館の中身

菜花

地獄めいた世界

 三村沙耶香みむらさやかは地元でも有名な問題児だった。母親は昼夜問わず男を家に連れ込み、その家は嬌声が絶えない。

 その一人娘である沙耶香は父親が誰かも分からない。更に一応身ぎれいにしている母親と違って、恰好は常に薄汚い。母親がまともに育児をしないから発育も遅れ気味。そんな沙耶香のことを、見えてる地雷がうちの可愛い子に近づくなと近辺の大人達は蛇蝎のごとく嫌っていた。

 親の「あの子と遊んではいけません」 から始まって子供同士の苛めに発展するのはすぐだった。

 子供は子供で「大好きな親が嫌うからには悪人に違いない。自分は見て見ぬ振りする卑怯者じゃないからヒーローとして悪い人間を成敗してやる」 と正義感をこじらせて沙耶香につらく当たった。

 沙耶香が机の上に物を置けば次の瞬間には校庭に投げ出される、トイレに入れば外から出られないようにされる、登下校では集団で囲まれて「汚い♪ 臭い♪ なんのために生まれてきたの♪ 早く死ね♪」 と替え歌で嘲笑された。


 沙耶香が希死念慮の絶えない人間になるのは当然の流れだった。

 実際に行動に移そうとしてたこともある。

 ビルの屋上、金網が一部壊れた場所に立ち、あと一歩踏み出せば死ぬことができるかもしれない――そう思って足を踏み出そうとして、足の震えが止まらなくなって結局やめてしまう。自分が情けなくて、でもどうすれば状況がよくなるのかも栄養不足の頭では解らなくて、沙耶香はボロボロ泣いてうずくまった。

 ――そうしていたら異世界に召喚されたのだ。


 見たこともない綺麗な大理石の空間で、「異世界の聖女だけが、百年に一度現れる瘴気を封印できる」 と言われた。

 自分が誰かに必要とされている、と知った沙耶香が感極まったのもつかの間。結局のところ、沙耶香の人生に救いはなかった。

 聖女に忠実であるはずのパーティーメンバーが、途中で亡くなった老学者以外、揃いも揃って沙耶香を虐待し、瘴気が封印されると同時に沙耶香を剣で刺し殺した。

 幸か不幸か、理不尽だと感じられるほどの情緒も頭も育ってなかった沙耶香は、長年の望みだった死が訪れることに安堵しながら亡くなった。生への執着など何一つなかった。



 その異世界にはクィティアという珍しい名前の公爵令嬢がいた。その名前の由来は「queen」+「tiara」。つまり「女王のティアラ」。

 彼女の父はクィティアの誕生と同時に王太后が寿命で亡くなり、更に間を置かずして王太子の妻である王太子妃も流行り病で亡くなり、王太子自身も長生きできるか分からないために末の王子が王太子になる話が出ている。更に王妹であるクィティアの生みの母親も産後の肥立ちが悪くて亡くなったと聞き、王族の顔ぶれを思い出せば現代は男ばかり、それも病弱な者が多く、女に至っては直近で無事に育った女が一人もいないという現状に歓喜した。「今この王国で一番尊い女性は我が娘だ! 女王も同然だ!」 と。

 傲慢かつ無神経極まりない考えであったが、誰もいない場所で叫んだ言葉だったために咎められるようなことはなかった。知人にどういう経緯でつけたのかと聞かれたら「queenとtear(涙)でございます。王太后様を尊敬しておりましたので……」 と殊勝に聞こえるが本心では思っても無いことを言う始末。

 それでいてクィティアが言葉を話せるようになると「お前はこの王国で一番偉い女性なのだ。誰もがお前に跪くべきだ。何せお前は女王のティアラという意味を持っている女性なのだから!」 と絶え間なく言い聞かせた。

 クィティアが思い上がった女性に育つのは当然だった。加えて王家の血縁で数少ない健康な人間だということで周りも過剰なほど大事に、少しのストレスもあたえないように接していた。

 我慢を知らない人間に育ったクィティアは少しでも気に入らないことがあれば侍女を怒鳴りつけ、家令であろうと容赦なく鞭を浴びせた。他の貴族の子女と交流を持つも、全員が自分より下の人間だという前提で話すものだからまともな人間はそっと距離を取る。

 そんな性格であるのに、他に適当な女性がいないということで王太子の婚約者に仮内定されていた。

 仮。そう、仮である。今代は世界に溜まった瘴気を封印する聖女が異世界から呼ばれることになっており、余程のことがなければ王太子は聖女と婚姻する。以前に数回ほど「他の男性がいい」 と聖女のほうから断った例があるので聖女がはっきりさせない限り何とも言えないのが現状なのだが。

