祭りがはじまると

山本楽志

 



 買い物帰りの道すがら、佳美よしみは町の東西を流れる赤間あかま川を渡った土手沿いの空き地の真ん中に不自然な盛り上がりがあるのに気づいてふと足を止めた。

 大小様々な木の枝で若葉を携えたものも多い。それらがこんもりと小さな山なりに積み重ねられていた。

『たき火?』

 町の南西のはずれ、国道からもかなり隔たっている空き地は、見渡す限りの野原で樹木もない。だから、あの枝の山はわざわざよそから運んできたのだろうが、なんのためにとなると、ゴールデンウイークを過ぎた初夏ではいかにも季節外れだが、それ以外の理由は思い浮かばなかった。

 まさかゴミを焼くわけでもないだろう。

 特に囲いはないが空き地は町の管理地で、子どもが遊んだり、年寄りが集ってラジオ体操をしたりというくらいなら目くじらを立てられることもないが、さすがに火を使うとなると話が違ってくる。もっとも、あまり着慣れているともいえないスーツ姿の男性が数人、積み上げられた枝のまわりで行ったり来たりもしているから、無許可というわけでもなさそうだった。

 不可解ではあったものの、佳美にはそれ以上のアイデアもなく、再度足を踏み出そうとしたところで、

「千里塚さんじゃないの」

 不意に呼び止められた。

「ああ、戌井いぬいさんとしお……倶利伽羅くりからさん、御無沙汰しています」

 振り向いてみれば、そこには戌井祥子さちこと、陰になるように倶利伽羅しおりが立っていた。

「ほんと、お久しぶりねえ。どうしたの? うちはお父さんを駅まで送った帰りなのよ」

 祥子は実家のかつてのご近所さんで、佳美の兄と同級生の息子がいた。その背後でぺこりと頭を上げたの栞は、高校まで同級生の幼馴染だったが、佳美が大学進学で町を出て以来疎遠となり、戻ってきてからも顔を合わせれば挨拶をする程度になってしまっていた。

 佳美としては昔のように下の名前で呼ぶのにためらいがあり、栞もかつては同級生で最も長身だった体を猫背気味にして膝を屈めて、無理矢理中背の祥子の後ろに隠れようとしていた。

「買い物です。今日はフジタケお休みですから、ゴコウに行ってたんです」

 近所の地元経営のスーパーは日曜日が定休日になっているので、なにか補充がある場合は少し離れた地方ローカルのチェーン店に向かうことになる。

「あら、そうだったの! でも、大丈夫?」

「はい?」

「聞いたわよ、おめでたなんでしょう?」

 田舎は話の伝わりが早い。佳美も実家に報告した時点で広まることは織り込み済みだったから、そこまでの驚きはない。ただ、住まいを変えて二十年以上になる祥子の耳にまで届いていたのは予想外だった。

「ありがとうございます。はい、先日、診てもらいましたら三ヶ月だって」

 まだ特に目立たない腹をさする素振りをすると、祥子も一歩近寄り、佳美の手の上に手を重ねる仕種をする。

「でしょうー。どこで診てもらったの? 菱宮ひしみやさん? ああ、あそこならいいわね。ほら、慈恩じおん会はさ、いろいろあったじゃない。けど菱宮先生なら安心。でも、いいの? こんな時に出歩いて。お腹、心配でしょう? 旦那さん、お仕事?」

「いえ、検査の結果が出てからは、週末は休日出勤もなくて助かってます」

 夫の職場は育休が制度として根付いていて、予定日以前のやりくりもしやすくなっていた。

「あらー、いいわねえ」

 しかし、祥子のその返事はどことなく気もそぞろで、ちらちらと買い物バッグに視線をよこしてくる。佳美もそれにはもちろん気づいている。なにしろ妊婦には御法度のビールの六本パックが透けて見え見えなのだから。

「夫の晩酌用です。昨日買いそびれちゃって。彼は自分が飲むんだから行ってこようかって言ってくれたんですけど、動けるうちは動いておこうと思いまして。両親からも言われちゃったんですよ、多少外に出るくらいはしておきなさいって。体なまってしまうでしょう」

