初夏のモナコのカプリチオ
黒井咲夜
Prince of Monaco
【hey、booster!憂鬱なウィークデイに笑顔を届けるサーズデーライブ。今日のトピックはもちろん、週末に控えるモナコグランプリ!
今みんなが見ている動画配信サービス『Live alive』コメント欄調べでは『スペクター・ディープ』のカゲツが一番人気。
でもごめんね♪今日ピックアップするのはこのふたり!『クライマックス・ギア・ライナーズ』のマツリカ・テラス選手と、マイフレンド――『ペルセウス・レーシング』のカミーユ・ロレックス!
今シーズンから導入された連続出場制限ルールの影響で、2043シーズンは今まで顔を合わせることのなかったふたり。2042シーズンでは
……以上、フランメ・ベルビレッジでした。FE1ミラノグランプリも、よろしくね♪】
ライブ配信が終わり、タブレットには待機画面が表示される。
「はあ……」
待機画面を眺めながら、タブレットの持ち主が深いため息をついた。
道ゆく人の視線は、彼の端正な顔立ちと
「ああ、僕の
タブレットをバッグに仕舞った青年が、フランス語で嘆く。華やかなモンテカルロの街並みをバックに物思いに耽る姿は、まるで1枚の絵画のようだった。
「おや。さしものディー・ルーセル・カゲツも、『プリンスオブモナコ』のお膝元ではナーバスのようだね」
タブレットの持ち主――ディーが顔を上げる。
そこには、コーヒーカップを持った男が、優しく微笑んでいた。
「トミーさん……」
「不安になる気持ちも分かるとも。モナコグランプリは、今までのグランプリと違って市街地でのレース。サーキットとは全く違う環境だからね」
トミーと呼ばれた男は、フランスに本拠地を置くF1チーム『
半年ほど前まで現役F1レーサーだった彼もまた、ディーと同じくルーキーとしてモナコグランプリに臨む立場だ。
「プリンス・オブ・モナコ……『GrandMage』のセナ・ハミルトン選手のニックネームですね。確か……モナコ生まれモナコ育ちで、モナコグランプリを主催する『
ウェイターがトミーの前にクレープシュゼット――オレンジリキュールで風味付けしたクレープを置く。ここ『カフェ・ド・パリ』の名物料理だ。
「誰よりもモナコを愛するハミルトンは、モンテカルロの街に愛されている。彼は、F1レーサーになってから20年間、ほとんどモナコで
「そうですね。2042シーズンに
ディーがタブレットのロック画面――表彰台の上で太陽のように笑う茉莉花の写真を見つめる。
茉莉花の2042シーズンモナコグランプリ優勝を報じた投稿に掲載されていた写真だ。
「でも、トミーさん。僕はそんなことはどうでもいいんです」
「どうでもいい、って……モナコグランプリ以外に悩むことがあるのかい?ディーゼル」
怪訝な顔をするトミーに、ディーがタブレットの画面を示す。
そこに写っていたのは、茉莉花が所属するレーシングチーム『クライマックス・ギア・ライナーズ』の公式SNSだ。
「これは……マツリカ・テラスだね。犬のぬいぐるみを抱えている」
「そう、犬の、
「確かに、カミーユ・ロレックスといえば愛犬家で有名だよね。彼の愛犬はコーギー犬で、このぬいぐるみもコーギー犬だけれども……これ、『クライマックス・ギア』のPRキャラクターじゃないかい?天使みたいな羽が生えたコーギー」
「それだけじゃありません。ロレックス選手もその直後に愛犬V8の動画をインピクにアップしていて、リールで『モナコでプリンセスに会えるのを楽しみにしてる』などと投稿しているんです。……これはいわゆる、「匂わせ」というやつではないでしょうか?」
早口のフランス語でまくしたてるディーを、トミーは冷ややかな目で見ている。
「彼はきっと、このモナコでマツリカと……ああ、僕はつらい!耐えられない!心が千々に千切れそうだ!」
ディーが舞台俳優のように大げさに天を仰ぐと、背後に立っていたであろう壮年の男性と視線がかち合った。
「やあ、
「ハ、ハミルトン選手!?」
「そうとも!ワタシこそがモナコの王子様、セナ・ハミルトンだとも!」
壮年の男性――セナ・ハミルトンがくるりとターンする。
「モナコグランプリの運営会議から帰る道すがら、ワタシについての話が聞こえたような気がしてね。こうしてズバッと参上したわけだよ」
セナは現役レーサーでありながら、アンバサダーとしてF1運営にも関わっている。連続出場制限ルールも、レーサーの健康を守るためにハミルトンが提言したものだ。
「すいません、お恥ずかしいところを……」
「構わないよ、そばかすクン。ところでキミ、モナコグランプリは初めてだろう?薫る君さえよければ、ワタシがモンテカルロ市街コースを案内してあげよう」
セナがトミーにウインクする。
同年代であり、レーサーとして数々のレースを競い合ってきたふたりは、単なるレーサー仲間以上の仲である。
「いっておいで、ディーゼル。週末のグランプリに向けて、本戦のコースを見ておくといいよ」
「さて!