 それでもクィティアのような女性が聖女に憎悪を募らせるのは必然だった。


 聖女のほうが私より偉いなんてあってはいけない。

 この私をキープのように扱うなんて許されることではない。

 大体聖女なんて元の世界では不遇な存在で、そういう人間しか召喚術で呼ばれないというではないか。この世界はゴミ置き場ではない。

 瘴気を封印するからなんだ、異世界から来た得体の知れない存在を働かせてやってるだけで充分ではないか。

 世界を救っただけで無条件で敬われる今までがおかしかったんだ。私がいるからには新しい秩序を打ち立ててやる。


 そう信じ込んだクィティアは、父親の権力を使い瘴気封印の旅に出る聖女のパーティーメンバー、この世界に慣れていない聖女ための案内人兼同行者達を、こちらの息のかかった者達が選ばれるように図った。

 クィティアの家で生まれ育った騎士。クィティアのことを好きな傭兵。クィティアの公爵家のお陰で一家が生きていける雑用係。

 クィティアはかねてから容姿の良い彼らに目をかけており、彼らが困っているところに現れ援助をした。そもそも困る事態になったのはクィティアの意を組んだ父親が裏から手を回したのである意味マッチポンプなのだが――そんなことを知るよしもない彼らはクィティアを唯一の女性と崇めた。クィティアとしても可哀想な境遇の彼らを放っておけず助けた自分は何て優しいのだろうと自尊心が満たされた。


 ただ、唯一老学者は追い出せなかった。年齢を重ねて経験豊富な人材だけは欠かせないし、今までそのタイプの人間がパーティーにいなかったことは無かったので、お堅い人間達には前例がないことは出来なかったのだ。



 沙耶香と名乗る聖女が現れて瘴気封印の旅に出ている間、聖女の侍女として同行しているはずのクィティアはあらゆる嫌がらせを聖女に行った。

 食べ物は貧相なものを出すのに、自分達は豪勢なものを食べ、聖女が何か言いたげにしていれば「聖女が私を睨んでいる! 怖い!」 と息のかかった人間達の胸に飛び込み「この方は公爵令嬢だぞ! お前が聖女なんて上の人間が勝手に言ってるだけだ! 身の程を知れ!」 と男達に殴ってもらう。

 そんな聖女を唯一、老学者だけが庇った。彼が自分のぶんの食事を分け、必要な物を渡し、聖女の怪我がつらければ老体に鞭打って彼女を負ぶって移動することもあった。

 クィティアはその様子が本物の公女である自分よりお姫様な扱いを受けているように見えてそれも腸が煮えくり返る思いだった。

 老学者もちゃんと話せば、もさい聖女より磨かれた美貌の自分を選ぶはず、とクィティアは老学者を説得しにいった。


「私はおかしいと思うのですよ。異世界人の聖女に尽くさなければいけない現状が。異世界人ってだけでも気味悪い存在なのに、そんな存在にこの世界を救わせてやっているのに、瘴気を封印した後も英雄として敬わなければならないなんて。何でこの世界の人間より異世界人を持ち上げる必要があるんでしょう? 歴代の聖女もそれを当然のように享受して厚かましいです。この世界の人間達への気遣いはないんでしょうか? 聖女は人の心がありません」


 そんなクィティアを老学者は生温かい目で見て、言った。


「私は昔教鞭を振るっていたこともあってね。君のような子を何度も見たことがあるよ。そう――自分だけが世界の真実に気づいたのだと思っているような子をね」


 クィティアは絶句した。老学者が言外に「自分を革新的だとでも思ったか? 普通にありふれてるよ馬鹿じゃねーの」「厨ニ病乙」 と言っていると感じたからだ。


「聖女を敬う? 当然じゃないか。聖女がいなければこの世界は滅ぶのだから。君は病気になっても医者を頼らないのかい? そのまま死ぬのが正解と思っているのかい? 大体聖女は一方通行の召喚で故郷に帰れない身だ。その原因たるこの世界の人間が彼女に感謝し相応の礼をするのは人として当然ではないのかね。この世界で異世界人なのに利益を享受する? 当たり前だろう。世界を救った対価にしては安いくらいだ」

 老学者は続けて言った。


 私は誰かが間違いを犯しても一回なら許すことにしている。間違いをしない人間はいないからね。君達も最初は慣れない旅に戸惑っているのかと思ったよ。だがそれは先程の君の言葉を聞く限り、私の思い違いでしかなかったようだ。最近の聖女に対する君の言動は目に余る。このことは伝書鳩を使い上に報告させてもらう。

 そう老学者が言ったあと、クィティアは服を切り裂いてから仲間達の元に戻り、老学者に襲われたと訴えた。

 仲間は事実確認もせずに老学者を集団で暴行し、死なせた。

 その老学者の勧めで仲間の様子がおかしいからと離れたところで休んでいた沙耶香がそれを知ったのは、全てが終わったあとだった。

 唯一自分に優しくしてくれた老学者の死。そして、味方が一人もいなくなった事実。

 男達は皆クィティアによって聖女は悪者だと吹き込まれていた。聖女を守る者が誰もいない状況で、苛めがヒートアップするのは避けられなかった。

 自分のしていることは正義なのだ、と思う人間ほど他人に酷いことが出来る。

 その日から聖女は自分のぶんは自分で稼げと身体を売ることを強いられた。言葉は通じても文字が読めない聖女はその方法でしか稼げなかった。

 ふらふらになりながら一食分の金銭を稼いで戻って来た聖女を「聖女にあるまじき好き者」 とクィティア一行はげらげらと笑い者にした。

 ある時は汚れた人間ならいいだろうと三人がかりで聖女に暴行をしたこともあったが、後でそれを知ったクィティアは満身創痍で横になる聖女を蹴り上げて「人のものに手を出すんじゃないわよ! この尻軽! 泥棒猫!」 と怒鳴った。