 幸い祥子の好奇心はそれで治まってくれたらしかった。

「そうよねえ、骨も弱くなっちゃうから。ほら、大師堂だいしどう利恵としえさん、あの人なんて克彦かつひこちゃん生んだ後で転んで骨折しちゃって」

 大師堂は町内の地区名だが、利恵さんも克彦ちゃんも誰か佳美には見当がつかなかったので、それっぽく相槌を打つしかなかった。

 と、その時、エンジン音が響き、一台のオートバイが赤間川にかかる西凪にしなぎ橋を渡って、佳美が見るともなく見ていた空き地へ乗り入れたのだった。

 ヘルメットこそかぶっていたものの、袈裟姿からもオートバイの運転手は、ちょうど話題になっていた大師堂のあたり、舞組まいくみ駅の向こうにある寂光寺じゃっこうじの住職だと知れた。

「どうかして? あらっ、そっか。もうそんな頃よねえ」

 祥子もそちらに気付いたらしいが、佳美が思いもよらなかった人物の登場に軽く戸惑っていたところが、至極当たり前のようにそういってのける。

「あの……、あれってなんですか?」

 状況がつかめず、なんとなく置いていかれたようで、つい佳美はたずねてしまっていた。

「なにって……、あー、佳美ちゃんいつ戻ってきたんだっけ?」

 いつの間にか苗字呼びから昔のような名前呼びになっていた。

「えっと、三年になります」

 四年前に祖父が亡くなり、その住んでいた家に管理を兼ねて夫と引っ越してきたのがその頃だった。

「だったら久しぶりで忘れてるわよね」

 祥子は一人納得したようにうなずく。少々じれったかったが、すぐに教えてくれた。

「佳美ちゃん、ほら、今年は五年に一度の」

「あっ、そうか」

 その一言で合点がいった。

 今年は五年に一度のデスゲームの年だった。


 凪音なぎね町のデスゲームこと斎屠祭さいとさいは、全国にも名の知れているいわゆる奇祭だ。

 負け抜け方式の大人数参加型イベントで、脱落イコール死という、シンプルかつ普遍的なルールで行われる。

 六十年周期の十干十二支を十二回に分割する五年ごとの開催で、当該年は新聞、テレビといったマスコミもこぞって取り上げるので、このひなびた町がにわかに活気づく。

 そしてその祭りの会場こそが、目の前の空き地だった。

 積み上げられた枝葉は祭壇がわりで既に火がともされおり、その前では住職が経文を誦している。すぐ後ろでスーツ姿のお歴々が神妙に頭を下げてそれを聞き入っている。

 佳美も忘れていたわけではなかったが、大学進学に就職、結婚と成人前から町を離れていたため準備に携わった経験がなく、記憶の中の祭の光景と今空き地で行われている住職を呼んでの祈祷とが結びつかなかったのだった。

 わかりやすい見出しをつけるメディアや、それにならった若い世代の町民はデスゲームという呼称を使っているが、歴史は古い。

 執り行っている寂光寺の境内に掲げられた立札が「三百回を数える」と解説しているのはいくらなんでも眉唾ではあるが、江戸前期の随筆「芍薬園餘筆」にわずかながらも斎屠祭の見聞が記されているのは事実だ。

 元来は飢饉、病の流行、地震などの自然災害や、苛酷な封建制度下の圧政で疲弊しきり、生きる希望を失い自暴自棄に陥って来世での救済を願しかなくなった人々を、寂光寺の僧が得度を与え一定の教育を施して引導を渡していたのがはじまりとされ、次第に希望者が増加していく過程で試練に臨ませてそれを果たした者だけを往生させるという形に変化していったのだという。