**
モナコ公国はフランス南部、地中海に位置する独立都市国家である。
19世紀後半のカジノ立国以降観光を主産業としてきたが、近年は医療機器や半導体事業の誘致にも力を入れている。
中心都市モンテカルロは『カジノ・ド・モンテカルロ』をはじめとした美しい建造物と街並みで有名で、世界各地から観光客がやってくる。また、数多くのセレブが居を構えていることでも有名だ。
「うわあ……!本当に、普通の公道がコースになるんですね」
「その通り!そして、市街地を走るということは、急カーブや坂道、トンネルなど普段のレースよりも難所が多くなる。『モナコでの1勝は他での3勝に値する』とまで言われているのだよ。特に
ディーが静かに首を振る。あいにく、F1レースの歴史についての知識は持ち合わせていない。
「彼が事故死したのも、このポルティエ・コーナーだ。このコーナーでクラッシュするレーサーは少なくないので、フアンは『デメトリオ・バンデラスは、名前にDのつくレーサーを道連れにしたがっている』なんて言っているが……まあ、そんなものはただのウワサだ。呪いやら幽霊なんてものは、所詮は気の持ちようさ」
地元であるモンテカルロを紹介するセナは、いつも以上に
「レースが始まると景色を楽しんでいる暇はないからね、存分に麗しきモンテカルロを堪能したまえ。見たまえ、美しい地中海と美しい街並み、そのコントラストを!」
セナに促され景色を眺めていると、視界の隅――港の方に、クライマックス・ギアのロゴが映り込んだ。
(あれはクライマックス・ギア・ライナーズのチームジャンパー……というか、マツリカ!?)
ベリーショートの黒髪。印象的な大きな丸い目。レーシングスーツを着ていなくとも、茉莉花を愛するディーが茉莉花を見間違えるはずはない。
「ティグル――」
茉莉花に声をかけようとディーが手を上げたその時、若い男がヨットから降りて茉莉花に駆け寄った。
明るい茶色の髪を
男が茉莉花にハグをする。茉莉花はそれを拒絶するでもなく、男に笑いかけている。
「……マツリカ……?」
**
翌日、金曜日の
1ラップ目の第8カーブで盛大にスピンアウトした結果、順位は20人中18位。ほぼ
「……とてもつらい、耐えられない……心が、千々に千切れそうだ……」
原因はスランプ――ではなく、もちろん昨日見た光景である。
(マツリカ……あの男は、いったい誰なんですか……?あんなに、楽しそうに、
モナコグランプリのコースでは、本戦で上位者を追い抜くことは難しい。今のディーの順位では、
――わたしやブライトだって、初めてのモナコは苦戦したものだよ。命があっただけ勝ちと思いなさい。
(……ブライトさんはFPが終わってから口を聞いてくれないし、トミーさんにも気を使わせてしまった)
実際のところ、ブライトは「ミスをした後に周りからとやかく言われるよりは、改善点を探す時間があった方がいい」という経験則から、気を遣って距離を置いてるのだが、ディーはそれを知る由はない。
胸の裡に嵐が吹き荒れているようで、とても眠ることもできず、ディーはトボトボと夜の港を歩いていた。
「……悔しいなぁ。ようやく同じ舞台に立てたと思ったのに、マツリカがどんどん離れていく……」
「――おぬし、今、マツリカと言ったか?」
急に背後から声がして、ディーの心臓が跳ね上がる。
振り向くと、そこには昨日見た若い男がいた。
「あ、あなた……昨日の……!」
「ん?余とどこかで会ったかの?カゲツ選手よ」
「あなたは気づいていませんでしたがね。ちょうどいい、今聞いてしまいます。あなた……マツリカ・テラスのなんなんですか!?」
ディーが男に詰め寄る。
堅苦しいフランス語を喋ってはいるが、男というよりは少年と言った方がよいぐらいの年齢だ。
「余か?余は……」
男――否、少年が無邪気に笑う。
胸元には、チェーンに通したチープな
「余は、ニコラ・デ・モナコ。マツリカに道を教えてもらった、ただのF1ファンじゃ!」
「道を……?」
困惑するディーをよそに、ニコラは話しつづける。
