映画館/後編

 やがて昼食を食べ終わると共に奈々美は訊ねてみた。

「なゆきちが気になる映画があったら観てみましょ」

 選ぶ権利は完全に那雪に手渡された。綺麗な状態そのものの権利は美しさに満ちていて、これから覗く夢の切り抜きがどれも面白そうで仕方がなかった。

 残されたタイトルは二つ、半分残し。一室は何も上映されていないためか札には上映作品募集中と書かれておりドアも締め切られていた。

「お時間あと三十分です」

 閉館時間が早い。やはり趣味というべきか、もしかすると買い物や掃除といった生活の都合もあるのかも知れない。

 映画を観る空間である以上は考えずにはいられない女の人生。刻まれた皺の数だけ感情を動かしてきたのだろうか、手が萎れてしまう程に頑張って生きてきたのだろうか。

 そんな考えを他所へと追いやって那雪は二つの札を見つめる。

 片方は短編のラブストーリー。学園祭の中で付き合いが始まるのだとタイトルの下に小さな文字であらすじが記されていた。

 もう片方を見つめて那雪は目を見開いた。

 そこには何も書かれていない。しかしドアは開かれていた。

 奈々美と目を合わせて確かめてみるものの、奈々美もまた分からないといった態度を形にしていた。

 女のミスだろうか。実は募集の案内を書き忘れていて開けっぱなしにしているだけではないだろうか。気になって仕方がない。意識は自然と向こうへと吸い込まれていった。

「こちらの作品を鑑賞なさいますか」

 いつの間に後ろに立っていたのだろうか。女はふたりを案内すべく手を動かしていた。

「ええ、お願いします」

 気が付けば自然と返事をこぼしてしまっていた。まるで引き寄せられるように吸い込まれるように、足は自ら飲み込まれるように。

 不安で胸が一杯になるものの、不思議と嫌な予感はなかった。

 室内へと、スクリーンの目の前へと身体は招かれていく。奈々美もまた同じように歩いて行く。

 ふたりとも何かに魅入られてしまっているのだろうか。

 女が慣れた手つきで上映の準備を整えると共に変化が訪れた。那雪の意識は夜よりも暗い闇の中へと引きずり込まれていく。足首をつかんで下へ下へ、暗闇の底へと、暗黒の空間の仲へと、引っ張られて。


 やがて目の前に広がり始める映像、そこに映されていた人物はこの世で最も愛しいあの子だった。

 那雪と出会い、自らも傷ついていたのだという事実を隠し通しながら励ましながら同時に励ましてもらっていたのだという彼女。

 その彼女、奈々美が他の魔女の世話になるために〈東の魔女〉の名だけを掲げて進んだ後のこと。

『〈東の魔女〉のくせに火の属性すら扱えないの』

 彼女は周りの魔女たちから嘲笑われて名ばかりが立派な彼女を責め立て続けた。

『そんなならもういっそ出てこない方がマシでしょう、アナタのためを思って言ってるの。この恥さらし、一族の面汚し』

 人のためを思って流す言葉なのだろうか。どこからどう見てもそうとは思えない。

 もしもこの行いが正しいのだと言うのなら、躾のためだといって暴力を振るう家庭の大人たちでさえも正しさを主張してしまう。

 そんな時間でさえ大したものではないのだと言わんばかりに流れ去っていく。

 奈々美は帰ってきた。愛すべき故郷、大切な人が過ごしているはずのこの地へ。

 懐かしい景色、キミと歩いた世界、キミと触れ合ったあの時間が今という世の中と重なり合って滲む。気が付けばその目は潤んでいた。

 歩いて行けばそれだけ思い出が蘇ってくる。ひとつひとつを柔らかな手で掬いながら、那雪との思い出に浸っていた。

「ここで一緒にクレープ食べたかな」

 夜の公園、そこにはないものを見ていた。あの日あの時、日差しに照りつけられながら内外の熱に晒され続けていたキッチンカーから差し出されるクレープ。その味は幸福のひと言へと無事に繋がった。

 バナナとクリーム、イチゴとブルーベリーにチョコレート。

 噛み締めるほどに果物の食感が香りを連れてきて幸せを広げてくれる。

 あの時のことはもう二度とこの場では味わえないかも知れなかった。

「他にもあったよね」

 公園の中へと足を運ぶ、橋の下は植え込みになっているのだろうか、そこから覗く花に目を通しながら大きな噴水の前へと身を持ち込んだ。石で出来た縁に座って会話を繰り広げていたこともあった、そうしたことでふたり大切な時を過ごし続けていた。