 慶長年間に碑文谷ひもんや法華寺ほっけじではじめられた極楽往生を騙っての殺人興行蓮華往生も、寂光寺斎屠祭にヒントを得たものだとする研究もある。

 だが町の人間からすれば、そうしたくだくだしい由来よりは、五年に一度の確実な開催が大切にされている。

「佳美ちゃんはずいぶん久しぶりなんじゃない。高校以来?」

「いえ、一度、大学の頃に帰省したら、丁度重なって」

 祭はお盆の期間に行われる。だから、五月のこの時期から準備がはじまろうとしていることにぴんとこなかったのだ。しかし、考えてみれば、毎回数十人が参加者するデスゲームなのだから、一日限りの普請とはいえ会場を作るにはそれなりの時間が必要になる。

 様々な仕掛けの施されている競技用の舞台と、向き合う階段状の観客席の並ぶ姿を頭に思い描くと感慨深くなる。

「もしかして、佳恵よしえさんが参加した?」

 それを割くように祥子が口をはさんできた。

「ええ」

 やっぱり覚えられていた。

 菱河ひしかわ佳恵は千里塚佳美こと旧姓菱河佳美の最愛の祖母にあたった。佳の字は祖母からいただいたものでもある。

 けれども、それだけに、佳美にとってはきまりの悪い思いをさせる名前でもあった。

「でも、おばあちゃん、最初でやられちゃったから」

 デスゲームは第二関門以降は毎回異なった趣向がとられるが、初戦は常に同じで二択のクイズが行われることになっている。得度者に引導を渡していた名残ということだったが、それも現在では変更されて、不正解者が脱落となる。

 佳恵はこの初戦で早々に間違えて、会場の半分を覆った巨大な板状の石が落下してきて押しつぶされたのだった。

「恥ずかしいですよね、すぐ消えちゃったら。最初は一斉に脱落だから、なんの見せ場もありませんし」

 実際、肉親の佳美たちでさえ、祖母は人ごみの奥にいたため、どこでつぶされたのか確認できなかったし、老若男女入り乱れての悲鳴のなかで老女の声を聞き分けることはできなかった。それがどうにも佳美には気恥ずかしくてならなかったのだ。

「そ、そんなことないよ!」

 ところがそれに意外にも大きな声で反駁してきたのは、これまで口を閉ざしたままだった栞だった。

「佳恵おばあちゃんのことは、わたしもよく覚えているから。よしみ……千里塚さんが大学に行ってからも、いつも矍鑠として、町のみんなにもすごく頼りにされてたんだから。その佳恵さんが、夏に千里塚さんが帰ってくるからって、すごく張り切って斎屠祭に立候補した時は、やっぱりかっこいいって思ったもの。だから一回戦が終わって、次の会場にいなかった時、本当にびっくりした。でも、その驚きのおかげで、あの年は盛り上がったし、今でも思い出すことがあるんだよ。それは佳恵おばあちゃんのおかげでもあるんだから、見せ場がないんじゃなくてみんなの見せ場の礎になったのよ」

 びっくりした。思いもよらない長広舌に、ひるんでしまった。佳美の記憶にある幼い頃の栞でさえも、ここまで心情を熱く表に出すことはなかった。

 けれどもその熱意は、長年澱のように佳美の胸の奥で溜まっていたわだかまりを解してくれるように思えた。

 斎屠祭は控えめな栞が熱弁を振るうくらいには凪音町民が誇りにしていた。長らく町の外で暮らした佳美にしてもその思いは変わらない。だからこそ、最愛の祖母のあっけない脱落に、その大事な祭りを妨げたような申し訳なさを覚えていた。お盆の時季に帰郷の足が遠のいていた一因でもあった。

「えっと、ありがとう……」

 嬉しくなったものの照れくさくもあり、佳美の声はついかすれたものになってしまった。

「あっ、ど、どういたしまして……」

 栞は自身の豹変に、ばつの悪い思いが募ってきたらしく、たちまち耳まで真っ赤にして、再度祥子の背後に隠れようとする。

「まあ、出だしが悪かったらなんだってぱっとしないものよ。だから序盤の結果ってかなり大事なのよね。通り過ぎても通らな過ぎてもしらけちゃうし、番狂わせもほしいから。あの人ダメだったのね。え? あの人も? そんな思い思いの感想が出てくるから盛り上がるんじゃない」

