第10話
「逃がさないわよ、この嘘つきエセ魔王! 観念して出てきなさい!」
王都の外れにある、今にも風で吹き飛びそうなほどボロボロの廃屋。
その見るからに怪しい雰囲気を漂わせる古びた建物の扉を、リュカが自慢の脚力で、まるで邪魔な小石でも蹴飛ばすかのように派手に蹴破って中に飛び込んだ。
おいおい、いくらなんでも乱暴すぎるだろ。
部屋の薄暗い隅っこで、さっきの泣き虫魔王役の青年が、まるで親に叱られて隅っこで小さくなっている子供みたいに、膝を抱えてガタガタと震えていた。
その姿は、ついさっきまでのあの芝居がかった威勢の良さなど微塵も感じさせない、どこまでも哀れで惨めなものだった。
「……来たか。やっぱり、お前たちは追ってきたんだな。俺の読み通りだ」
「当たり前でしょ! あんた、一体何者なのよ! さっさと白状しなさい! 」
「カイル……それが、俺の本当の名前だ」
青年――カイルは、もう逃げるのは無駄だと諦めたように、ゆっくりと力なく顔を上げた。
その虚ろな目には、深い絶望と諦観の色が浮かんでいる。
「しがない場末の三流役者さ。売れない三流役者が、日々のわずかな日当と、人質に取られた家族の安全のために、三ヶ月っていう短期契約で、あの忌々しい『魔王役』なんていう馬鹿げた役を無理やりやらされてるってわけだ。笑えるだろ?」
「やっぱり『役』だったんじゃないの! 薄々そんな気はしてたけど!」
「ああ、その通りだよ。全部、全部、この国ぐるみで演じられる、壮大なスケールで、そしてどこまでも悪趣味な茶番劇さ」
カイルは、力なく、そしてどこか自嘲的な乾いた笑みをその整った顔に浮かべた。
「勇者と魔王の、手に汗握る白熱の戦い。光と闇の、世界の運命を賭けた壮絶なる対決。全部、全部、真っ赤な嘘っぱちで塗り固められた、くだらないお芝居なんだよ」
俺は、思わず自分の拳を、血が滲むほど強く握りしめていた。この世界は、俺たちが想像していた以上に、どうしようもなく腐りきっているらしい。
カイルは、ふらつきながらも、壁に手をついてゆっくりと立ち上がった。
その青年らしい端正な顔立ちは、抑えきれない怒りとも、どうしようもない深い悲しみともつかない、複雑な感情の色に歪んでいた。
「このカル=レア王国はな、ここ数十年もの間、あんたたちみたいな、何も知らない『勇者様』を、他の世界から定期的に召喚しては、俺みたいな雇われ魔王と適当に戦わせるっていう、一大エンターテイメントビジネスで成り立ってんだよ。宿屋も、武器屋も、防具屋も、果ては土産物屋や見世物小屋に至るまで……全部が全部、お人好しの勇者様御一行が、この国で景気よく落としてくれる金で潤ってる。いわゆる『勇者特需』ってやつさ。ふざけた話だろ?」
「でも、それって……あまりにも歪んでるじゃない……」
「ああ、その通りさ。歪んでるし、腐ってるし、どうしようもなく狂ってる。俺だって、心の底からそう思う。だがな」
カイルは、廃屋の埃っぽくて薄汚れた窓から、夕焼けの赤い光に美しく染まる王都の街並みを、どこかぼんやりとした虚ろな目で見つめた。
「それでも、この街の連中は、みんなそれなりに幸せそうに、平和に暮らしてるんだぜ? 魔王がいて、勇者が来て、派手なパフォーマンスの戦いを繰り広げて、そして最後には勇者は故郷へと帰っていく。このお決まりの、そしてどこまでも予定調和な繰り返しで、この国は実際に豊かになった。誰も本当に傷つくことはない、誰も本当に不幸になることはない、完璧に管理された、安全なエンターテイメント。それが、このカル=レア王国っていう国の、真実の姿なんだ」
「……反吐が出るわ、そんなの。ふざけないでよ」
リュカのトレードマークである赤い髪が、彼女の激しい怒りに呼応するかのように、バチバチと音を立ててまるで生き物のように逆立った。
「そんなくだらない、胸糞悪い茶番劇のために……あたしたちは、命がけで、馬鹿みたいに戦わなきゃいけないっていうの……? ご冗談でしょ……?」
