第30話 ナオミとのエピローグ

 目が覚めると消毒薬の匂いで現実に引き戻される。ついさっきまで幸せな夢の中に居たような気分でいた。死後の世界でナオミを見つけ、天国で長い時間を過ごした。先に天国を去ることになったナオミを、寂しくも見送り、だけど充実した時間を胸にその後を過ごした。


 そして俺は天国を去り…………。


「ナオッ…………ミッ…………」


 身を起こそうとするが身体が言うことを聞かない。声も枯れて、腕には点滴が刺さっていた。


 パタン……カラカラ……――と何かが落ちた。


「サカザキさ…………サカザキさん!」


 ベッドの傍に駆け寄ってきた女。どうみてもナオミだった。ほんの少し前、俺の膝の上で冷たくなっていった彼女。表情もなく、白い顔をして……。彼女だけは助けて欲しいと願った。それがどれだけ無茶な願いだとしても。


「ナオ…………ミ…………」

「サカザキさん…………絶対大丈夫って信じてました」


「ナオミ、どうして……死んだかと……」

「私も死んだかと思いました。ありえない奇跡だって聞きました。だけどなんだか、サカザキさんが私を見つけてくれて、生き返らせてくれるから平気だって思って、それで目覚めたんです」


「ああ、俺も……どうしてか全く……不思議じゃない」

「サカザキさんも奇跡なんですって。おかしいですよね」


 その言葉や微笑みとは裏腹に、ぽろぽろと涙をこぼしながらナオミが枕元のボタンを押した。


『坂崎さん、どうされました?』


 スピーカーから看護師の声が聞こえてくる。


「気が付いたんです! サカザキさん気が付きました!」

『すぐに伺います』



「……サカザキさん、忙しくなる前にちょっとだけ。いいですか?」


 ナオミが顔を寄せてきた。


「ああ」


 彼女が寄せてきた唇を味わう。ああ、現実なんだ。

 何年振りだろうか……ずっと待っていた気がする。


 ふと、ナオミが離れたと思うと、病室の戸が開いた。



 ◇◇◇◇◇



 検査ののち、退院の日取りが決まった。俺は半年もの間眠っていたそうだ。ナオミは輸血後すぐに意識を取り戻し、驚異的な回復を見せたという。俺のケースもナオミのケースも、奇跡なんてものじゃ語れないと医者に告げられた。


 そして、体調もままならない状態で警察が来た。俺を刺したのはうちの社長だった。社長は、俺がいざと言う時のためにまとめた内部告発書を見つけたらしい。それで計画を実行した。ナオミを刺したのも、社長が雇った男。ナオミの元恋人君だ。結局、俺の自業自得だったって訳だ。


 社長は捕まり、告発書も捜索の過程で警察の手に渡った。その事情聴取のためにやってきた。


「サカザキさん、お疲れさま」

「退院した後でまた来るとさ」


「ねえ、サカザキさん。これ、書いてくれませんか?」

「……お前、こんなもの…………。俺は刑務所に入るかもしれないようなクズだぞ」


「サカザキさんはクズなんかじゃないです。ちゃんと善人になりました」

「クズは根っこが腐ってんだ。何をどうやってもクズはクズだ」


「私、サカザキさんと一緒になって、子供をたくさん作りたいんです」

「子供なんて…………」


 子供なんて――なんだ? 子供? ナオミとの間には子供なんて…………。


「――いや、あの世でナオミとの間に子供が居た気がする」

「8人くらい?」


「そうだ…………8人くらい…………」


 《8人も生んで育ててくれたんだ、サービスしておくよ》


 なんだ…………何かおかしな声が耳に残っていた。


「じゃあ、問題ありませんね。それだけ育てたのなら、サカザキさんは十分立派なお父さんです」

「そうか…………そうだな…………」


 俺はナオミとの婚姻届けにサインした。



 ◇◇◇◇◇



 退院し、マンションの自宅へ帰ると俺の部屋は荒らされていた。社長が忍び込んだのか、警察が家宅捜索したのかは知らないが。


 ともかく、ナオミの部屋へ転がり込み、シャワーを浴びた。


「シャワーか。天国にもシャワーがあった気がする」

「天国だもん。シャワーくらいありますよ」


 まだ身体の自由が効かない俺を、ナオミが洗ってくれた。



 以前買ったバスローブを着て、灯りを落とした部屋で抱き合う。


「ああ…………やっとだ」


 思わず声が漏れた。ナオミも同じく。


「やっとですね、サカザキさん」

「ナオミももうサカザキだろ?」


「じゃあ、賢者さん?」

「ケンシだよ、ケ・ン・シ」


「そういえばそうでした。何で忘れてたんだろ……ずっと賢者って言ってた気がします」

「どうせそう呼んで揶揄ってたんだろ?」


「そんなことないです、サカザキさぁ……ケンシさんを揶揄うなんてありません」

「どっちでもいい」


 それだけ言うと、ナオミの唇を塞いだ。ローブを落とし、お互いをまさぐり合う。そのうちに自然とベッドへ向かい、身体を預け、お互いの脚を絡めあった。


「初めての時のサカザキさん、かわいかったなァ」

「フッ…………俺は処女は苦手だって…………」


 ん? 何か記憶に齟齬が生じていた。


「どうしたんですか? 久しぶり過ぎて忘れちゃいました? それともまだ体調悪いですか?」


 ナオミが心配してくる。


「いや……大丈夫だ。大丈夫」


 こうして俺たちは、死に瀕するような傷を負いながらも、奇跡とやらで以前の平和な生活を取り戻すことができた。これからはもう、女はナオミだけでいい。寝取りなんざごめんだ。そしてあの夢の中でのぼんやりとした記憶。天国に神が居るなら信じたい気持ちに溢れていた。











「痛ったーい!」

「うわァ、すまん! 血だ! 血が! 救急車!」


 その後ナオミが笑いながら落ち着かせてくれたが、セックスで血まみれになるとか…………これだから処女は苦手なんだ。


 ハァ…………そして神よ、前言撤回だ。余計なサービスまでしやがって。



 賢者サカザキ! 完






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