 そしてついに我慢の限界に達した沙耶香が逃げようと村のほうへ走ったことがあった。しかし目ざとい同行者達は彼女が村にたどり着く前に追いつき、一人が飛び蹴りで動きを止め、一人が怒りのあまり頭を殴り、一人が髪の毛を鷲づかんでクィティアのもとへ連れ帰った。クィティアの前に引きずり出された聖女は「ここまでされたら流石に助けてくれるのでは」 と思ったが、クィティアは「世界を救う旅を放棄しようとするなんて……この魔女め! あんたは聖女失格よ!」 と頭を踏んで罵った。か細い声で「殺してほしい」 と言う聖女を「自分の役割も理解してないのか」 と彼女達はまた殴った。

 各地の封印を強化して最後の封印が終わったあと、沙耶香は後ろから剣で貫かれて死んだ。やっと終わるのだと沙耶香は最後に安らいだ顔をした。

 クィティアはやっと殺せたと笑顔だったが、殺した男達は流石に怖くなった。殺したことで世間から責められはしないかと。聖女を虐待したこと自体は悪く思っていないが、そのことで親や世間から責められるのは嫌だったのだ。

 クィティアはこんなものがあるからそう悩むのだと、沙耶香の死体を身元が分からないように身に着けている物を全て剥ぎ取ったうえで近くの崖から投げ落とすよう指示し、証拠は隠滅された。



 首都に戻ったあとクィティア達は平然と嘘をばらまいた。

「聖女は大変な淫乱だった。夜な夜な男を漁り、聖女であることを理由に自分達を暴行した。最後は酔っぱらって自分から谷底に落ちた。もう聖女を敬うことはやめよう」 と。

 公爵令嬢を筆頭にパーティ―メンバー全員がそう言うものだから、旅の実態を知らないほとんどの者はそれを信じるしかなかった。

 ただクィティアと少しでも接したことのある者は「そもそもあれが他人を立てるはずないのに侍女に志願したこと自体がおかしい」 と疑いを持っていた。

 そして何より老学者の関係者は「あの人がいながら聖女がそんなことになるはずがない。クィティアの評判も悪かったようだし、メンバーは皆クィティアの関係者。まさか……」 と真相に勘付いてる人間が大半だった。ただ、相手が高位貴族であり、聖女がいなくなった以上、彼女は王太子の婚約者だから少しの批判も出来ないでいた。


 そんな空気も知らず、クィティアは「絶対的だった聖女を引きずり降ろしてやった! こんなことが出来る私は天才!」 と浮かれていた。

 ただしそんなクィティアでも既に人柄が知られていて人望があった老学者まで罪人に落とすことはできず、定期的に「任務中の不幸な死」 を迎えた老学者の墓を見舞っていた。

 ある日その老学者の墓の近くに新しい小さな墓が出来ていることに気づき、周りの人間にこれは誰の墓かと問うと周りは「さ、さあ……」 と言葉を濁した。

 こういう時の勘は鋭いクィティアは、その墓の近くに隠れて墓参りに来る者を待った。しばらくしてやってきたのは城下に住む一人の老女であったが、クィティアは身分を笠に着て怒鳴りつけ白状させた。

「せ、聖女様のお墓です。いくら罪人であろうと、瘴気の封印という大仕事はこなしていただきました。そのことに感謝するのは当然かと。……それに私は子供の頃に先代聖女様が亡くなった時のことを覚えております。あの時の盛大な葬式に比べて、棺に一回触っただけの日用品が入っているだけの簡素な墓しかない今代聖女様があまりに哀れで、死後の安寧を祈らずにいられませんでした……」

 それを聞いたクィティアは頭に血がのぼるのを感じた。どうしようもない苛立ちを抑えられなかった。百メートル離れてても聞こえるような平手打ちを老女にお見舞いし、老女は地面に転がった。後で医者に診てもらったところ、老女の耳の鼓膜は破れていた。

 何故ここまで腹が立つのかクィティアは自分でも説明出来なかった。ただちょっとだけ思ってしまったのだ。

 自分が死んでもこれほど敬意を払ってくれる人間はいるだろうか? と。

 そう考えたら自分ではない人間を、せっかく自分が蹴落とした聖女を敬う老婆が憎らしかった。聖女なんかに敬意を払うくらいだったが私に払えばいいのに、私が見ている前でこれ見よがしに参拝なんかしやがって……! 聖女がほんの少しでも擁護されたら、私が悪者になるじゃない。どうしてそんなことも分からないの? だからこれは老女が悪い。

 更に聖女の墓のほうに向きなおると、奇声をあげて墓石を蹴り倒した。質の悪い墓石しか用意できなかったのだろう、それは根元から折れて倒れた。

  同行していたクィティアの使用人達は実のところ、クィティア達から説明されたことを素直に信じていた者も多かった。今代の聖女はとんでもない悪女だったのか、怖い怖い、そんなやつ死んで良かったくらいに思っていた。