その瞬間、リュカは突然、耐え難い激しい痛みに襲われたかのように、自分の頭を両手で強く押さえて、苦しそうに低く呻いた。
「うっ……! あ、頭が……また……割れそうに痛い……!」
彼女の脳裏を、まるで激しい嵐のように、意味不明だが妙に懐かしい、断片的な映像と音声が駆け巡る。
――白い清潔な白衣を身に纏った、とても穏やかで優しい目をしていた、若い男性の姿。
――「リュカ、君は決して失敗作なんかじゃない。君は、私にとって……かけがえのない……」
――大きくて、少し不器用だけど、とても温かい手が、優しく自分の頭を何度も何度も撫でてくれる心地よい感触。
――「たとえ君の記憶が、誰かによって作られた偽りのものだったとしても、君が今、その胸に感じているその感情は、間違いなく君だけの本物なんだよ」
「リュカ! しっかりしろ! どうしたんだ!?」
俺は、今にもその場に倒れ込みそうなリュカの華奢な体を、慌てて背後から強く支えた。
「兄……ちゃん……? ううん、違う……この声は……この温もりは……誰なの……?」
そのリュカのうわ言のような言葉に、カイルがハッとしたように鋭く顔を上げた。
彼は、おもむろに懐から一枚の古びて黄ばんだ書類を取り出して、俺たちに見せつけるように広げた。
「まさか……この名前に何か聞き覚えはないか? 教えてくれ」
その書類の隅には、滲んで読みにくくなったインクで、しかしはっきりとこうタイプされていた。
『ブレイヴァーズ株式会社・社外秘・レベルトリプルA機密扱イ・事故死者リスト』
そして、そのおぞましいリストの一番上にあった名前は――俺もどこかで聞いたことがあるような、そんな気がする名前だった。
「リュウ=ブラッドストーム……《ブレイヴァーズ株式会社》ヒロイン開発部門・元研究員……」
その名前を見た瞬間、リュカの大きな赤い瞳が、まるで信じられない、ありえないものを見たかのように、これ以上ないというほど大きく、大きく見開かれた。
「知ってる……この名前……あたし、この人のこと、なぜか知ってる……! でも、どうして……? 何で、あたしが……?」
彼女の記憶の奥底で、何かとてつもなく重要で、そして決して開けてはならないパンドラの箱の蓋が、今まさにこじ開けられようとしているのが、俺にも痛いほどはっきりと分かった。
「そのリュウという男は、かつてブレイヴァーズ社で『ヒロインプログラム』というものの開発責任者をしていた優秀な研究員だったそうだ」
カイルは、静かに、そしてどこか深い哀れみを込めた目でリュカを見つめながら、淡々と、しかし残酷な真実を続けた。
「表向きは、実験中の不慮の事故による死亡とされているが、その実態は、彼が進めていたヒロインプログラムの、あまりにも非人道的な実態と、その先にあった会社の巨大な陰謀を、外部に告発しようとしたために、会社にとって都合よく『処理』されたらしい」
「ヒロイン……プログラム……って、何なの……それ……?」
その言葉を聞いた瞬間、リュカの右肩が、まるで高熱を発したかのように、じりじりと焼けつくように熱を持ち始めた。
彼女が着ているボロボロの制服の上からでも、何かがぼんやりと不気味な赤い光を放っているのが、俺にもはっきりと見て取れた。
「リュカ、君の右肩が……光っているぞ……! 一体、何が……」
俺がそう指摘すると、リュカは震える細い手で、まるで自分の体ではない何か得体の知れないものに触れるかのように、恐る恐る自分の右肩の制服の生地をゆっくりとずらした。
そして、そこに現れたのは、彼女の透き通るように白い肌にくっきりと、まるで家畜に押された焼印のように刻まれた、薄れかけてはいたが、それでも明確に判読可能なバーコードの印字と、そのすぐ下に小さく、しかし無慈悲に記された、アルファベットと数字の無機質な羅列だった。
『HP-001』
「なに……これ……あたしの肩に、なんでこんな気味の悪いものが……?」
「ヒロインプログラム、実験体第一号……それが、君の本当のコードネームであり、君という存在の正体だ、リュカ」
