その指先が世界を救う

sorarion914

救世主、現る

 今まさに、人類は滅亡の危機を迎えていた。


 世界規模で拡散された未知のウイルスが、驚異的な速度で進化して、次々と人間を死に至らしめていたのだ。


 このウイルスが、いつ、どこで発生したのか――


 それを特定しようと、各国の保健機関が必死になって調査するも特定できず、あらゆる手立てを講じても、まるで人類をあざ笑うかのようにウイルスは変異して次々と人々に襲い掛かってくる。


 分かっているのは、空気感染であること。


 暑さにも寒さにも関係なく、湿度や乾燥もものともしない。

 老若男女問わず、誰でも感染し、その致死率は90%を優に超えていた。

 予防薬も特効薬も効かず、一度感染したらあるのみ



 そして、感染するのは【人間】だけ――という事実。



「今までにも未知のウイルスは存在したが、ここまで強力なものはなかった」

「これは我々人類が、ついにこの地球上から粛清されようとしてるのだ」

「選ばれた人間と動物だけが生き残る、ノアの箱舟計画の始まりだ」

「いや、地球乗っ取り計画の始まりだろう。彼らはもうかなり前から地球に来て、この時を待っていたのだ」


 テレビやSNSでは、連日のように宗教論や国家の陰謀論、果ては宇宙人の侵略説等々……

 ありとあらゆる専門家や有識者がこぞって持論を唱えていた。



 感染者は医療用シェルターに隔離され、非感染者は無菌室の中で生活をする。


 外出時は防護マスクと酸素ボンベを装着し、屋外での活動時間は制限され、いつしか地上からは人間の姿が消えた。


 道を歩くのは、飼い主を失った犬や猫、鳥や野生動物。


 管理する者がいなくなった都会では、アスファルトはひび割れ、建物には草木が生い茂り、高層ビルが立ち連なる先進国の巨大都市は、かつて映画で見たような終末期の世界そのものだった。