 ――そう思っていた人間すらクィティアが墓を蹴り倒したことに引いてしまった。いやどんな悪人だって死後に安らかに眠る権利はあるだろう。死んでしまえば誰もがただの肉塊で、墓は最後の安息の地だ。それをよりにもよって将来の王妃になろうって人が蹴り飛ばすなどという死者への冒涜を行うなんて……。仮に聖女が役目を放棄していたならともかく、聖女の仕事はきちんと済ませたのだから弔われる権利くらいあるだろうに。

 そのように同行していたクィティアの使用人達は皆ドン引きしていたが、クィティアは正義が執行されたと一人晴れやかな気分だった。

 聖女サマっていうんなら今すぐ化けて出て見なさいよ、ホラホラ。出来ないんでしょ? アンタは結局その程度なのよ! しょぼい墓まで倒されてほんっと惨め! それもこれもアンタが聖女の才能がないからよ!


 辺りにはクィティアの高笑いする声がしばらく響いていた。


 クィティアに付き従った男達もまたどうしようもないほど愚かだった。

 昔馴染みの人間達に「新聞で読んだけどさ、今代の聖女はやばかったんだって? どんな被害受けたんだよ?」 と聞かれようものなら「ああ、本当に酷かったんだよ。あんまり言うこと聞かないから何度も殴ったし、一度なんか逃げようとしたら三人がかりで叩いて分からせたものだ」 と喜々として自分が聖女に暴行を振るったと話した。

 聞いている人間達はよほど察しの悪い人間でなければ「それは本当に順番が合っているのか? 聖女が悪者だったから暴力を振るったんじゃなくて、お前らが暴力を振るうから聖女は聖女として働けなかったのでは? どっちにしても少女一人に多数で暴力なんておかしくね?」 と思うのはすぐだった。中にはクィティアの取り巻き達が喜々として殴りながら味わう聖女の具合を話すものだから、場所を離れたあとに吐く者さえいた。

 クィティアに唯々諾々と従っていた彼らは、そのクィティアが聖女を蹴落として次期王太子妃になるという成功体験を間近で見たことで間違った学びを得てしまった。

 すなわち「気に入らないなら暴力で変えてしまえ」 「権力を利用するのは賢いこと」 「命を奪っても自分達なら許される」

 三人のうち一人の男が街で美少女を見かけて、自分の恋人にしてやろうと言い寄った。クィティアが王太子になっても自分達はクィティアのものだが、それでも対面を保つための結婚相手はほしい。体面を保つだけであっても美人がいい。そんな理由だでだ。

 だがその少女には既に恋人がいた。

 嘘や駆け引きだと思いこんでいた男は恥をかかされたと憤慨した。同時にこのことを恥にしないためにはどうするかとも考えた。

 つい最近の成功体験を思い出せば簡単なことだった。

 他の二人を呼び出し、恋人の男を自分の息のかかった店に監禁して三人がかりで暴力を振るった。

 その際に放った言葉が「俺達は次期王太子妃クィティア様付きの護衛だ」 「あの聖女を旅の間中ぼこぼこにしてやったんだぞ、一般人なら尚更怖くないんだ」 なのだから救えない。

 恋人の男は運が良く、命からがら隙を見て逃げ出すことが出来た。そして本人の親が地元の名士であったのも幸いだった。命を奪われるようなことはなかったのだから。

 ただクィティア達が罰されるまで、恋人の男が受けた被害は「無かったこと」 にされた。身分制度のある世界で、次期王太子妃のお気に入りの護衛の名は重かったのだ。

 聖女を殺した三人の男はそれぞれタイプのことなる美青年だった。容姿だけなら一流だった。

 だが結局のところ、その普通の人間にはあり得ないほどの暴力性は共通していた。クィティアといい、類は友を呼ぶという話だったのだろう。



 クィティアの周りもその取り巻き達の周りも、誰もが深く知れば知るほど聖女の無罪を確信していた。ただ王家の権力に守られている間は何も出来なかった。それでも全員が思っていた「誰かこいつらを罰してくれ」 と。





 この世界には神がいる。しかし百年ごとに瘴気が世界各地で異常発生すると、その影響で神の存在は消滅寸前まで小さくなってしまう。それを神殿が召喚術で瘴気耐性のある聖女を呼ぶことで神の再生を果たす。そういうサイクルが出来上がっていた。

 今回も聖女によって瘴気が封印され、英気を養った神がようやく神殿の奥の間で降臨を果たした――のだが。

『今代の聖女はどこに?』

 神殿には権威はあるが実権はない。政治バランスを取るためだ。神自身も人間の世界に過度に干渉することを望まない。それで今まで上手くやってきたのだ。しかし今回は……。

「……神よ、お許しください。王家によると――」

 神官の一人が神に切々と訴えた。

 聖女が悪人だったのだと。公爵令嬢クィティアを筆頭にそう言っているのだと。こちらも神官の一人を旅のメンバーに加えようとしたが、謎の力が働いて出来なかった。そのクィティアだが評判がすこぶる悪い。もしかしたら……。

