残念だったな!私は不死身の魔王なるぞ——ちょやめて!嘘だから殺さないで!

チドリ正明

MaOu

 俺の名前はアルバロス。

 神託により選ばれし唯一の勇者。世界に光を取り戻す最後の希望だ。


 俺はその使命を果たすため、この終焉の城と呼ばれる魔王の居城に足を踏み入れている。

 薄暗く冷たい石畳を踏みしめるたび、周囲の空気が変わるのを感じる。

 空間そのものが俺の侵入を拒んでいるようだ。


 だが、怯むわけにはいかない。


 世界を蝕む災厄の源、魔王を討つ。それが俺の使命。

 この聖剣ヴァリシアに選ばれたその日から、俺はそのために生きてきた。


 まあ、世界を救ったあかつきには、各地の姫や美少女たちから感謝のキスやハグやその先のアレやコレが待ってる予定だしな。

 神託に従って真面目に生きてきたご褒美として、それくらいは許されるだろう。ハーレム計画、順調に進行中。まずは第一歩だ。


「むふふふふ……勇者として禁欲に禁欲を重ねて我慢して生きてきたんだ。魔王をぶっ殺したらやりたい放題生きてやるからな」


 自分で言うのもなんだが下卑た笑みを漏らしながら、巨大な城の回廊を進む。

 そこは先が見えない闇に覆われ、魔王の配下である魔族や魔物の姿は一切見えない。


 おかしい。この終焉の城に辿り着くまでに、何百、何千体もの魔族と魔物に出会してきたのに、親玉の魔王の元には一体足りともいないなんて……


「不吉の前兆か……生きて帰れればいいんだがな」


 俺は冷や汗を流してつぶやいた。


 そして、それからしばらく回廊を進むと、目の前に不気味な扉が見えた。

 天井は高く、壁には奇妙な装飾が施され、おどろおどろしい絵画まで飾られている。空気は妙に湿っぽい。


 この扉の先に魔王がいる。


 俺は直感した。


「さて……最後の決戦といこうか」


 俺は扉を開けると、威風堂々と足を踏み入れた。

 玉座の間と呼ぶのだろう。その部屋の入り口から最奥にかけて赤黒い絨毯が伸び、その先にそびえる玉座の上に、魔王はいた。


 漆黒のローブに身を包み、額には角、そしてこの世のものとは思えぬ妖艶な気配を放つ存在。

 顔や体格はローブに隠れてわからない。ただ、その姿、まさしく魔王そのものだった。


「魔王よ! 貴様の運命も、ここまでだッ!」


 俺は聖剣を抜き放ち、真っ直ぐに叫ぶ。

 聖剣に力が集まる。全身に力が漲る。


 勇者の名に恥じぬ、神に祝福された一撃。それをお見舞いする時が来た。


「よくきたな! しかし、いきなり物騒ではないか? まずは挨拶から始めよう! ゆっくりしていけ!」


「ふざけた事を吐かすな! 貴様の悪行のせいで我々人類がどれほど苦しんでいると思っているのだ!」


 ニヤける魔王に対して、俺は聖剣の切先を突き立てた。その瞬間、魔王は玉座から立ち上がって、ブルリと全身を震わせていた。


 あれはおそらく戦闘モードに入った予兆だろう。

 俺が挨拶に応じないとわかるや否や、本気でこちらを仕留める腹づもりに切り替えたらしい。


「……末恐ろしいやつだ。殺しに躊躇がないなんてな……」


 俺はそう口にしながらも、頬には冷や汗が流れ、自然と呼吸が荒くなる。

 初めての経験だった。これほどまでに何かに怯えるのは。


 もしかすると、俺のハーレム計画はここで頓挫するかもしれない。相打ち……になれば御の字か。死んでもおかしくはない。

 余裕綽々に見える魔王には、俺の聖剣は届かないような気がしてならない。


「っ! いくぞ!」


 俺は覚悟を決めた。


「ふはははっ! 残念だったな! 私は不死身の魔王なるぞ——」 


 魔王が高笑いを響かせた。その直後、俺は地を蹴った。

 迷いなど一切ない。世界を脅かす魔の頂点。その命を断つため、全霊を込めた一閃を放つ。

 剣がうなりを上げる。魔王の額めがけて一直線に振り下ろされた。


 斬る。


 そう確信した刹那——おかしなことが起きた。


「——ちょやめて! 嘘だから殺さないで! 本当は悪いことなんてしたことないし、全部人間の妄想だから! 私はみんなと仲良くしたいだけだから許してごめんなさい命だけは助けてくださいお願いします!」


 えぇ……?