「うむ!忘れもせぬ、あれは今から5年前のモナコグランプリの日じゃった……余はヨットクラブの帰り道で、家に帰るのが嫌になってしまっての。付き人を撒いて、モナコグランプリを見ていたのじゃ」
少年、ニコラが浜辺に腰掛ける。
「あの頃、余は家のことで悩んでいての。ヨットクラブも父の――ひいては家の付き合いとしてやっていただけで、本当はモータースポーツに関わりたかったのじゃ。じゃが、そんなことを父に言えば怒られるに決まっておる。そう思って諦めておった時に、マツリカに出会ったのじゃ」
ニコラがチェーンを通したスマイルマークの指輪を月にかざす。
潮風を浴びたそれは、錆びてボロボロになっていた。
「余はマツリカに問うた。『あなたはユニフォームを着ているのに、レースには出ないのか』と。すると、マツリカはこう答えた。『今の自分は、あそこには行けない』と」
――オレは女で、アジア人だ。アジア人の女がモナコグランプリを制したことなんて、一度もない……でも、そんなことは関係ない。誰もやったことがなくても、いつか絶対、モナコグランプリで優勝してみせる。
「余は、マツリカの言葉に感動した。マツリカは、道を外れることに怯えていた余と違って、誰も進んでこなかった道を恐れずに突き進んでおったのだ」
海面に反射した月明かりが、ふたりを照らしている。
青白い光に照らされたニコラの表情は柔らかく、愛する人について話すというよりは、大事な宝物を並べているかのようだ。
「この指輪は、マツリカが余にくれたのだ。『道に迷わないためのお守り』と言ってな」
――自分のやりたいことに悩んだら、これを握りしめてこう唱えるんだ。
「『自分の前に、道はない。自分の道は、自分でつくる』……このお守りとおまじないがなければ、今日の余はないだろう」
おまじないそのものはチープな、ありふれた言葉だ。
だがディーは知っている。
そのありふれた言葉が、自分の意志でコミュニティーを抜け出せない子どもにとって、世界をを変えるほどの力を持っていることを。
「……あなたも、マツリカに救われたんですね」
「うむ。ディーも、マツリカに道を教えてもらったのか?」
「そうですね。道を教えてもらったというよりは――」
ディーの紫色の瞳に、月が映り込む。
「道を、照らしてもらったのです」
ニコラも月を見上げる。
いつの間にか風は止み、地中海は鏡のように凪いでいた。
**
翌日、土曜日のFP2。
前日の不調が嘘のように、ディーは軽やかな走りを見せた。
下位集団から矢のように飛び出し、順位も18位から8位まで上げたのだ。奇跡としか言いようのない走りであった。
「すごいじゃなディーゼル!まるで生まれ変わったようだよ。この順位だったらポイント圏内の順位だって夢じゃないさ!」
「ありがとうございます、トミーさん。実は昨夜、ニコラという同好の士と心を通じ合わせまして……おかげで、レーサーを目指していた頃の初心を思い出せたんです」
ディーの言葉に、一瞬トミーの表情が曇る。
「へー、ニコラ……いや、そんな、まさか、ありえない。うん……」
「どうかしたんですか?トミーさん」
「いや、なんともないとも!明日は本戦。モナコのロイヤルファミリーも観戦に来るんだ。気合い入れていくぞう!」
そうして迎えた、日曜日のモナコグランプリ本戦。
スタートを前に、ディーは自身の目を疑った。
「な……」
モナコグランプリに向けて世界各国から集まったモナコ王室一家。
「ディー!息災なようで何よりじゃ!」
その最前列――つまりはモナコ大公・大公妃の横に、スーツ姿のニコラが座っていた。
【モナコ公国第一王位継承者、ニコラ公子……まさか、知らないで話してたのかい!?】
(ああ、マツリカ……貴女の隣に立つには、あまりにもライバルたちが強大すぎます……)
ディーは、目の前が真っ白になった。
初夏のモナコのカプリチオ 黒井咲夜 @kuroisakuya
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