 けれども祥子は、案外と軽やかに身をかわして引っ込ませない。

「だからさ、うちのバカ息子なんて全然ダメ!」

 にやりと口の端をゆがめたかと思うと、からからと高らかに笑いだした。

「でも啓吾さんはすごい人気だったじゃないですか」

 戌井家の長男啓吾けいごは佳美の兄悠一ゆういちと同級生だった。三つ歳が離れているため直接は知らなかったが、兄からはよくその文武両道ぶりを聞かされていた。

「だめだめ、結局、人間、ここぞって時の対応で決まるでしょ。ほんとに、あの子の時は、顔から火が出る思いだったんだから」

「けどかっこよかったですよ、あの時の啓吾さん」

「どこが!」

 栞がフォローするけれども、祥子は一笑に付してしまう。

 佳美も、高校生の頃目にした、啓吾の参加した姿は覚えていた。

 持ち前の知力と体力を活かして順当に勝ち残っていった啓吾は、第三関門だったか第四関門だったかで生き残った者同士での直接対決が行われた際も、有利にゲームを進めていた。

 確か共通の数字の組み合わせのカードを持って、基本はその数字の大小で勝負を決めていくが、何枚かの特殊な効果を持つものもあり、それが状況を大きく変化させ得るというものだったはずだった。

 カードは一枚ずつ提示され、それが表にされるたびに観客席も一喜一憂していた。

『こんな祭は間違っている!』

 その何度目かのオープンを終えたところで、啓吾が突然大きな声で叫んだのだった。胸の前で右手の拳を作って強く握りしめて、懸命に人の命を軽んじた催しの開催を批判して、一刻も早い中止を訴えたのだった。

『窮迫に苛まれ、明日をも知れぬ命をせめて自ら差し出し、向後の憂いとなることを打ち払おうとした先人の行いを、単なる娯楽として扱う私達は、あまりに軽薄に町の歴史を汚している!』

 血を吐くような叫びだったが、それだけに大いに受けた。

 競技そっちのけで突然はじまった演説、それが優勢な側から投げ掛けられ、おまけにその主が当時町でも名の知れた優等生であったことの意外性が、観客からすると望ましいハプニングとして大いに持て囃された。

 拍手と盛大な声援を受けて、啓吾は一躍最注目の参加者に祭り上げられた。

 けれども、そこからがよくなかった。啓吾はその満場の声援が自らに向けられていることを知ると、一度首を振ってなにを思ってか、手にしていたカードを投げ捨てたのだった。こうなればゲームは続行不可、自ら脱落の道を選ぶことになった。

 この時の会場の盛り下がりはすさまじかった。

 直前の熱狂が最高潮に達していただけに、誰もがしらけてしまい、場内水を打ったような気詰まりな沈黙が覆ったことを佳美もよく覚えていた。

「協調性のなさが、ああいうところで出ちゃったのよね、我が子ながら恥ずかしいわ」

 祥子は自嘲気味に笑い飛ばした。

「啓吾さん、根がやさしかったから」

「やさしかったら出る必要ないでしょうー?」

 それはその通りだった。斎屠祭の参加は申告制であって、誰からも強制されるものではない。当日までなら辞退もいくらでも可能だ。それに過去の祭りを知っているものなら、だれだって一対一の対決形式があることくらい心得ている。

