祖母の三つ星レシピ

青時雨

祖母の三つ星レシピ

 彼女は家族みんなが「おいしい」と言って喜んでくれる、その笑顔を見られることが好きだった。こんな自分でも、人に笑顔を届けられることにこれ以上ない喜びを感じていた。



 子どもが自立して、もうそこまで手がかからなくなった頃。彼女は家族が喜んでくれた手料理で、もっと多くの人を笑顔にしたいと小さな店を出した。

 チェーン店でも、有名なシェフが営む店でもない、ごくごく平凡な店だった。

 けれど、彼女の店から漂う懐かしさを感じられる出来立ての食事の匂いに、忽ち多くの客が足を運んだ。

 そして気がついた時には三つ星のつく店となっていた。



 彼女は人に自身の手料理のレシピを教えなかった。

 料理は食べる専門だった彼女の娘も、息子も、夫も誰も彼女の手料理の作り方については無知だった。

 レシピ本を出さないかと打診を受けても、彼女は頑なにレシピを世に出そうとはしなかった。

 人々は彼女の意思を、手料理は感覚で作っているために細かな分量などはわからないという恥ずかしさと謙遜として初めは捉えた。

 しかし、彼女が次第に衰えていくとともに、店の開店日時も少なくなっていったことで、人々にはある懸念と焦りが生じ始めた。


 彼女の素晴らしい手料理が食べられなくなったら。


 人々は彼女のレシピを知ることに躍起になった。

 ついに店じまいをした彼女は、レシピについて問い詰められ、日々の度重なる詰問を受けた疲労から早くに亡くなってしまった。

 人々は彼女の死を本当の意味では悼まなかった。ひとりの人の死より、レシピがわからないことに嘆いたのだ。

 人々が次に取った行動も醜悪なものだった。素晴らしい手料理のレシピを世に残そうとしなかった彼女を、まるで悪人のように批判したのだ。



 彼女が亡くなると、人々は彼女の手料理に飢え、あの素晴らしい手料理の再現に没頭した。

 三つ星を得た手料理なのだ。そう簡単には再現は出来まい。

 失敗が続くと思われていたが、案外あっさりとあの手料理を再現できる者が雨の降り始めのようにぽつりぽつりと現れた。

 彼女の手料理を再現した者は称賛されるどころか、大きな批判を浴びた。

 そんなのは嘘だと罵られる者。

 再現した功績を見せびらかすようにレシピ本が出版されるが、同じように作ってみても再現出来ないという激しいクレームと続く返金願い。

 隠し味があるに違いないという誰かの発言についていく、いくつもの尾ひれ。



 紅葉の時期にできる素晴らしい絨毯とは一変、破られたレシピ本の紙が散らばって出来た道を、それを気に留めることなく踏みつける音。

 その雑踏、行き交う人々は苛立たしげに、今にも雷が落ちてきそうな雰囲気を纏わせている。

 彼女のあの素晴らしい手料理に代わる料理はないかと、まるでハイエナのように鋭い視線を彷徨わせながら街を徘徊する人々の表情に、かつてのような笑顔はない。



 彼女の手料理を再現できた者の子は、つい口を滑らせそのことを学校で話せば「嘘つきだ」といじめられた。それが例え本当であっても、羨ましさから同じ結果に追い込まれるのだ。

 かつて彼女の手料理で笑顔になった人々は、もしも今彼女のレシピ本がたった一冊のみ売り出されたのなら、戦争でも起こしそうなほど心が荒み廃れていった。頬が落ちるほどの美食を大皿から取り分け、誰かと分け合って食していたあの頃の記憶などもう思い出すことも出来ないらしい。



「お母さん、今日は外食がしたいな」

「危ないからだめよ。おうちで食べましょう」



 今や外食産業は大きな注目を浴びている。星の数などもう誰も眼中になく、いかに彼女の手料理に並ぶ料理を生み出せるかが要となっていた。

 客も舌が肥えており、外食をしていると必ず怒鳴り散らすクレーム客と、その対応に追われる店員の図が見られるような酷い状態にあった。

 彼女のレシピを唯一知る者は呆れながらその様子を見ていた。今や目の前の「おいしい」を感じようとする者さえいないのか。

 過去の味に囚われた哀れな人々を横目に、彼女の孫は店を出た。



 僕は祖母に聞いたことがある。なぜ祖母の手料理はこんなにもおいしいのかと。


『あら、嬉しいわ。でもそうね、特別なことはしていないのよ?。ただ、おいしいって食べてもらいたいなと思いながら作っているの』

『どういうこと?』

『そうねぇ…例えば、どうしたらピーマンの嫌いなあなたがピーマン料理をおいしく食べてくれるかしらとか、疲れて食欲が沸かなくって食が細くなってしまったあなたのお父さんが食べたくなるお料理はどんなものかしらとか、たくさんたっくさん考えているってことよ』

『僕、わかったよ。おばあちゃんの手料理がおいしいのは、おばあちゃんのそういう優しさが料理に入っているからだよ』



 きっと祖母の手料理を再現できたと言う人の中には、見栄と栄誉のための虚言ではなく、本当に再現できた人がいるのだと僕は思っている。

 きっとその人も祖母と同じように、大切な誰かのために心をこめて料理を作ったのだ。

 しかし、レシピひとつで世間の空気をこうも荒んだものに変えてしまう人々には、祖母の手料理の再現は出来ないだろう。

 祖母の手料理を食べて笑顔をもらっていたのに、そんな祖母を人々はレシピのために殺したようなものだ。

 祖母の死を純粋に悲しんでくれた人が、どれほどいただろう。

 祖母はひとりの人だった。人々が消費していく娯楽じゃない。

 祖母の手料理は人々の心を満たし爪痕を残したのかもしれないけれど、それがレシピひとつで祖母の命を消費してもいい理由には決してならない。

 僕は絶対に赦さない。

 その証拠に、祖母の手料理の真相については墓場まで持っていくつもりだ。



 あの手料理に入っていたはずの優しさを失った人々に、祖母の手料理を再現させてたまるか。

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