第21話 記憶の深海へ

――武装探偵社・社長室


福沢「……菊間」

菊間「はい、社長」

福沢「重要なものを“読む”のならば、静かな場所が良かろう」

菊間「……ありがとうございます。必ずや、真実を――」

福沢「解っている。皆まで云うな。……期待している」


福沢が去った社長室の机には、坂口 安吾から預かった茶封筒、菊間の手帳と万年筆。


「さて……始めましょうか」


菊間は、やけに強い独り言を呟く。

黒い革の手袋を外し、菊間が茶封筒に手をかける。


――ガチャ


「やぁやぁ〜菊間くん! どう? 順調?」


コーヒーを片手に、“いつも通り”の太宰が現れた。

そして後ろからついてきたのは、コーヒーカップが二つ乗った盆を持った国木田。


国木田「はぁ……調子に乗るな、太宰。……菊間さん。お邪魔でなければ、俺たちも同席させていただければと」

太宰「もう〜国木田くんは、お固いんだからぁ〜。私は、菊間くんの“脳”のために、差し入れを持って来てあげただけではないかぁ」

国木田「お前がお茶したいだけだろ!」


菊間「太宰くん、国木田くん。お気遣いありがとうございます。……探偵社ここは、温かいですね」

太宰「そう。温かいよ、このコーヒーのようにね」


太宰は湯気の立つコーヒーカップを一つ、菊間の左側にそっと置いた。


国木田「くれぐれも……無理はなさらず」

太宰「大丈夫。何かあっても、私がいる。……さぁ、そろそろ始めようか」


太宰の声が、わずかに低くなる。

それを聞いた菊間は、背筋をさらに伸ばし、茶封筒に再び手をかけた。

菊間を見つめる二人の眼には、優しさと、そして“仲間を守る”という強い意志が宿っていた。


菊間「……では、始めます」


菊間は茶封筒から書類の束を取り出し、白く長い指先を活字に添わせた。

社長室には、三人の呼吸音だけが響く。


「異能力――我脳異常也わがのうはいじょうなり


途端に、菊間の指先から濃紺の強い光が放たれ、彼を包み込む。

太宰と国木田は、目をしかめた。

菊間の触れている紙から活字が浮き上がり、指を伝い脳内に情報が吸い込まれていく。

菊間は目を閉じたまま、微動だにしない。

その姿はまるで、彼が生身で海に沈んでいくようだった。


太宰(……この集中力――もはや深い海の底へ“潜っていく”時間。やはりこの異能は……彼にしか使いこなせない)


菊間を眺める太宰の横で、国木田は記録の内容に注目していた。


国木田(こんな古びた記録……写真もボロボロ、色褪せも酷い。ここから、如何にして“脳を読む”というのか……恐るべし異能だな)


菊間「――うぅっ……これ、は……叫び声……?」


突然、菊間の身体がガタガタと震え出す。

そして、徐々に呼吸は荒くなり、彼は肩を大きく揺らしながら額に汗をかき始めた。

菊間の目の前には、記録から読み取った黒い光景が広がっていた。


太宰「……菊間くん?」


心配する太宰の声は、もう彼には届いていない。

彼の意識は既に、“黒影”の記憶の奥底に引きずり込まれていた。



――目の前には、病院らしき建物の廊下。


下を見ると、幼い裸足が、血まみれの床を踏んでいた。

鼻をつくアルコールの匂い。

小さな手と、入院着のような服にも、誰のものか分からない血液が付いている。


「九曜くん。――君は、あんなふうになっちゃダメだよ」


僕は、隣に立っているおじさんに、そう言われた。

誰なのか、ここがどこなのか、分からない。


廊下に倒れているのは、僕と同じ歳くらいの子ども。


「ねぇ、あの子は、“失敗”したの……?」


僕の口から勝手に言葉が出た。

おじさんは、何も言わず、こくりと頷いた。



――廊下が、急に真っ暗になる。


窓の外から、うっすらと光が差し込むだけ。

また、血まみれの廊下。

今度は、子どもも大人も、白衣もスーツも、いっぱい倒れている。


あれ……なんで僕だけ、生きてるの……?


僕は、ひんやりした何かを手に握っていた。

手を開くと、黒い注射器。

汚れているけど、まだ使えそうなもの――



――


「はぁ……はぁ……っ」


菊間の肩は、明らかに大きく揺れている。

手は小刻みに震え、顔色は蒼白だった。

だが、その左手は資料の上に、右手は万年筆を握りしめたまま。


「菊間くん……一旦休むかい?」


太宰はコーヒーカップの位置をずらし、菊間を覗き込む。

国木田も、すぐに立ち上がり、菊間の様子を伺う。


「無理だ……! もう、侵食が――」


「……ま、だ……」


下を向いたまま、絞り出すような声で、菊間は呟く。


資料からも、筆からも、彼は手を離さない。

そして、苦しみながらも彼の筆は、カリカリと手帳に何かを刻んでいる。


「……まだ、終わっていないんです……彼を、しっかり、僕が“読んで”こそ……事件は、解決します」


その言葉に、太宰と国木田はハッとした。


太宰「……君は誰よりも『探偵』だね」

国木田「俺たちが、支えるしか……方法は無い、ということか」


二人は、汗を垂らしながら文字を書く菊間に、そっと目線を移す。

すると菊間は、カタンと万年筆を置いた。


「“彼”の過去は、記録しました。……でもまだ、続きがあります。――“読み”進めていきますね」


太宰(……やはり、この躊躇いの無さ。根っからの『探偵』なのだね)

国木田(命を削ってでも真実を……相当な覚悟だ)


太宰「分かったよ。……危ないと思ったら、すぐ止める」

国木田「……はい。ちゃんと、戻ってきてください」


菊間は、再び沈む。


過去の彼が実験されていたように、現在いまもまだ実験は終わらない。

感情と異能――それは、彼にとって、深く複雑に絡み合う糸のようなもの。

この糸を解く鍵は、彼の“脳内”にある。





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文豪ストレイドッグス:探偵社の白猫 海音 @umine

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