行ってきます。

鮎のユメ

その声が、僕を進ませる

「おとーさん、早く起きなってー。ねーおとーさーん」

「んっ……んん……」

 息子の声で目を覚ます。直後に、スマホのアラーム音が鳴り響いた。

「ん、あぁ、……」

「おはよっ!おとーさん!」

「あー……」

 ふわぁ、と欠伸ひとつ。アラームを止め、ベッドから起き上がる。

大輝たいき、いつもありがとな」

「オレの係なんだから気にしなくていーのー。それより、笑って笑って。ほら、にーって」

「ははっ。……そうだな、そうだったな」

 さて、と。僕は朝ご飯の支度をする為キッチンへと向かった。

 大輝と、僕の分。

「大輝は、目玉焼きだったな」

「そう、 目玉焼き。半熟ね!」

「はい、了解」

 大輝は、目玉焼きが好きなようで、朝はいつもねだってくる。僕は、どっちかというとスクランブルエッグが好きなんだけど、簡単だし。

「簡単だからって手ぇ抜くような料理しちゃダメだかんね」

「わかってるわかってる」

 このように、少しうるさい。けれどあしらう訳にもいかないので生返事だ。

 そうこうしているうちに、チンと音がする。事前に焼き始めておいたパンが焼き上がったのだ。

 サッと取り出し、バターだけを塗ってお皿へ。これは僕の分。朝はあんまり食べない主義だ。

 目玉焼きの方もいい頃合になってきた。形が崩れないようにそっとフライパンから皿へ。ハムやキャベツも盛り付けて完成だ。

 そしてお椀と、小さな器を取り出して、ご飯をよそう。2つ分。

 写真立てが飾られたテーブルに並べて、そっと手を合わせる。いただきますと、それから──

「なにやってんのさ、おとーさん」

 大輝はいつも、僕の頭の中で声をかけてくる。僕は目を閉じて、その写真立てに祈りを捧げた。

 ふと、僕はあの日のことを思い出していた。



 ──妻は、交通事故で亡くなった。即死だったそうだ。

 僕が会社で仕事をしている時、1本の電話がかかり、その報せを聞いた。

 始めは何を言っているのかわからず、言われた場所へ駆けつけ、目を開けないその姿を見ても、現実を受け入れられなかった。ただ、嗚咽が部屋を掻き乱したことだけは、記憶に残っていた。

 交通事故を起こした犯人は現行犯だった。僕は彼の目を見ることは出来なかった。見えてしまったら、無力感や憎しみが蝕んで、どうにかなりそうだった。

 そこからは、あまり覚えていない。葬儀だとか、通夜だとか。裁判だとか、求刑何年だとか。それが当然だと言うように、役所仕事のように、時間は流れた。

「若いのに」「お気の毒に」そんな言葉ばかりが耳に入る。どれも、僕の頭には残らなかった。どころか、見たくもない現実を突きつけられる度、吐き気を催した。

 どこへも向けられない苛立ちや、押し寄せる不安。それらが渦巻く中で、僕はどうしようもなく壊れていった。

 会社も、しばらく休んだ。こんな時こそ仕事するべきだとか、別のことをして頭を切り替えるだとか、考えられなかった。

 大人になりきれなかった自分を何度責めたことか。吸う気もなかったタバコを買って、むせ返りながら喉を焼く日々だった。

 そんな暴れそうになる心を繋ぎ止めたのが──大輝だった。

「おとーさん」

 夢か、現実か。

 どっちでも良いと思った。

 今は、ただ、彼を抱き留めるだけで、心が安らいだ。

「おとーさん、こどもみたい」

「……、だな、お父さんも、まだこどもだなっ」

 そう言って笑い、語らうだけで。



 どのくらい、目を閉じただろうか。電灯の明かりが少しちかちかする。

 ぼんやりする目蓋を開け、少し冷めてしまったパンを摘んだ。

「……。よしっ、いただきます」

 今では、すっかり──と言うと語弊もあるかもしれないが──元気になってきている。

 時間の流れというのは本当に恐ろしい。でも、だからこそ乗り越えなくちゃいけない。そう自分に喝破しながら、生きなければ。

 それに、いつまでもうじうじしていたら、妻も怒って「あなたまたそんな顔して!」と墓場から飛び出してくるかもしれない。ちょっとした鬼嫁なのだ。

「ふふっ」

 思い出すと、笑えてくる。

「……おとーさん、なんか変な顔〜」

「えっ。そう……?」

「うん」

 変か、そっか。……そうかもな。


 朝ご飯も食べ終わり、会社への身支度も整える。ネクタイが曲がってないかと、天からの声も聞こえてくるようだ。また吹き出しそうになった。

 顔をパンパンと叩き、気を引き締める。

 「……それじゃ」

 玄関へ向かうと、

「行ってらっしゃい!おとーさん!」

 という大輝の元気な挨拶に迎えられ、僕はふと、玄関先の写真立てに目を向けた。

 大輝と、妻の写った写真。写真の中の妻は、大輝を抱えて満面の笑みだ。

 そして、僕も一緒に写っている、1枚の写真。

 僕のぎこちない笑顔と、それを笑う2人。お似合いの家族である。またひとつ、微笑がこぼれた。

「おとーさん、今日もお仕事頑張ってね!」

 そんな言葉が聞こえ、後ろを振り返る。そこにもう、誰もいないことなど、わかっていたはずなのに。

「……いつまで夢を見てるんだか」

 1人呟いて、薄く笑いながら。


「……行ってきます」


 冷たい空気の中、今日もまた1歩、進む。

 大輝と彼女の見守るこの家で、僕の心を支えてくれる彼らと共に。

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行ってきます。 鮎のユメ @sweetfish-D

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