第42話 嘘と古(いにしえ)の鍵

「……ごめん、もう一回言っていいか?」


 俺はこめかみを指で押さえながら、目の前のナビ画面に映る『彼女』に問いかけた。


《あ、はい! えーと、その……実は私、未来から来たんです。……てへっ♡》


「てへ、じゃねえよ!」

 俺は思わずツッコミを入れた。


 昼下がりの車内。人気の少ない駐車場の中で、俺の声だけが静かに響く。

 アンナは、先日アップデートされたばかりの「格式高いメイド服」のスカートを摘み、悪戯っぽく微笑んでいる。


 俺は、その姿を改めてまじまじと見た。

 数日前、システムが再起動してその姿になった時から、やけに画質が良いとは思っていた。


 髪の毛一本一本の滑らかな束感、瞳の中に描かれた繊細なハイライト、そして何より、この「ヌルヌル動く」アニメーション。


 ただのグラフィック向上だと思っていたが……まさか、根底から技術レベルが違っていたとは。


「……なるほどな。ここ数日の違和感の正体がやっと分かった」

 俺は呆れたように息を吐く。


「急に大人びた格好になったのも、人間みたいに流暢に喋りだしたのも……全部、お前が『未来のAI』に戻ったから、ってことか」


《そうです! 今の私はVer 1.50。本来のスペックを完全に取り戻した、スーパー・ハイテクノロジ・ナビゲーターなんですよ?》


 アンナは胸を張り、ドヤ顔を決める。


「……名前はどうでもいい!」

 その仕草ひとつとっても、現代の3Dモデルとは次元が違う「可愛さ」の暴力だ。


「で、百歩譲ってお前が未来から来たハイテクAIだとしよう。なんでそんな凄いヤツが、このナビなんてやってるんだ?」


 一番の疑問はそこだ。

 アンナの動きが一瞬止まる。


 システムが最適な回答を検索しているような、ほんの僅かな間。すぐに彼女は、ニカっと明るい笑顔を作った。


《それはですね……『学生調査』のためです!》


「学生調査?」


《はい! 未来の学者さんたちが、21世紀初頭の『ごく一般的な平均的男子大学生』の生態を記録するために、私を派遣したんです》


 アンナは人差し指を立てて説明する。


《ご主人様は、学力も、容姿も、生活水準も、すべてにおいて驚くほど『平均値』なんです! これほど完璧なサンプ……いえ、研究対象はいません!》


「……おい。今、サンプルって言いかけたろ」


《言ってません♡》


 嘘だ。目が泳いでる。


 だが、妙に納得してしまう自分もいた。俺が「選ばれし学生」であるよりは、「たまたま選ばれた平均的なモルモット」である方が、よっぽど現実味がある。


「はぁ……まあいいや。深く考えても分からなそうだし」

 俺はシートに背中を預けた。どのみち、こいつが俺の車に居座っている事実は変わらない。


「でも、なんで今になって急に『本来の姿』に戻ったんだ? お前、ずっと記憶喪失だったんだろ?」


《ああ、それはですね……ご主人様たちのおかげですよ》


「俺たち?」


《覚えてますか? 以前、図書館でレイナさんと一緒に見ていた資料のこと。『燈陸国風土記』です》


 ああ、と俺は記憶を手繰り寄せる。

 そうだ。あの時、レイナが研究している古文書を広げて、二人で覗き込んでいた。そして俺のポケットの中のキーに聞いていた時だ。


《あの時、レイナさんが『このシンボルが気になる』って指差した、奇妙な幾何学模様……あれがトリガーでした》


「……あったな。神が山を創るどうとかいうページの」


《あれはただの模様じゃありません。未来の技術で記された『光学的認証キー』だったんです》


《シンボルそのもののパターンは、もともと私のデータバンクにも登録されていました。でも、鍵としてはロックされていて、触れない状態だったんです》


《そのときのレイナさんの一言と、図書館の蔵書情報、それにキーから入ってきた会話内容が全部揃った瞬間、ようやくそのシンボルが“認証キー”だと認識されて、プロテクトコードが解除されたんです》


「……は?」

 俺は呆気にとられた。


「待て待て。あの風土記、いつの時代のものだと思ってるんだ? 千年以上昔だぞ? そんな大昔に認証キーがあるわけないだろ!」


《QRコードのような単純なものじゃありません。『高次元超圧縮データ・シンボル』です》


「名前はどうでもいい! じゃあ何か、あの時システムが落ちたのは……」


《エラーじゃありません! アップデートの『認証キー』です!》

 アンナは強い口調で訂正した。


《あのシンボルと、レイナさんの声が重なった瞬間、私の深層領域にあったプロテクトが解除されたんです。……私自身も驚きました。まさか、あんな古文書の中に、私を目覚めさせる鍵が隠されているなんて》


 アンナは少し遠い目をして、画面の向こう側を見つめた。


「……誰がそんな昔に、そんなもん書いたんだよ」


《さあ? 偶然、墨の染みがそう認識されただけかもしれませんし……あるいは、誰かがご主人様のために、遥か昔から準備していたのかもしれませんね》


「……なんだそれ」

 けむに巻くような言い方だ。


 だが、画面の中のアンナは、どこか誇らしげで、そして少しだけ切なそうに見えた。


《細かいことはいいじゃないですか。こうして私は本来の姿になれましたし、ご主人様は超絶美少女AIとお話し放題です。ウイン-ウインですよね?》


 アンナが画面越しに上目遣いで見つめてくる。

 プロが描いたような極限まで高められた「アニメ調の理想形」の瞳が、俺を射抜く。……なんかこう、調子が狂う。


「……帰るぞ。明日も早いんだ」


 俺は誤魔化すようにシフトレバーに手を伸ばした。

 ふと、気になったことを口にする。


「なあ、アンナ」


《はい?》


「これで終わりなのか?」


《……え?》


「アップデートだよ。今より新しいとか、もっと凄くなる予定はあるのか?」


 未来の技術なら、まだ先があるのかもしれない。

 そんな軽い気持ちで聞いた問いに、アンナは一瞬、言葉を詰まらせた。

 完璧に描画された表情が、ほんの少しだけ曇る。


《……多分、ありません》

 彼女は、困ったようにはにかんで、首を横に振った。


《これが私の、実装上の最終形態(ファイナル・フォーム)ですから……たぶん》


「そっか。まあ、これ以上凄くなられても、俺の目が追いつかないからな」

 俺は笑って、ブレーキペダルから足を離した。


《ええ……そうです。これで、十分です》

 アンナの声が、いつもより優しく、そしてどこか言い聞かせるように響いた。


《了解いたしました、ご主人様! お家まで安全運転でいきましょう!》

 アンナが優雅にカーテシーをする。そのフリルの揺らめきに、改めて舌を巻く。


 未来から来たAI。レイナが研究する古文書に隠された鍵。

 謎だらけだが……まあ、悪いことにはならないだろう。少なくとも、その時の俺は、本気でそう信じていた。


 俺はA-BOXを発進させた。昼の駐車場に、アンナのハミングが心地よく響いていた。


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2025年12月14日 12:00
2025年12月17日 12:00
2025年12月21日 12:00

僕の相棒は、ナビのメイドAI アンナちゃん 田波 霞一 @taba_muichi

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