 神はただちに魔石に当時の旅の様子を映した。するとクィティア達の証言とは全然違う、聖女が虐待を受けている様子がはっきりと映っていた。



 例年通りなら、この時期に王家は聖女の祝賀会を開いていた。しかしクィティアがいる今回はクィティアと王太子の婚約パーティーに変わっていた。

 クィティアは幸せの絶頂だった。初恋の王太子と自分が結ばれる。

 しかし王太子は正直なところ、クィティアが好きではなかった。小さい頃から聖女の悪口を言ってくる彼女を。なんなら聖女の死は本当に事故かと疑っていた。それに加えて最近は老婆を暴行したという話も伝わってきた。それでも婚約は止められない。

 クィティアが高位貴族の令嬢で、普通なら名誉となる聖女の側仕えを果たしたから。そもそも王家は聖女以外とは基本身内で婚姻関係を結ぶ。王権強化と財産を一族内で守るために。

 王太子からみてクィティアは姉の娘、姪に当たる。子供が早死にしやすく、また生まれる子の性別に偏りがあるから産める限り産めということで母親は十人以上身ごもった。なので長男である王と末っ子の自分では普通に親と子ほど年の差がある。姪と年齢が釣り合ってしまう訳だ。

 あまりに血が濃い結婚だとよくない子供が生まれやすくなると聞いているが、今代は聖女と婚姻するのだろうと思っていただけに……。

 王家の婚姻に私情は持ち込めないと王太子は疑念を持ちつつも表面上はクィティアとの婚姻を受け入れた。


 朝から祝いのパーティーが行われ、誰もがほろ酔い気分になっていた頃、不意に宮殿に神殿からの使いが現れた。

「神殿からクィティア様にとっておきの贈り物を渡しましょう。クィティア様は今代の聖女様同然ですので」

 クィティアとしても悪い気はしないので、神殿から疑われていたことも忘れてのこのことついていった。それほど聖女同然という言葉が彼女の琴線に触れたのだ。

 使いの者に馬車でついていった先には、首都の外れに立派な小宮殿のような館が建っていた。これには全ての者が驚いた。何故なら昨日までは何もない更地だった場所なのだ。一夜にして建てるなどまさしく神の御業。……神の、御業?

 王と王太子は不吉なものを感じていた。そもそもこの土地が更地だったのは、大昔ここが処刑場兼墓場だったからだ。そんな場所に建物? それに建物の様子も、確かに豪華なのだが、窓が一つも見えない。……宮殿とか豪邸とかいうより、立派な墓みたいだとぞっとする。

「まあ素敵! この豪華な館が私の物になるなんて! 早速中を見てみましょう!」

 はしゃぐクィティアに王太子は忠告した。

「何かおかしくないか? 入らないほうがいいのでは? 少なくとも私はここに入ろうとは思わない……」

 クィティアはムッとして「私の持ち物に最初に入るのが私でなくてどうしますの? いいわ。それなら旅の同行者達と入るから。貴方がこんな弱虫とは思わなかった」 と言い放った。


 クィティア達と旅の同行者――聖女虐待のご一行は豪華な館に入っていった。そして入ったと同時に、風もないのに重い扉がバタンと閉まった。

 王太子が気を利かせて「かなり頑強そうな扉だ。重さも相当だろうし中の人間だけでは開けづらいだろう。開けておいてあげよう」 と部下に扉を開けるように命じたが、屈強な男達数人がかりでも扉はびくともしなかった。

 おかしい。そう思うと同時に辺りが光った。神殿からの使いの者が真っ先に跪いた。

 神殿でもないのに空から神が降臨した。神々しいはずなのに、神が怒りの表情に満ちているせいで息がしづらくなるほど恐ろしい。

『私がここに来た理由が分かるか?』

 突然のことに戸惑っていると、神は続けてこう言った。

『私の聖女を害した罪人を閉じ込めるためだ』



 クィティア達は一通り館内を歩き回って、豪華で綺麗だけど何もないのがつまらない、外から何か持ってこようとなり、外に出ようとしたところで扉が開かないことに気づいた。押しても引いても蹴ってもびくともしない。徐々に恐怖が芽生えてきたところで、神が降臨した。

『何故私の聖女を害したのだ、クィティア』

 神など信じていなかったのに、いざ現れると例えようもない神々しさに一目で神だと信じざるを得ない。だがその神の御前でもクィティアは自分を曲げなかった。

「聖女が悪いのです! 聖女は私を苦しめた! だから償ってもらったのです!」

『この世界に来たばかりの聖女がどうやってお前を苦しめたというんだ?』

「存在全てが私を苦しめたんです! 神様でしたら私の苦しみが分かるはずでしょう!? あの子のせいで私がどれほどつらい思いをしたか……ううっ」

 クィティアは分が悪いと悟ると、その美貌を生かして得意の泣き落としを図ったが、当然神に通じるはずがない。

『分からない。私にはお前が聖女がいると自分が一番になれないという理由でずっと駄々をこねているようにしか見えない』

 言い当てられたクィティアは瞬時に涙も引っ込んで真顔になった。

 旅の同行メンバーは神の言葉を聞いて愕然とした。だって高位貴族であるクィティアが悪人だって言うからそれを信じていたのに……。

 仲間達の自分を見る目が変わり、恥をかかされたと思ったクィティアは気心が知れた人間しかいない環境でなりふり構わなくなった。

「酷い酷い酷い! 私は永遠に称えられるべき人間なのに! 私は女王よ、女王のティアラなのよ! お父様がそうおっしゃったわ! 私が一番って! そうじゃない世界がおかしいのよ、間違ってるのは神のほうだわ!」

