ブラック・シティ

渋宮 暢

ブラック・シティ


 両目から拡張現実デバイスオルタナを外す。コンタクトレンズ型のそれを専用のケースにしまって、私は改めて街を見る。

 あらゆる色の一切が消えた。灰色の空を背景に、黒一色のビル群と看板と地面が見える。私が座っている公園のベンチは、木製の質感テクスチャを失い、炭素繊維強化プラスチックの黒々とした艶めきを放つ。

 あらゆる環境音が消え去り、水のせせらぎも鳥のさえずりも、液晶広告の音声も、自動車のエンジン音も消える。あるのは精々、人々の会話のざわめきくらいのもので、道行く人間たちの着ていた衣服は全身を覆うボディスーツへと差し替えられた。

 唯一、表に出ている顔の部分だけは、大体の人間が手入れをしている。髭を剃り、メイクをする。オルタナの写す質感テクスチャで、手入れをした後の顔を自分に被せることも問題なくできるが、不意にオルタナが故障して素顔が見られたときのことを危惧してのことだ。大事な商談の最中に突如として、自分の顔が無精髭にまみれた不衛生な素顔になると考えればビジネスマンたちの怖れも分からなくもない。特にこのオフィス街では。

 噴水は大理石の質感を失い、噴出していたはずの水は掻き消えていて幻だったことが分かる。近づいてみると噴水だと思っていたそれはただの黒い円形の台でしかなく、水を受ける部分ですら架空の窪みだったことが分かる。これならば掃除の手間も少ない。極めて機能的だ。

 台に腰掛ける。道ゆく人々の目には、私をただ噴水に腰掛けている人物と見るだろう。もう少し奥の方で寝転がってみれば、私は水面の上で浮遊して昼寝する奇術師へと早変わりだ。特に目新しくもないおふざけに過ぎないが。

 道路の左右や公園に生えていた木々は全て黒い柱へと変わり、煉瓦造りの花壇はただの黒い箱へと姿を転じた。

 周囲にある建物もほぼ全てが無機質な黒い箱だ。それを別に悪く言うつもりはない。この黒い箱たちはなかなかに機能的で、継ぎ目も窓も無いのっぺりとしたしなやかな建物は遮音性、断熱性、耐汚性、耐衝撃性に優れ、暑さにも寒さにも強く、爆弾を投げつけられようとびくともせず、震度7の地震が来ようと崩れ落ちない。

 唯一の欠点である無味乾燥とした見た目は、拡張現実オルタナティブ・リアリティによってデザインを上から被せられる。宮殿風もガラス張りも自由自在だ。ついこの前までパン屋だった煉瓦造りの建物は、テナントが変わって和菓子屋になった瞬間に木造家屋になっていた。

 この街は嘘っぱちでできている。それを確認したい時、もしくはオルタナの投影する鮮やかビビットな色彩に疲れてしまった時、私は時折この公園でオルタナを外す。

 この黒一色の街並みも、オルタナを通して映し出される華美な質感テクスチャも嫌いというわけではない。だって、こんなに嘘が分かりやすいのだから。

 あらゆるデザインをオルタナに依存しきった黒い街並みを見ると人間社会が風景的にも精神的にも、人工的な作りものでできていることが分かりやすく思い出させられる。

 生と死は、物語に覆われてその現実が見えにくい。

 私たちは原始から続くこの世界で、錯乱したように目に付いた全てに名前と意味を付け、物語を被せて捻じ曲げて、存在しないものを想像して、共通の集団幻覚を見て生きている。

 現実を覆い隠すことを悪いことだとは思わない。結局のところ、現代社会を生きる私たちの人生は如何に隠された現実から目を背けて日々を生きるかにかかっている。

 いつか来る終わりを。いつか来る破局を。いつか来る生命活動の停止を。私たちは常に凝視し続けることができない。「この自我は永遠に続くだろう」という楽観的な幻想を捨て去ることが無意識的にできないままでいる。

 無理もない話で、本来そもそもの生物のデザインとして不可能なのだ。人間以外の動物が、死の概念を理解できないのだから。私たちが仮にも死を定義できていることが異様なことなのだ。

 この黒い街並みは、自分が幻の中で生きていることを再認識させてくれる。人々の作り出した物語の中で自分が生きていることを思い出させてくれる。悲観的な現実を意識的に呼び覚ます。そのためにオルタナを外す。

 しかしそれは、私にとってもこの僅かな時間だけで十分だった。

 オルタナを取り出し、眼に着けなおした。少し目を瞑り馴染ませ、瞬きをし、まぶたを開く。

 視覚と聴覚が拡張現実に接続され、途端に世界に色彩と環境音が戻る。

 噴水からは水が噴き出し、その周りを架空の鳩が石畳の地面をつついて回っている。黒塗りだった自動車はカラフルに着色され、エンジン音の幻聴を発し始める。

 街路樹には青々と緑が茂る。街並みは、ガラス張りになったり、液晶広告が前面に映し出されたり、レンガ張りや、木造の和風建築へと姿を変える。

 自然と、自分の口元に笑みが浮かぶのを感じる。

 うん。やはり、物語の中こちらの方がいい。

 そう結論付けて、左腕の腕時計を見た。重さの無い金属製のアナログな幻は、午後一時の少し手前を指している。

 昼休みも終わり際だ。職場へ戻ろう。

 立ち上がった時、メールの着信を伝えるベル音が鳴って、視界の端に手紙のマークと未読を示す「❶」の数字が表示された。

 

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