カイルは、まるで冷酷な死刑執行人が最後の判決を読み上げるかのように、逃れようのない、あまりにも残酷すぎる真実を、リュカに無慈悲に突きつけた。
「君は、俺たちと同じ人間じゃない。ブレイヴァーズ社という巨大企業によって、ただ勇者のためだけに、人工的に、そして非合法的に生み出された、『理想的なパートナー』として完璧に設計された、ヒロインプログラムの最初の……そして、おそらくは、たった一体の唯一の成功例……それが君なんだ、リュカ」
そのカイルの言葉は、まるで巨大な鉄のハンマーのように、リュカの心と、彼女の存在そのものを、跡形もなく粉々に打ち砕いた。
彼女の膝が、まるで糸の切れた操り人形のように、がくりと力を失って床に崩れ落ちる。
「嘘……嘘よ……そんなの、絶対に嘘……! あたしは、人間だもの……!」
「そして、君が『兄』だと思っていた、そのリュウという研究員の記憶も、おそらくは……そのヒロインプログラムをより人間らしく、より感情豊かに見せるための、ただの演出用データの一部として、後から君の脳に人工的に植え付けられた、偽りの記憶に過ぎないんだろう」
「やめて! もう、それ以上何も言わないで! 聞きたくない!」
リュカは、小さな子供のように両手で自分の耳を強く塞いで、まるでこの世の終わりみたいに泣きじゃくりながら、甲高い声で叫んだ。
だが、彼女の心の奥底では、もうとっくに全てを理解してしまっていたのかもしれない。
なぜ自分の大切な記憶が、あんなにも曖昧で、虫食いだらけの断片的だったのか。
なぜ時々、自分の意志とはまったく関係なく、まるで予めプログラムでもされていたかのように、不自然で機械的な反応をしてしまうことがあったのか。
その全ての忌まわしい答えが、今、目の前に、これ以上ないほど残酷なまでに提示されてしまったのだ。
「でも……でも、この気持ちは……この胸の痛みは……どうなるのよ……!」
彼女の美しい大きな赤い瞳から、まるで壊れた蛇口のように、止めどなく熱い涙が溢れ出してくる。
「兄ちゃんを……ううん、リュウさんを、心の底から慕っていたこの気持ちは……これも、全部プログラムが見せていた、ただの偽物の感情だったっていうの……? そんなの、あんまりじゃない……!」
俺は、言葉を完全に失って、ただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
そして、気づけば、床に崩れ落ちて絶望に打ち震えるリュカの小さな体を、まるで壊れ物を扱うように、そっと、しかし力強く抱きしめていた。
「……本物だ」
俺の口から、自分でも驚くほど、絶対的な確信に満ちた力強い声が出た。
「え……?」
「たとえ君が、人間によって作られた存在だとしても、君の大切な記憶が、誰かによって後から植え付けられた偽りのものだったとしても、今、君がその胸に感じているそのどうしようもない悲しみや、やり場のない苦しみは、誰が何と言おうと、間違いなく君だけの本物だ」
俺は、自分の胸を、拳で力強くドンと叩いた。
「俺だって、そうだ。俺も、あの忌々しい工場で、誰かの都合によって無から生み出された、ただの製造品に過ぎない。だが、今、この瞬間に俺が感じているこの気持ちは、絶対に偽物なんかじゃないと断言できる」
俺は、リュカの涙で濡れた美しい瞳を、真正面から真っ直ぐに見つめて、はっきりと言った。
「君を守りたい。君のその悲しい涙を、俺の手で止めたい。そう心の底から強く願っている、このどうしようもない気持ちは、誰が何と言おうと、絶対に本物だ」
リュカは、俺の胸に顔を埋めて、まるで小さな子供が母親に甘えるように、声を上げて泣いた。ただひたすらに、彼女の気が済むまで。
どれくらいの時間が経っただろうか。
ようやく泣き止んだリュカは、ゆっくりと俺の腕の中から顔を上げた。