『分かった』

 神からは表情が抜け落ちていたが、クィティアはそんな様子も疑問に思わず神を見上げた。やっと分かってくれたのかと。例え私に注意する人間がいても、大きな声で被害を訴えれば自然と言うことを聞いてくれた。なんならお父様が排除してくれた。私に叶わない願いなんてないのよ。

『クィティア、貴方と仲間達に不老不死の加護を与えよう。それで満足なのだろう?』

 それを聞いたクィティアはパッと表情を明るくした。過去の英傑達が焦がれつつも手に入らなかった不老不死。そんなもの、私が選ばれた人間である証じゃない!

「ええ、ええ! それこそ私に相応しいわ!」

 神はもう何も言わず、辺りを不思議な青い光で満たした。

『後は好きに過ごすがいい』

 そう言って神は消えた。

「クィティア様、俺達は……」

「凄いじゃない、不老不死よ、私達は絶対的な存在になったのよ! 聖女を殺したことでここに幽閉される罰を受けろってことかもしれないけど、不老不死なら問題ないわよね。これから楽しく暮らしましょう!」

 不安を覚える仲間達と違い、クィティアは楽観的だった。何でも自分の都合の良いように考えた。今まではそれで上手くいっていたのだ。



 クィティアがあの館に入ってから五十年。当時の王太子も年齢を理由に王位を退くくらいに年を取っていた。

 王太子は自分の宮殿にある、あの館へ向けた窓はすべて閉鎖させた。あのあと、神から恐ろしいことを聞いたから。

『いますぐクィティア達の悪行を公表して聖女が無実であったと知らしめなさい。聖女はクィティア達により虐待されて殺された。神としてこんな蛮行を許す訳にはいかない。クィティア達には不老不死を授けた。彼女達は永遠にここで苦しむことになる。不老不死にはしたが、空腹も喉の渇きも無くなる訳ではないからな。反面教師としてこの世の終わりまでここで反省するがいい』


 神がそう断言したことだ。誰も取り消すことは出来ない。しかも詳しく話を聞くとクィティア達はそうされて当然のことをしていた。

 とはいえクィティアは愛されて育った娘だ。ああなるように育てた元凶とも言える父親の公爵は泣きわめいてクィティアを助けろ、尻軽のためにどうしてうちの娘が犠牲にならないといけないんだと叫び続けていた。王家も神殿も「神の決定だ。自分が間違ってないと思うのなら神に直接訴えればいい」 としか言えなかった。

 神は「ならこうしよう。クィティアの代わりにお前があの館に入るのならクィティアは出してやろう。当然、お前は未来永劫飢えと渇きに苦しみ続けることになるが、愛する娘のためならたやすいだろう?」

 すると父親はスンと真顔になって「可愛い娘ではあるが、罪を犯したのは娘なのだから親が肩代わりすることない。そもそも前から出来の悪い娘だと思っていた」 と手の平を返した。そうして今度はクィティアの異母姉妹である妹にすり寄った。

 この妹というのは、クィティアよりも不美人で頭が悪いと家族内で冷遇されていたらしい。十五で追い出すように格下の家に嫁に出したが、うちを継ぐのはお前しかいないから離縁して戻ってこいといけしゃあしゃあと命令した。

 幸運だったのは、妹は婚家で失われた自尊心を回復させることが出来ており、父親の命令には従わなかったことだろう。

「クィティアだけがこの家の娘だ、何度も私に向かってそう仰っていたでしょう。そもそも私は婚姻してとっくにこの家の人間です。もう貴方とは何の関係もない。今更泥船になんぞ乗りたくない」

 父親がそれに何を感じたかは伝わっていないが、それから彼は暇さえあれば館に行って壁に縋りおいおいと泣くことを繰り返していたらしい。何だかんだでクィティアを心配しているのかと思ったが、通りすがりの人間が「そんな悲しいなら代わってやればいいのに」 と言うとピタッと泣くのをやめてすぐさまその場を去り、二度とそのようなことを行わなかったというのだから呆れるしかない。全てポーズだったのか。

 彼が館の前で泣きわめく姿を見ていたほとんどの人間はこう思ったという。「あんたのするべきことは聖女の名誉回復に努めることじゃないのか。そういうことは一切しないで娘を亡くした被害者アピールだけは余念がないとか……」 と。