「えぇ……?」


 心の声がそのまま言葉になった。

 思わず怪訝な表情で魔王なのに魔王じゃない目の前の存在を睨みつけると、ヤツはビクッと震えてからわなわなと口を開いた。


「わ、わわわ、私は魔王だけど悪くないっていうか魔族とか魔物なんて全然私と関係ないし、そもそも私はただ長生きなだけで全然強くないし……だ、だから、私のことを殺しても何もないから殺さないでください!」


 俺の剣は空中でぴたりと止まっていた。

 というか、こいつ今、目をつぶってしゃがみ込んだうえに両手で頭を抱えてガクガク震えてるんだけど。完全に命乞いムーブ。

 どう見ても、魔王の最期じゃなくて、村人Aが貴族に因縁をつけられる時の絵面だぞ。


 いや、待て。騙されるな、勇者アルバロスよ!

 これもまた魔王の姑息な作戦やもしれん!


「そうか、わかったぞ! そうやって命乞いする無様な姿を晒しておいて、油断して背を向けた俺を殺すつもりだな!」


「そ、そんなことしないっていうかできないから! 私は魔法なんて使えないし剣なんて重すぎて持てないし、このお城に引きこもってるから体力もないんだから……」


 意気揚々と聖剣を構え直した俺とは裏腹に、あまりにも弱々しすぎる魔王の言葉は嘘とは思えなかった。

 魔王であることは否定しないようだが、命乞いそのものには一貫性がある。


 わからない。本当に意味がわからない。こいつはなんなんだ?


「……お前、それ本気で言ってるのか?」


「う、うん……! 怖かった……すごく殺意あったし……うぇぇん……怖かったよぉ~! 私は千年間もずっとこのお城に一人で暮らしてるのに、いきなり来たかと思ったら剣を向けられて、私は挨拶をしたかったのにぃいいぃぃぃ……!」


 こいつ、泣いてるぞ。普通に。ギャン泣きしてる。

 勇者の俺が命懸けで戦うはずだった諸悪の根源が、地べたでガタガタ震えながら命乞いしているのだ。


「挨拶って殺し合いってことじゃないのか?」


「違うよ! 千年もここにいて初めてのお客さんだったから、お茶を入れておもてなししようと思っただせなんだからねっ!」


 俺は聖剣を振りかざしかけて——やめた。


 ……こいつ、本当に弱そうだ。魔力の気配もほとんどない。

 第一、俺はこの城に来るまでの間に一体いくつの困難を乗り越えてきたと思ってる?

 いや、待て。よく思い返せ。

 終焉の城に入ってから、誰とも会ってないな。この城には魔族や魔物は一体も出てこなかった。罠? 皆無だ。城に来るまでの道中は、それはもう罠と策謀と襲撃まみれだったが……


 てっきり「静かなのは逆にやばい」って思って警戒してたが……本当に、誰もいなかったな。


 魔王、お前はひとりぼっちだったのか?


 なんか、戦う気が削がれた。というより、こいつは危険じゃない。よくよく見たらただの女の子だし……


「……まあいい、とりあえず詳しい訳を聞かせろ!」





 <><><>☆☆☆<><><>




 


 時は流れ、


「アルバロスー、ごはん炊けたよー!」


「おう、今行く!」


 聖剣ヴァリシアで魚を捌きながら返事をする俺は、かつて神託に見初められし世界唯一の勇者である。


 だが今や、魔王(自称)リリスと共にこの終焉の城で、平和に自給自足の同居生活を送っている。


「ほら見て! 今日のお味噌汁、ちゃんと具が浮いてるよ!」


「いや、浮いてるっていうか……それ、味噌入れる前に全部ぶち込んだろ……」


「うっ……ま、まあ勇者は黙って食べればいいの!」


「誰が勇者だ。もう引退したって言ってんだろ」


「でも私の中ではずっと勇者様なんだよー?」


 ……どうしてこうなった。


 かつてはハーレムを夢見て、世界を救う使命に燃えていた俺が、今じゃ魔王と二人、家庭菜園と味噌汁と味見の毎日だ。


 いや、正確には、コミュ障引きこもり娘のリハビリ生活と言ったほうが正しい。


 聖剣も今や、魚を三枚におろすための包丁代わりでしかない。鍔が邪魔だ。


 世界は? なんか平和だった。

 というか、魔王なんて最初から存在しなかった。

 あれ全部、人類側が勝手に盛り上がってただけだった。


 まあ、魔王が何もしなかったのは本当だし。

 むしろ、何もできなかったんだが。


「ねぇ、アル。明日は久しぶりに森にきのこ取りに行こっか。毒キノコじゃないやつ」


「またかよ……前回もそう言って自信満々に取ってきたきのこ、俺に食わせてきたよな。そのせいで俺は三日寝込んだんだぼ……」


「うふふふ、でも、看病してあげたじゃん?」


「いや、全部お前が原因だからな?」


 俺はため息をついて、できあがった朝食を食卓に並べる。

 リリスが嬉しそうに手を合わせた。


「いただきます!」


「……ったく」


 聖剣を置いて、俺も手を合わせた。


 こうして世界の危機は訪れることなく、勇者アルバロスは使命を果たさぬまま、魔王と共に、静かに幸せな日々を送ることとなった。


 


 ——完——

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