「懐かしい」

 ついつい零れ落ちる言葉に自分ながらに圧倒されて時の流れというものを肌に染み込ませていた。

 このままではきっといつまで経っても今の自宅にはたどり着くことが出来ないだろう。

それを心に留めて噴水に背を向ける。

 足を進める。時間の流れに置いて行かれてしまわないように、今という時間の中で那雪に会うことが出来るように。

 それから幾つの日時が過ぎ去ったことだろう。そう言いたくなるほどに、ため息をつきたくなるくらいに長い時間をひとりで過ごしてしまったように感じられた。

 那雪に会うことは叶わない、何故だかどれだけ探しても見つけることなど出来ないまま、息苦しさに打ち震えながら眠る夜が幾つも出来上がっていた。

「なゆきち、どこにいるの」

 本人は答えてなどくれない。かといって自然や他の人が代わりに返事をしてくれることもまず無かった。

 那雪は未だ高校生、県外に進学か親の事情でも無い限りこの土地から手を離すことなど起こることもない。もしかしてそうした事情があったのだろうか。思考に影が射し込んできてしまうものの、そう簡単に諦める事も出来ない。きっとどこかにいるはず、脳のどこかがそう感じ取って叫ぶのだ。

「でも、どこにいるんだろう」

 分からない、まるで霧に包まれているように見通すことか出来ない。

 別れ際に渡したしおりは今でも大切に保存されているだろうか。それとも那雪の手の中でゆっくりと朽ち果てて、今では焼却炉の燃えかすの中だろうか。

 やがて奈々美は那雪を探すために更なる手段を握り締めて振るう。決して褒められたことではなかったものの、場合次第では許されない事ではあったものの、こうするほか無いのだと奈々美の中で決意を固める声がこだまする。音の響きが心の水面にいくつもの波を立てる。

 澄んだ心などここで捨ててしまった。

 一般人への魔法の使用。これがどれだけ恐ろしいことなのか、世の中の罪人と変わりの無いことなのか、考えながらも使わずにはいられなかった。

 薬を煮詰め、様々な人々をウワサや張り紙、ビラなどを使って呼び込む。そうしたことの全ては魔女の誘い。甘い餌につられて訪れた人々に黒猫の夢を体験させるイベントを立てたのだった。

 そうして他の人々の視線によって作り上げられた世界の中で奈々美本人は愛しのあの子を探してみるというもの。誰かが姿を目にしていれば間違いなくこの場所に現れるだろう幻影。 その気配をたぐり寄せること、或いは気配を手に本人のいる場所まで辿ることで再会しようという試みだった。

 幻の世界、そこではかつての現実を幾つも混ぜ合わせた複雑なフィクションが繰り広げられていた。一度では見つかることがなくても何度も試してその成果を無事につかみ取る。

 幾つの夜が過ぎ去っただろう。何年もの時間をひとりで過ごしてしまっただろう。

 奈々美は新たな薬を煮込み、それを喉に流し込んで夢の中へと潜り込む。

 あの子のことを想いながら、あの子の気配をその手に握り締めながら。

 やがて映し出される夢、そこにあの子は立っていた。メガネのレンズは少し分厚くなっただろうか、右の額を髪が避けてまるまると見えているのはかつての自分の髪型、左の額を出していた奈々美の反対側ということだろうか。

 その手を伸ばす。ひとりの少女しか目に映されていない中で儚い手は細々とした身体を抱き締めようと近付いて。

 ふいに漂う冷気に気が付いてしまった。闇より深く影より冷たい、底知れぬ冷気が辺りを包み込む。

 やがてどこから湧いて出たのか、爆発の如き炎が吹き出して。辺りを包んで奈々美の身体を焼く。

 手を伸ばして声を振り絞るものの、なにひとつ伝わることなく虚しい響きとなって消え去った。


 那雪は目を見開いた。目の前にはそれ程の大きさを感じさせないスクリーンが張られていて、世界はいつも通りの時間を歩んでいることを告げていた。

 隣に座る奈々美に恐る恐る訊ねてみた。

「今のって」

 言葉も無しに頷くだけ。

 静寂を纏って映画館を後にしてようやく口を開いた。

「なゆきちがどんなことを想って過ごしてたのか分かって更に愛しく想えて仕方がないの」

 きっと彼女は彼女で異なる何かを網膜というスクリーンに焼き付けていたに違いなかった。

「私は奈々美がどれだけ頑張って再会しようとしてたのかひしひしと伝わってきたよ」

「知ってる」

 どういうことだろう。奈々美はその目で何を視てきたというのだろう。疑問は自然と言葉に変わって溢れ出る。

「奈々美は何を視てたの」

 それに対して奈々美は口元に人差し指をあてながら微笑んで答えるのだった。

「今日という日の全部、それだけ」

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追憶フィルム ―― 『〈東の魔女〉と眼鏡の少女』及び『魔女と私』外伝 焼魚圭 @salmon777

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