 民衆達はあの父親は結局何がしたかったんだと噂しあったが、こんな説が有力だった。「悲しむ姿を見せて周りの人間が『何て可哀想なんだ! 神は酷い! クィティアは被害者だ!』 と思ってくれることを期待していたのではないか? そう思うのが一人二人ならまだしも、数十人数百人になったら神も無視できないだろうし。問題は娘のクィティアは同情の余地がまったくないことなんだが』 と。

 そんな父親の最後は誰とも会わずに引きこもり、嫁いだ娘が結局心配して様子を見に行ったら何も無い執務室で一人倒れていたとか。使用人すら全て逃げたのだ。

 あの館でクィティアだけでも助けられる可能性はあったが、父親の死とともにその可能性は潰えた。

 それでも心根の優しい王太子は、いつかクィティアが悔い改めて救われることを祈っていた。それがいつになるかは分からないが……。

 そういえば旅から帰った直後は「現地聖女」 としてもてはやされたクィティアだったが、それが全部虚構であり、本物の聖女を虐待死させて得た結果だと皆が知ると評判は見事に反転した。

「そんな行動がとれるなんて人間じゃない。人間じゃない存在がおぞましい罰を受けようが知ったことではない」 と世間は口々に言う。

 ……普通に生きていれば身分の高いご令嬢としてそれなりの人生を歩めていただろうに。そもそも生まれた時点で大勢の人間の上澄みだったというのに。彼女の幸せの器には穴が空いていたのだろう。

 虐待されながらも仕事をこなした聖女は世間の逆風の中でも弔う人が存在し、今では立派な墓が建っている。反対にただただ他者の足を引っ張るしかしなかったクィティアは悪行がばれる前から支持は少なく、今では誰からも顧みられることはない。学校では「立派な聖女と傲慢な公女」 の題名で教訓話になっているらしい。

 


 クィティア達が閉じ込められた建物はいつの間にか「クィティアの館」 と呼ばれるようになった。

 いつの時代も、子供達は鬱蒼とした森の中に佇む窓のない壮麗なクィティアの館に興味を持ってしまう。

 大人達は「やめなさい。あそこは入ったら二度と出られない。そもそも頑丈に出来てるからどうにもできやしない」 と止めるが、好奇心旺盛で経験不足ゆえの行動力がある子供は突撃する。

 この館の中身は何だろう。もし他でもない自分がそれを突き止められたら。そうしたら世界中から尊敬されちゃうかも! そんな子供らしい願望を持って。


 出来てから何十年の建物なら今壊れることだってあり得る! と近くの石を投げたりクワや斧で壊そうとするも、己の聖女であり、世界を救った少女を無残に殺された神の怒りの結晶はそんなことではどうにもできない。館には傷一つつかなかった。


 体力が無くなるまでそんな無駄なことをして、最後にそういえば、と建物に耳を澄ます。ここに来る子供はいつも同じ行動パターンだ。


 そして聞くのだ。この世の者とは思えないうめき声を。限界まで苦しむ人間の断末魔を。


 悲鳴をあげて子供は去る。そして自分が大人になった時、自分の子供にまで同じ思いをさせまいと止める。子供の時に聞いたあのしわがれ声は、今も自分の耳に残っているから。





 王宮近くに住むサティーナは、16になったある日、突然前世を思い出した。

 史上最も壮絶な扱いを受けた悲劇の聖女である前世を。あの時のことは教科書に載っており、クィティアの名は悪女の代名詞だ。

 そして同時に神が現れてこう言った。

『クィティア達も私の子。彼女達の罰は貴方が許すかどうかで終わることが出来る』

 本当に罰を受けているのだろうかと気になったのもあり、サティ―ナは神のテレポートであの小宮殿の中に入った。やすやすと入れるのは、自分が沙耶香というよりサティ―ナであるという意識が強いからだろう。そして当時とは外見が違っているが、分かりやすいようにと彼女達には当時のままに見えるように魔法をかけてもらう。


 クィティアを含む四人は、皆入り口で倒れていた。渇きと飢えで死にそうになると不死の呪いにより身体が死ぬ数時間前に戻る。だが回復するための行動はとれずまた死にかける。そんな状態でもう百年以上苦しんでいるという。

 サティ―ナは全員をひとまず話せるまで回復させてもらい、問いかけた。

「あの時のこと、反省してる?」

 するとクィティア達はギロリと睨んで言った。

「馬鹿言わないで! あんたが苦しんだ何倍もの時間私は苦しんだのよ! 早く私を解放して! 気は済んだでしょ! ここを出たらされた以上の罰を受けさせる聖女だってばらしてやるから!」

「クソ女! そんなに嫌だったらもっと抵抗していれば良かったんだ! 何で言いなりになってたんだよ! 俺達だって勘違いするだろ!」

「馬鹿女一人いいようにしたからってこんな罰受けるなんて割に合わねーよ!」

「早く出せ! もたもたするな! 何でお前はそうとろいんだ!」


 サティ―ナはああ、駄目だと思った。

 謝罪もない、反省してる様子もない。なんならここから出したら途端に危害を加えてきそうだ。

 彼女らを解放したらこれから呼ばれる聖女達に何らかの負の影響が出てしまうかもしれない。沙耶香の記憶がある自分としてはそれだけは許せない。

 サティ―ナは神に頼んでそのまま館から出してもらい、更に今後記憶を戻さないでほしい、先程の記憶も消してほしいと頼んだ。沙耶香の記憶は普通の人間として生きるには重すぎる。


