いと言いますか。聴いてて飽きないですし、なんならずっと聴いてたいなぁなんて。あっ、すいません長々と』
『……』
『えぇと……桐原さん?』
『……ひゃぅ……』
『え?』
『うわぁああぁぁあぁん耐えられると思ってたのにぃぃいいぃぃ!!!』
『桐原さん!?』
『大好きなカナデ先生に会えるって先月からテンション上がりまくりでここ1週間は全然眠れなくて、でも多分男性だろうしそうだったら変な噂立たないようにしなきゃだし私が好きなのはあくまで小説だから見た目がアレでも幻滅しないようにしなきゃとか思ってたのに……女性で、しかもこんな美人で美しいなんて反則だよぉおおぉぉぉぉお!!!』
『あの……』
『でもニヤニヤしてたら気持ち悪いしデキる女でいたいしで必死に堪えてたら辛辣発言botになっちゃうしでも先生は笑顔で合わせてくれるしそれ見てうわぁごめんなさいっなっちゃってたら極めつけに声まで褒めてもらえちゃうし……こんなの、抑えられるわけないよぉぉぉおおぉぉぉ!!!』
『……』
『うぅ……キモくてすいません死にます……』
『……嬉しいです』
『ふぇっ!?』
『私も桐原さんのことは、声優としてだけじゃなく1人の女性として素敵な方だと思っていました。そんな桐原さんにそう思っていただけてたなんて……なんだか夢見たいです』
『あわ……あわわ……』
『改めて、握手をお願いしてもいいですか?』
『こっ、こちらこそですぅぅうううぅ!あとできればサインもお願いしますぅうぅぅ!』
『はい。喜んで』
『うわああぁぁっぁっぁぁぁあああぁああぁ!!!!』
「……何これ神回じゃん。来週も聞こ」
椅子に座ったままで伸びをして、体をほぐす。
カナデ先生が出演したと聞いて、執筆の休憩中に聴いてみたが、面白くて途中から聴き入ってしまっていた。
良い息抜きのお供を見つけられた。アーカイブが無期限で動画投稿アプリに残るタイプなのも嬉しい。
「あ、そういえばさっき言ってたVtuberの配信、このあとなんだっけ。ちょっと見てみようかな」
再びスマホを手に取り、画面をスクロールしてみる。
特に検索せずとも、目的のものらしき配信はすぐに見つかった。
「あ、これかな」
“10周年記念!3D朗読生配信!!”と大きく書かれたサムネをタップする。
画面には、元気に両腕を振る、3Dアバターが映し出された。
胸のあたりまで伸びる明るい青緑色のロングヘアー、ケモみみ、緑と黄色のオッドアイ、そして大きなリボンが特徴的な女の子だ。
『皆様こんみやび〜!』
この物語はフィクションです。
今はまだ。
この物語はフィクションです。 @mazurapu
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