第20話 黒影の脳は

「おはようございまー……あれ?」


勢いよく社のドアを開けたのは、中島敦。

敦のデスクの隣、一番乗りで出社していたのは、菊間だった。

バッチリと目が合う二人。


敦「あ、あのー……」

菊間「あぁ、おはようございます。初めまして。菊間 萌吾と申します」


菊間は椅子から立ち上がると、大分年下の彼に向かい、深々と頭を下げる。

その妙な丁寧さが、敦の警戒心には逆効果だ。


敦「な、中島……敦です……」

菊間「敦くん。君の異能は――『月下獣』ですね。素晴らしい」


太宰「菊間く〜ん、初対面では無いんじゃなぁーい?」

菊間「おはようございます、太宰くん。それ、とは何のことです?」

太宰「その“すぐに脳を読む癖”のことだよ、菊間くん。無自覚だからな〜本当にタチが悪いのだよ」


敦「え!? 脳を読む!?」

菊間「失礼しました。僕にとっては、“初対面で名刺を渡す”ような習慣でして。円滑な任務遂行の為、仲間の“脳内構造”は正確に把握しておかなければ――」


敦は驚きのあまり、仰け反って見事によろけた。

その後ろから、社のドアを開ける男が一人、メガネを光らせる。


国木田「菊間さん。敦が引いてます。……業務に支障が出ますので、“脳読み”は程々にお願いします」

敦「あ、国木田さん。菊間さんって、一体……」

国木田「ああ、菊間さんは“相手の脳を読める”異能力者でな。乱歩さんと並ぶ程の『名探偵』ではあるのだが……何せ“脳オタク”で少し、いや、かなりの変人だ。敦も、気をつけろ」


何を気をつけるのだろう…?と不思議そうに、おそるおそる席についた敦。

隣で菊間は、報告書の表紙に指を滑らせ、目を閉じたままじっと何かを“読んでいる”ようだった。


菊間「……なるほど。読めました」


その発言に、全員の視線が彼に向く。

菊間は束になったままの報告書から、そっと手を離した。


菊間「報告書、それから現場に出動した、国木田くんと谷崎くんの脳内記録によりますと、ポートマフィア構成員“烏丸 九曜”という人物は、団地で異能の『実験』を行なっていたようです。その動機は、彼の過去に大きく影響されている……と、正確に読み取れたのはここまでです」

敦「ポートマフィアの烏丸って……芥川が認めたっていう異能の……!?」

国木田「ああ、あいつは本当に厄介だ。俺も、あいつとったのは初めてだったが、正直、谷崎とまりこが居なかったら、俺は死んでいただろう」


そろり、と応接間のソファから太宰が起き上がる。

太宰は気だるそうに、ポケットに手を入れて菊間の前に現れた。


太宰「やはりね……それなら、烏丸の過去を知るのに不可欠な物を“彼”に持ってきてもらおう。菊間くんも、一緒に行こうか」

菊間「彼、とは?」

太宰「ほら、こんなときこそ、私の脳を“読んで”くれたまえよ」

菊間「……坂口 安吾。太宰くんの友人にして、元ポートマフィアの諜報員、全てをる人物」

太宰「正解。さ、着いてきてくれたまえ。洒落たバーが行きつけでね」



――銀座Bar・Lupinにて



「……遅刻ですよ、太宰くん」


太宰と菊間がゆっくりと地下への階段を下りると、彼はいつものスーツ姿で待ち構えていた。

真っ赤なトマトジュースの入ったグラスが、少し汗をかいていた。


太宰「もう〜私が律儀でないことくらい、安吾なら知っているだろう?」

坂口「それは否定できませんが……おや、そちらの方は?」


太宰と坂口の不思議な空気感に、菊間はバーの隅に身を潜めていた。


太宰「ああ、紹介するよ。探偵社のもう一人の“頭脳”、菊間 萌吾くんさ。安吾と違って、嘘がつけない、バカがつくほどの正直者だよ」

菊間「お二人の思い出の場所に……お邪魔いたします。よろしくお願いします」


坂口は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに普段の真顔に戻る。


坂口「……なるほど。貴方が噂の“脳を読む”異能力者ですね?」

菊間「……はい、恐縮です」


太宰はマスターの目の前に座り、ドリンクを注文する。

そして気まずそうな菊間をこちらへ手招きした。


太宰「まずは、乾杯しよう」

坂口「……何にです?」

太宰「新たな盟友ともの、誕生に」


――コツンッ


グラスの音が、ジャズの流れる店内に響き渡った。


坂口「予定が詰まっているもので……探し物は、こちらですね?」


坂口は上品な革のバッグから、分厚い茶封筒を取り出した。

見た目は何の変哲もない封筒だ。


太宰「ああ、助かるよ。菊間くんには、これだけあれば充分だ」

坂口「書類からも“脳を読める”んでしたね。それならいっそ、僕の脳を直接読んだ方が早いのでは?」


二人は、菊間のほうを覗き込む。

菊間の視線はまっすぐグラスを捉え、目を合わせようとしない。


菊間「太宰くんも、坂口さんも、脳内の情報過多なんです……僕には、抱えきれません」

坂口「……フッ、本当に正直者だ」

太宰「だから言ったじゃないか。……でも、そんな菊間くんだから、この仕事を任せられる。さ、お目当ての物はもらった。私たちはお暇するよ」


太宰は、ひょいっと高い椅子から下りる。

菊間はマスターに「ご馳走様でした」と頭を下げた。


坂口「ひとつだけ、忠告です。特に、菊間さん」


階段を上りかけた菊間の足が止まる。


坂口「その記録は……“深入り”すると、飲み込まれます。どうか、ご注意を」

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