「結局あの子はあそこで勝負を決めることに怖気づいて、なんとか体面崩さずに途中退場できないかって悪あがきしたのよ。みっともないったらないじゃない」

 一旦開始されれば斎屠祭から生きて出る方法は最終関門まで勝ち進むしかない。

 参加の意思を放棄した啓吾は、結局運営の手でもって失格の処理を施された。

「そういえば、今年もまた出るのでしょうか、テレビの方たち……」

 祥子は笑っているものの、佳美とすればばつが悪く、それは栞も同様だったようで、懸命に別の方へ話題を振ってくれた。

 だがそれは唐突で、佳美には思い当たる節のない話だったため、きょとんとしていると、それを察した祥子が説明をしてくれた。

「斎屠祭はね、前からテレビの取材もいっぱい来てたじゃない。それがここ何回かは実際にアナウンサーやタレントを参加させてくれってオファーしてきたらしいのよ」

「でも、それってだめなんじゃないんですか」

 斎屠祭はデスゲームではあるけれども、由緒正しく、住民からも大切にされているデスゲームだ。だから、昔から隣接する町や村の物見遊山的な参加を規制するために、住民票を凪音町に置いている者に限定していた。

 その理屈からすれば、当日に外部からやって来て参加だけするなどという虫のいい話が通るわけがない。

「もちろんだめ。けどさ、いくら断ってもしつこいらしくて、逆に締めつけすぎると、ほかにも配信者?――そういうのがいるんでしょ――からも注目集めちゃって、収拾つかなくなっちゃったんだって。それで、特別枠ってのを作って、毎回十人前後の参加を認めてんのよ」

「あれ、本当にひどいですよね。取り巻きの応援も異様ですし」

 栞も口を尖らせて苦言を呈する。初耳ではあったが、佳美にもその異質な盛り上がりぶりの想像はついた。

「そこまでやってあげてるのに、今度はだれも一回戦を突破できないのはおかしいとかいいだしてるらしいしね」

「なんですか、それ」

「特別枠を作ったものの、みんな最初のクイズでやられちゃうらしいのよ。それで町の人間が、外部から出場者をわざと落としているなんて話も出たんだって」

「なんですか、それ!」

 佳美は同じ言葉をくり返したが、熱量が上がって憤慨が混ざっていた。

「まあ、無理な枠を作ってるから、協賛ってことでそれなりのお金も入ってきているらしいじゃない。それにここのところ参加者も減ってきているしね」

 そう言われてしまうと、一度町を出たことのある佳美は言葉に詰まってしまう。

「そこまでして出たはいいけど、一回戦敗退じゃ、ろくに放送時間もとれないでしょう。そこはわかるけど、だからって運営の方にもカメラを入れさせろはめちゃくちゃでしょ。罰当たりよねえ。さすがにそこまでくると住職さんも突っぱねて、それでしたら御参加いただかなくて結構ですって言い放ったらしいけど」

「よかった」

 佳美は胸を撫で下ろさずにはいられなかった。

 視界の端では、祭壇を前にして経文を唱える寂光寺の住職の姿があった。まさか離れたこちらで話題になっているとは思いもよらないだろう。

 積み上げられた生木には火がつけられて、先ほどからもくもくと白い煙が上がっていたが、次第に炎が姿を現して、佳美たちからもうかがえるようになってきた。

 ちりちりと揺らめかせる炎の衣は驚いたことに薄い緑色をしている。青い炎が赤や橙と比べて温度が高いことは佳美も知っていたが、緑の炎というのは初めてだし、ガソリンなどを撒いたにしても水分を多く含む生木を燃やしたくらいで、そんな温度に達するとも思えなかった。

 けれども、そんな不思議が頭をよぎるよりも、立ちのぼる炎を目にしていると、新しい生命を宿した腹部が熱を帯びて敬虔な気持ちが沸き起こり、これから約百日後に行われるデスゲームに思いを馳せて、厳粛な思いに浸されるのだった。

 そしてそれからは、栞との間にあった距離感も薄れて、屈託なく過去に見たデスゲームの思い出の数々に花を咲かせることができたのだった。


「おかえりー」

 玄関の扉を開けるなり、「ただいま」と口にするより早く、夫の俊克としかつは居間から顔を出して佳美を出迎えてくれる。

 そして両手を差し出して買い物袋を受け取ると、一足先に台所へと向かう。

「重かったろう。大丈夫?」

「平気だって、このくらい。これからもっと重いものを抱いたり背負ったりしないといけないんだから」

「ふふ、そうだね」

 佳美のおどけた口調に、俊克も笑って返す。

「それよりごめんなさいね、遅くなっちゃって。途中で話しこんじゃって」

「あっ、そうだったんだ」

「前に言ったことなかったっけ? 昔近所に住んでいた戌井さん、それと幼馴染の倶利伽羅さん」

「へー」

 祖父の住んでいた家の長い廊下の先に台所がある。佳美達が暮らすにあたり、両親や親戚はなんだったら建て替えてもよいといってくれて、一部費用の援助まで申し出てくれたのだったが、俊克が丁重にそれを断ったのだった。

