無限牛丼
青王我
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いつからこうしているだろう。
眼前には一膳の丼。中にはホカホカと湯気を立てる、煮込んだ牛肉と透き通る玉ねぎがたっぷりと盛られている。その下にはご飯もあるはずだが、具材の豊富さに隠れて影すら見えない。
丼の他には安物の塗り箸、お茶の入った湯呑み、七味唐辛子や紅しょうがといった味変アイテムのたぐいが整然と置かれている。
丼の中身は牛肉七割に玉ねぎ三割で、他の具材は目に入らない。この醤油色を背景に紅しょうがや七味唐辛子の赤が映えるのだ。たっぷりと盛り上げてもいいが、ここは慎ましやかに紅しょうがをふた振り、七味唐辛子をぱらぱらと振り掛けるだけにしよう。
丼を持ち上げ、適度に散らした紅しょうがを肉や玉ねぎと一緒に口へ運ぶ。途端に肉や脂の旨味、玉ねぎの甘さ、紅しょうがの酸味などが口中へ広がった。特別な値段でなく、特別な旨さでもないが、それゆえに毎日でも食べていられる日常の美食だ。
もちろん限度というものはあるが。
七味唐辛子による辛さも手伝って、ものの数分で丼一杯が胃の腑へ収まった。そして熱いお茶を啜りこみ、その苦味や香りで口中を清浄化させる。ついでに現在の状況も清浄化されてくれれば言うことはないのだが、それはどうやら望みが薄い。
湯呑みをあおって残ったお茶を飲み終えたが、気付けば眼前には一膳の丼があった。中にはホカホカと湯気を立てる、煮込んだ牛肉と透き通る玉ねぎがたっぷりと盛られている。
いくらここの牛丼屋が脂控えめだといっても、何度も食べていれば食傷するというものだ。
そうだ、ここは大根おろしとポン酢にしてみよう。どちらもさっぱりと食べさせることに長けていて、なおかつ牛丼との相性もよい。
いつの間にか正面に置かれていた大根おろしのタッパーから山盛りにおろしを積んでいき、表面が黒く染まるくらいポン酢を廻し掛ける。身体に悪いという考えが一瞬脳裏をよぎるが、紅しょうがを山と載せることを考えれば同じことだ。あれも塩分が強い。
牛丼の脂と玉ねぎの甘ったるさ、それが爽やかな香りによって相殺されて何杯でも食べられそうだ。黒い小山を少しずつ崩しながら丼の中身を片付けていく。
大根おろしに含まれる酵素の効果によって消化が促進されるというが、いまこの時に意味があるかはなんとも言えない。
さっきまで牛丼の姿も見たくないほどに飽きていたのが嘘のように、最後の方はおろしポン酢で水っぽくなっていた牛丼を啜りこんで、丼の中身はすっかり空になった。
ふと、隣を見ると同じように牛丼を食べるサラリーマンの姿があった。一心不乱に丼を掻き込んでいくが、その表情は幸せそうには見えない。むしろ泣き出しそうな顔だ。その奥には、手前の様子とは対照的に米粒をひとつひとつつまんでは口に運ぶ青年がいた。その表情はやはり苦悶に満ちている。
いつからこうしているだろう。
いま懐で鳴っているスマホに応答することだとか、お手洗いに立つことだとか、ましてや店から去ることも出来ない。それを実行に移せないのだ。僕たちに出来るのは、ただ牛丼を食べることだけ。
視線を目の前に戻すと、眼前には一膳の丼。中にはホカホカと湯気を立てる、煮込んだ牛肉と透き通る玉ねぎがたっぷりと盛られている。
そうだ、ここは刻みにんにくと豆板醤にしよう。どうせ会社にはいけそうもないし、普段は遠慮して食べられない禁断のトッピングを試すのも良いだろう。
牛丼だけはいくらでもあるんだから。
無限牛丼 青王我 @seiouga
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