 神は了承した。反省してくれれば、と思っていたが、人間が増えれば増えるほど外れ値というか、稀にとんでもないモンスターが生まれるのは神でさえも避けられなかった。

 サティ―ナは記憶を消される直前、思い直して一つだけ神にお願いをした。

 あの人達が心から反省することがあったら、その時は解放してほしい、と。

 海原で小銭を見つけるくらい低い確率かもしれないが、悪人だから永遠に苦しめとまでは思わない。心から反省したなら許されても良いはずだ。

 ……あの様子では当分そんなことにはならないだろうけど、とサティ―ナは記憶が消える直前にぼんやり思った。反省するまでそれなりに苦しめと思うくらいには彼らの所業は許せないのだ。


 サティ―ナが去ったあとのクィティア達はサティ―ナを恨んだ。

 これだけ苦しんでいる哀れな姿を見て助けないなんてやっぱりあいつは聖女じゃない。そもそも人の心がない。あの時にもっと痛めつけてやればよかったんだ、と考えた。

 辺りが暗くなったことで夜が来たのだと察する。もう何回朝と夜を繰り返したのだろう。一滴でいいから水が飲みたい……パン屑でいいから何か食べたい……。そう思いながら気絶しても、気が付いたらやっぱりまだここにいるのだ。

 クィティア達は気絶した時にいつも夢を見る。親しい人に囲まれて、好きなだけ飲んで食べている夢を。

『聞いて、さっきまでおかしな夢を見ていたんだけど……』

 そう周りに伝えようとしておかしなことに気づく。周りの人達の顔が薄らぼんやりとして、口は縫い付けられているかのように動かない。

 苦しい息の中でまた夢から覚めて気づく。

 もう大好きだった人達の顔も声も思い出せなくなっているのかと。

 



 ずっとずっと時代は下ったあと、一人の天才科学者が物質をすり抜ける魔導具を開発した。

 それを使って子供の時から気になっていた悪女クィティアの館と呼ばれる建物に入ることにした。

 聖女を害した稀代の悪女クィティアの館というだけあって、豪華ではあるが不気味で、何年経っても見た目は塵一つつかないという奇妙な建物だった。

 本当に今でもクィティアはいるのだろうか?


 科学者は入口から入ると、すぐに床に転がっているクィティア達を発見した。半死半生の様子で、それでも目だけは「自分達は悪くない」 とでも言うかのようにギラギラしていた。

 クィティア達は科学者を見ると「こんなに長年苦しんだ自分達を見たらきっと同情してくれるはず」 と期待した。だが……。

「こいつらが右も左も分からない聖女達を集団で虐待したっていうあの……最低だ!」

 科学者はまずクィティアを蹴り上げた。

「お前らは悪人だ! 悪人は成敗されるべきなんだ! 今の今までおねんねしてただけなんだろ? そんなの罰なもんか! 教科書で聖女に対する扱いを読むたびどんなに不快になったか……! 同じ世界の人間としてどれほど情けなく恥ずかしく思ったか……! 当時何も出来なかった聖女のぶんまで痛めつけてやる!」


 科学者は義憤に駆られてその場の全員を殴ったり蹴ったりして暴行した。

「生まれてきてごめんなさいって言え! 言うまで殴ってやるからな!」


 しかしそう言われても四人はもう何百年も飲まず食わずで生きている。言葉なんて聖女が来た時以来使った覚えはない。それでも目の前の痛みから逃げたくて必死に声を出そうとする。喋ろうとして声の出し方すらうろ覚えになっていたと分かったがもう涙も出ない。


「ぁ……ご……め……ぃ……」

「はぁ??? なんだそのふざけた声は。なめてんのかこの犯罪者野郎どもが! この期に至ってもそんなクソな態度とるとはな……もうてめーらの人間性は腐りきってるな!」


 ――その時にクィティア達の心は初めて折れた。

 見知らぬ他人から助けどころか暴行されている。

 聖女ならともかく、目の前の男には自分達は何もしていないではないか。少なくともいきなり暴力を振るわれる筋合いなんてない。

 勝手に恨みを募らせて、動けない自分達に暴行して……ああ、ここに当時の自分達がいる。

 直接被害に合った訳でもないのに自分が被害を受けたみたいに暴行する滑稽さ。

 弱った身体の人間にたやすく暴行できる性根の醜さ。

 悪人には何をしてもいいとばかりに笑いながら暴力を振るう姿。


 何で許さないのかと今までずっと聖女を恨んでいた。でも今分かった。

 許さなくていい。悪いのは自分達なのだから……。

 ああ、ごめんなさい……。


 そう彼女達が思った瞬間、彼女たちの身体は灰になった。

 同時に小宮殿も煙のように消えて、何も無い場所で科学者だけが茫然と立っていた。

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館の中身 菜花 @rikuto

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