 実際、家はどこもしっかりしていて軋みひとつ立てるでもなく、わずかのリフォームで夫婦二人での生活ならなんの不自由もない居住空間を提供してくれた。

「そうだ、さっき、回覧板がまわってきたよ」

「へえ、何か書いてた?」

「あれ? 見なかった? 下駄箱の上に置いといたんだけど」

「そう」

 佳美はUターンして玄関に戻る。早速夫が缶ビールの包装パックを破って冷蔵庫にしまう音がそれを追ってきた。

 確かに回覧板はいわれた場所にあった。下駄箱が佳美の腰あたりの高さまでしかなく、寝かせてあったので気付かなかったのだ。

 開いて中身を確認してみたが、まだ捺印もされていない。一度台所に戻り、認印よりも手近にあったボールペンを取る。既に俊克の姿はなく、隣の居間からテレビの音が聞こえてきた。

 改めて閲覧の印を捺そうと思ったところで、念のため確認すると、今月の公園掃除の割り当てや公民館で行われる地域セミナーのお知らせのなかに、「斎屠祭参加希望者につきまして」というプリントがまじっていた。

 B5用紙の、いかにもコンビニコピー使用のプリントは、見出しだけはかろうじて文字サイズを大きくしているものの、それ以外は特に装飾を施すわけでもなく、シンプルに参加要項が書かれていた。

 それは佳美がざっと目を通しただけで全てを読み切れるほどのものだった。

 プリントにはホチキスで一通の茶封筒が張りつけられていて、参加希望者はどのような紙でもかまわないので記名に捺印を添えて入れるようになっていた。佳美が手を触れると、既に何枚か入れられているのが感じられる。

 佳美は夫の俊克に特に不満を抱いているわけではなかった。

 むしろ祖父の家を管理することになった際も通勤に一時間以上かかるようになったにもかかわらず快く受け入れてくれ、元のままの思い出深い姿を残すように努め、そうして佳美の妊娠がわかって以降は、休日は常に家にいてなにかと家事の手伝いをしてくれて、今から育休の計画を会社を通して組んでくれていることに感謝している。

 近くに住む佳美の両親に気遣いし過ぎているのが見え隠れしたり、昔ながらの建築でバリアフリーなど考慮されていないこの家の不便さに気付かなかったり、家事をする際に替わろうとする申し出を佳美が一度断るとそれ以上は強いて踏み込んでこなかったり、妊婦に遠いスーパーまでビールを買いに歩かせたり、越してきて三年になるのに回覧板の次の行き先を知らなかったり、中身を確認して捺印さえしなかったりなんていうことは、些細なすれ違いのようなもので特になにも感じてはいない。

 そういえば、ふと思う。

 夫には斎屠祭の話をしたことがあったろうか。

 まるでしていないこともないはずだが、いまいちその時の反応が記憶になかった。

 もし、今、改めて凪音町のデスゲームについて説明したら、どんな返答をしてくれるだろうか。佳美の生まれ故郷の祭りとして受け容れてくれるだろうか。倫理的な拒絶をあらわにして不快感や憤りを見せてくるだろうか。それともいつものように上の空で聞き逃してしまうだろうか。

「佳美ー」

 その時、家の奥から夫の呼び声が聞こえてきた。

「ごめんなさい、ちょっと回覧板をまわしてくるわね」

 佳美は書くものを書いて、丁寧に封筒を閉ざし、開けていた回覧板をたたむと、そう声を掛けて家を出るのだった。

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