その美しい瞳には、まだうっすらと涙の跡が痛々しく残っていたが、先ほどまでの深い絶望の色は消え、代わりに、まるで嵐の後の空のように澄み切った、強い決意の光が宿っていた。
「……あの忌まわしいシステムを、私たちの手で、ぶっ壊しましょう、ナオ」
その声は、まだ少し震えてはいたが、しかし鋼のようにどこまでも固い、絶対的な意志のこもった力強いものだった。
「あたしたちをこんな風に、まるで物みたいに勝手に作り出して、自分たちの都合のいいように散々利用して、そして用済みになったら、まるでゴミか何かみたいに簡単に捨てようとする、あのどこまでもふざけたシステムそのものを、この手で、跡形もなく粉々に」
「……ああ、そうだな。それが、俺たちがやるべきことだ」
俺も、彼女のその決意に応えるように、力強く頷いた。
「たとえ偽物から始まった、作られた存在だとしても、あたしはあたしよ。誰にも、あたしの生き方を指図させたりなんかしないわ」
彼女は、まだ少しふらつきながらも、しかし自分の足で、誰の助けも借りずにしっかりと大地を踏みしめて立ち上がった。
「そして、リュウっていう人は、あたしにとって……ううん、この『あたし』っていう存在にとって、絶対に忘れちゃいけない、かけがえのない、本当に大切な人だった。それは、この胸を締め付けるような、どうしようもない痛みが、何よりも雄弁に証明してくれてる」
「そうか。お前がそう思うなら、それが真実なんだろう」
「記憶が全部作り物だったとしても、彼への感謝の気持ちだけは、絶対に本物だって、あたしは信じるわ。ううん、信じたい」
カイルは、そんな俺たちの、どこか悲しくも美しいやり取りを、ただ黙って、しかし食い入るように見つめていた。
その青年の目には、純粋な驚きと、そしてほんの少しだけだが、羨望のような複雑な色が浮かんでいるように見えたのは、気のせいではなかったはずだ。
「……君たちは、本当に、何というか……特別なんだな。俺が今まで出会ってきた、どの勇者とも違う」
「なあ、カイル。俺たちに、君の力を貸してくれないか?」
俺は、カイルに向かって、決意を込めて右手を差し出した。
「この腐りきった、どこまでも欺瞞に満ちた世界と、そしてそれを影でいいように操っている、正体不明のふざけた連中に、俺たちと一緒に一泡吹かせてやりたいんだ。どうだ?」
「……ああ、俺でよければ、いくらでも力を貸す」
カイルは、一瞬の迷いも見せることなく、俺の差し出した手を、まるで長年の戦友に対するように力強く握り返した。
その青年の手は、ついさっきまで魔王役を演じていた時とは比べ物にならないほど、温かく、そして頼もしいものだった。
「もう、こんな馬鹿げた茶番劇は、今日この瞬間限りで、綺麗さっぱり終わりにするんだ」
俺たち三人は、薄暗くカビ臭い廃屋を出て、再び燃えるような赤い夕焼けに美しく染まる王都へと向かって、確かな足取りで歩き出した。
その俺たちの小さな背中を、どこまでも優しく、そして力強く照らし出す夕日は、まるでこれから始まる俺たちの長く険しい戦いを、心の底から祝福してくれているかのようだった。
しかし、この時の俺たちはまだ、本当の意味では何も知らなかったのだ。
この歪みきった勇者派遣システムという、巨大な悪意のさらに奥深くには、俺たちの想像を遥かに絶するような、どこまでも冷酷非情にして絶対的な力を持った、真の支配者が存在しているということを。
そして、この俺の「作られた」不確かな記憶の、さらに奥底深くに眠っている、初代反逆勇者「ゼロ」の魂の燃えるような赤い欠片こそが、この世界の、そして俺たち自身の運命を大きく左右することになる、最後の、そして最強の切り札になるということを。
そう、俺たちの本当の意味での戦いは、まだ始まったばかりなのだ。
この、どこまでも不条理で、そしてどこまでも愛おしい世界で。
勇者派遣します!~不良品勇者は廃棄処分待ったなし~ 暁ノ鳥 @toritake_1
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