お母さま

 お母さまが最近苛々している。

 私はお姉さまがいなくなってせいせいしているのに。

 お父さまが外から連れてきた女が産んだお姉さまは甘やかされていて織り物と刺繍さえしていれば良いと奥の間で過ごしてらっしゃった。

 私はお母さまに叱られつつ、お父さまや旦那さまになる方の機嫌の取り方や楽器の手習い、舞の修練に化粧。紅や香の練り方に果実の剥き方を覚えるための刃物の修練。切り傷によく効く薬草とその扱い。傷の処置法に下働きのするような掃除の作法にパンの焼き方。家畜のしめ方。皮のなめしや草つるを使った編み物。簡単な文字や数字の扱い。

 それらができることは殿方には内緒で、他の女衆にも知られてはいけないとお母さまは私に厳しく言いつける。

 私達の里では有力者の妻や娘は父親以外の男から隠される。

 屋敷の中、ふたつ目の壁の内側でひっそりと。

 住み込みの使用人でもふたつ目の壁の奥に入ることが許されるのは女衆だけの男禁制の場所。

 女衆の使用人も男衆の目がある場所では黒い布をまとい、指先ひとつ、瞳ひとすじ、髪の一本ももれぬように気をつけて必ず複数で女衆用の道を歩く。

 黒布を暴かれて見知らぬ殿方を誘惑する罪を犯さぬように。

 殿方は私達女衆が罪を犯さぬように気を配ってくださっているのだ。

 だから感謝を忘れず殿方をたて、愚かな娘でありなさいとお母さまはおっしゃる。

 私が文字を覚えるのは夢物語を読むため。

 数字を覚えたのは物語の中の買い物に興味を持ったから。

 私の共生契約者はそのへんにいる群体の一部だわ。たぶん。

 ほら、私難しいコトわからないわ。

 里長の息子。

 私の未来の旦那さま。

 顔も見たことがない。

 声も知らない。

 里長は老人で旦那さまもおじいさんかもしれない。

 少なくともお父さまよりお若いらしいけど。

 殿方達は里を作るときにたくさん亡くなってしまったらしい。

 そして私達が共生者と生きるようになってもっと人の数は少なくなったと聞いているし、年に一度里から『花嫁』が差し出される。

 二度も差戻されている出戻りお姉さまはなんなのかわからない。

 おかげで私は『花嫁』にならずに済んだし、数人の友人もホッとしていたと知っている。

 次の家の娘好きじゃないし。

 出戻ってくるかもだし、こないかもだからやさしくしてあげなくちゃ。

 だってお姉さまくらいだもの出戻り二回なんてハジシラズ。

 三度目の今年はお姉さまがようやく嫁いだハレの日だと女衆も嬉しげにさざめいていたし、水汲みに出かければ、殿方達が一年の安寧を祝って振る舞い酒で盛り上がっている声が聞こえてくる。


「エンナ。はやくお家におかえりなさい。ハメを外すごろつきが出るかもしれないからね。ほら、急いで急いで」


 下働きのリメラが私を急かす。

 そう。

 どんな状況であれ黒布を暴かれて男を誘惑するような罪を犯すわけにはいかないのだ。

 私は嫁入り先が決まっているのだから。



 フェナシアは美しい青の花嫁衣装を着て白く塗った輿の上で微笑んでいた。

 お姉さまはその姿を薄布で隠して嫁入りしたから晴れ晴れしい花嫁を見る四年ぶりの光景。

 守り神さまの花嫁だとフェナシアは嬉しげに笑っていた。

 美しい装いで羨望の眼差しを女が受ける数少ない機会。

 羨ましくないとは言わないけど、守り神さまがどんな存在かも知らないし、お姉さまの後釜なんて嫌だもの。

 ちょっとした好奇心だった。

 お姉さまは、フェナシアはどんな方に嫁ぐのか。

 黒い布に身を包んで私はそっと草原を見下ろす岩だらけの丘に走った。

 うごうごと蠢く里を外部から守るシカバネ。

 花嫁の輿はその拓けた場所にちんっと供えられている。

 前方と横にでんと置かれた供物。嫁入りの持参品。

 私達も滅多に口にできない羊肉や豚も並べられている。

 あれはハチミツの瓶だろうか?

 甘さは薄いが果汁の多い果実。

 誘惑の多い中フェナシアはじっと座っている。

 周囲の情報を遮断していたお姉さまは正しかったのだろう。きょろきょろとフェナシアはシカバネ達の動きを追っている。

 花嫁が許される薄布越しのフェナシアは愛らしい。

 重くのびた栗色の髪は姉妹達によって複雑に編まれ、花嫁衣装の一部になっている。まるで美しいお人形。


『クル』


 共生契約している誰かさんが私の注意を守り神の出現地点に向けさせる。

 すこし丈が低い草原になにか気配が生じはじめている。

 こんなよくわからない感覚ははじめてかも。

 誰かさんが『検知範囲』と教えてくれる。

 確かに壁の内側からここまでは遠過ぎる。


 おおきい。


 現れた守り神は大きかった。

 草原からずるりと聳える身体はカビた木壁のようだし、ここまで腐敗臭がくるようで吐き気がする。

 アレが、旦那さま?