 人間の営みが徐々に失われていく世界で、人類はただ、迫りくる死の影に怯えていた。



 そんな時。

 1人の男の存在が世界を沸かせた。


 それは、ある国の地方で羊飼いをしていた男が、村の感染者の子供に触れた瞬間、子供の体内からウイルスが消えた!というのだ。


 俄かには信じがたい話だが、この男が住む村の住民は誰一人感染しておらず、感染していた人間も、彼の指先に触れた途端に治った――というのだから驚きだ。


 話を聞きつけた保健機関が村に赴き、早速この男を調べた。



 男は20代の若い青年だった。

 両親や兄弟と共に羊飼いの仕事をしており、身長体重共に標準。

 健康状態に問題はなく、仕事熱心の至って真面目な青年だった。


 村には小さなカトリックの教会があったが、青年は特別熱心な信者というわけではなく、国家の陰謀論や宇宙人侵略説に傾倒するような思想の持ち主でもない。


 牧歌的な、素朴で平和な村の住民だ。



 調査員たちは、直ちに男の体を調べた。



 男がウイルスに感染した形跡はなかった。

 それどころか、ウイルスが充満している部屋にいても一切感染することなく、強制的に感染させても、数分でウイルスが体内から消えてしまう。


 血液検査、抗体検査――ありとあらゆる検査をしても、その理由が分からない。

 ウイルスに対して、体内で何か有効な物質が作られているのではないかと全身くまなく検査してみても、その理由が分からなかった。


 そして最大の謎は、男の指先に触れると、ウイルスが消える――というやつだ。


「そんなバカな……」


 と、誰もが半信半疑だったが――


 感染して5日目の患者と、試しに指先を合わせてみたところ……

 驚くことに数時間後、死の間際だった患者の体内からはウイルスが見事に消えていた。


 この事実に研究機関の人間は驚愕し、そして震えた。


 男の指先から、何か特殊な成分でも出ているのかと調べてみたが、出ているのは汗と皮脂の成分だけ。

 なのに、男と指先を合わせた患者の体からは、次々とウイルスが消えていく。




「まさに神の指先だ!」




 世界各国でこの話題が取り上げられると、人々がこぞって男の下に集まってきた。


「私の母を救ってください!」

「子供を助けて!」

「家族を治してください!お金ならいくらでもあげます!」



 命の為なら私財をも投げ出す。

 藁にも縋る思いで群がる人々に、青年は困惑した。


「私はお金はいりません。必要なら皆さんの所へ行きます」


 青年はそう言うと、保健機関の協力を得て、世界中を駆け回った。

 暑い国から寒い国へ。

 豊かな国も貧しい国も。


 彼は分け隔てなく駆け回った。



「神の人差し指!!」

 彼を迎える人々は、人差し指を天高く掲げて歓声を上げた。



 その指と自分の指先を合わせる姿を、かつての映画のポスターになぞらえ、街中には【E.T】の複製ポスターが至る所に貼られた。


「諦めるな!私たちは生き残る。なんだって出来るんだ!」

「そうだ!YES,WE CAN!!」

「YES,WE CAN!!」


 人差し指を胸の前に掲げ、声高に叫ぶ者が続出する。



 神の如く舞い降りた救世主に、全世界が歓喜の雄たけびを上げた。


 たった一人の男の指先が世界を救う。

 この希望の光に、人類は再び栄華を取り戻す――そう確信していた。






 ――――しかし。













「ねぇ、オジサン。ガソリンないの?」


 乾いた砂ぼこりが舞う国道脇のスタンド。

 そこに年季の入ったバイクで乗り付けた女は、近くの椅子で店番をしている男にそう声を掛けた。


「ガソリン?そんなモンは近頃入ってこねぇな」


 男は、くたびれた服に潰れたブーツ姿で、立ち上がる素振りも見せない。

 ニヤニヤしながらタバコをくわえている。


「じゃあ、なんでもいいから点火剤ちょうだい」

「そんなレトロなバイクで何処へ行こうっていうんだ?防護マスクも付けないで」

「どこでもいいでしょう」

「悪い事は言わねぇ。向こうへ行くのはよせ。ここはまだ安全だが、街の中にはまだウイルスが残ってる」

「……」


 その言葉に、女はじっと道の先を見つめた。


「大都市に張られたシェルターは、あと数年で崩壊する。そうなりゃ、世界はまたウイルスに侵されて――今度は間違いなくだな」


 男はそう言いながら、点火剤をバイクのタンクに注いで苦笑いを浮かべた。


「まったく愚かな事さ。救世主を独占して世界の権力を握ろうなんざ……」

「……」

「彼は平等に人類を救おうとしたのによ。神の指先を我が物にしようと目がくらんだ独裁国家には嫌気がさす。どこまで行っても、我々人類は変わらないな――欲深い生き物だ」

「……」

「アンタもそう思わないか?」


 女は、黙って金を払った。


 神の指先を巡った争いごとに巻き込まれた青年は、諸外国を回っている最中に襲われ、指先ごと腕を切り落とされた。

 しかし、体から切り離された指先に、もはやウイルスを消す力はなく、その傷が元で青年は命を落とし――奇跡は潰えた。


「人類は滅亡する運命なんだ。それならそれで、もう受け入れるしかねぇや。いや、金はいらねぇよ。大事にとっときな。アンタに未来があるならな」

「未来ならあるわ。私にも、あなたにも」


 その言葉に男は首を振った。


「いや。俺にはないね」

「なぜ?」


 スタンドの店先にある、剝がれかけのポスターを見て男は笑った。

 複製の【E.T】が今は皮肉に見える。


してるんだ」

「……そう」


 女はそう呟くと、ゆっくり男に近づいた。


「なら会えてよかったわ」


 女はそう言うと、左手の指先で男の指先に触れた。

 すると、それまで無気力だった男の顔に、微かな活力が生まれた。


「え?」

「これでもう大丈夫よ」


 そう言って女はバイクにまたがると、豪快にエンジンを吹かした。


「おい!まさか……?アンタ――」

「――」

「まだ諦めるのは早いわよ」




 女は微かな笑みを浮かべると、そのままシェルターの張られた街へ向けて走り去っていった。



【完】

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