 待って。生意気なフェナシアにだって、いくらお姉さまだって、あんまりにもあんまりじゃない?

 青いものがヒュンと視界を跳ねた。

 守り神のなにかがフェナシアを空中に吊り上げたのだ。

 私はなにが起こったのかわからない。

 なぜそんな雑な扱いがゆるされているのかわからない。

 花嫁衣装の刺繍は根気が必要で大変なのに。

 なんであんなに簡単に引き裂かれなきゃいけないの?

 吊し上げられているフェナシアは気丈に守り神を見ている。


「気に入らなければ『花嫁』はシカバネ達に下げ渡されるのですよ」


 リメラが耳元で囁く。

 情報と急にいたリメラの存在でわけがわからなくなる。

 わからないことばかりですごく嫌。


「まじるのでなければ、エンナはここで見ていることしかできないですよ」


 まじる?

 まじるってなに?

 空中から放り出されたフェナシアにシカバネ達が群がる。

 掠れた少女の声が草をふみにじる雑音にかき消される。

 嫌だ。


「貴女になにができるのです? フェナシアは義務をまっとうするだけですよ。その身に穢れを受け入れ一年間またシカバネ達に守ってもらうために」


 嫌だ。

 なにもできないかもしれない。

 目を閉じていれば一年間また平和で。私は里長の息子に嫁いで。

 何事もなく笑って花嫁達を送り出すのかもしれない。

 でも。

 いやだ。

 私よりも年下のフェナシアがひどい目にあうのも、順番がきてしまった妹達がもし花嫁になるのだとしたら。


「それは、いやなの!」


 共生契約している誰かさんがシカバネ達を無効化してくれる。

 目眩がひどい。

 動くのが辛い。

 まだ止まっちゃいけない。


「フェナシア!」


 捕まえた。

 思わぬ声が出そうだった。

 手に触れた感触が布でなく肌だったから。

 草原で青い婚礼衣装の上柔らかな少女の肉体は信じられない程に柔らかかった。


「おにくおおすぎ!?」


 声にしちゃったのは悪かったと思うけど叩くことないじゃない。


「馬鹿なことをやってないで守り神の守備範囲から早くでなさい。貴女たちは排除対象になったのだから」


 リメラがそっと助言をくれる。

 はだけた黒布の隙間から笑う唇が見えた。


「そんなに、里の者が憎かったの? 誰もハリエットの功績を認めなかったから?」


 フェナシア?


「お姉さまは三年も里を守ったわよ?」


 どうしてリメラがお姉さまの功績とか気にするの?

 リメラは下働きで私の乳母よ?

 フェナシアにもリメラにも冷たい視線をもらった気がする。


「そう、かもしれないですね。だから貴女たちにも生きて苦しんで欲しいので。はやくいきなさい。貴女たちどちらかの契約者が運べるでしょ」


「リメラ?」


 なにを言っているの?

 視界をおおうのは青い花嫁衣装。

 放り出された岩場でフェナシアの衣装を整える。

 布だけは量があるから。


「リメラとお姉さまになんの関係があるのよ」


 こぼれた私の不満にフェナシアが髪から外した髪紐で帯をつくりながらため息を吐いた。


「リメラはヨソモノでハリエットを産んだけど、シェリエンナのお母さまにとても嫌われて排斥されたって聞くわ。事実シェリエンナのお父さま以外にも情を振り撒いていて見捨てられているけどお情けで下働きさせてもらってるハジシラズなヨソモノって有名よ? シェリエンナのお母さまは里の女子会にエンナをあんまり参加させないから知らなかったでしょ?」


 なにそれ。

 リメラは私に物語を教えてくれて文字を読めるようにしてくれてお母さまに厳しく言われて拗ねていた私にずっと寄り添ってくれていたわ。

 リメラはキツイことも言うけど、ずっと私の味方だったわ。

 私を、ハリエットお姉さまのかわりにしてたっていうの?


「花嫁をつとめあげられなかったわ。今年の里は大丈夫なのかしら? 怯えてしまったせいよね。花嫁なのに」


 あ?


「どーでもいいわ。私、知らなかったから平気なの。知っちゃったらダメだわ。あの守り神フェナシアを蔑ろにしたの。正しい共存だと思えない。年一で花嫁を要求するなんて不誠実だし!」


 フェナシアが犠牲になるのはおかしい。

 だってそんなのハッピーエンドじゃない。


「でもね。妹や弟たちが無事に生き延びてくれるならそれは価値があるでしょう? それに、普通は帰ってこれないって知っていたでしょう? ハリエットさんが変なだけで」


 それでも私はいやだった。


 私が里から飛び出して、お母さまはどう思うんだろう。

 式を邪魔した私のせいで立場が悪くなったりするんだろうか?

 ぜんぶリメラがうまくしてくれると思ってしまうけれど、……私は、リメラを信じることをやめられない。

 私にとって、もうひとりの母だから。

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あたりまえの日常 金谷さとる @Tomcat

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