有若亡
𦮙
有若亡
あの夢を見たのは、これで9回目だった。
たった数日前そう結論付けたはずなのに、もう10回目を迎えてしまった。
中天には満月が陣取り星の紛れる夜の下、俺は橋の真ん中から
回数を重ねるにつれ夢の中で夢と理解する半面、目覚め方が未だに分からない俺はただ責務に向かう態度で油を流したように穏やかな暗い水面を視界に収める。
幾許の間そうしていたのか。現実でなら月の位置でおおよその時間経過を換算できるが、ここの月は北辰のように揺るがず、頭上で冷たく俺を見下ろすばかり。
とにかくひたすら長い間変わり映えのしない水辺と相対していれば、微かな響きを耳が拾う。もう何度も聞いたから俺は知っている。水が舷を叩くこの音が、変化の合図だと。
初回から波に揺られているのはずっと昔に死んだ父だとすぐ確信に至った。顔は隠されても、記憶と服装が寸分違わぬからだ。死者を運んでいることから自分が見送るのが舟は舟でも舟棺だということも。
ただの乗り物が意思を宿したのかと疑うほどに、浮かぶ棺は真っ直ぐ滑らかに下流へ進む。
次に滑るように出て来た舟でも、顔は同じく隠されていた。月の光に照らされ雪のように輝く白布が暗闇に浮かび上がる。記憶が朧だからと言われればそれまでだが、夢の中でも親の顔を拝めないのはさびしいものだ。
痩せた体を埋め尽くす花の一つ一つには覚えがあった。数年前、まだ幼い妹のマーガレータと泣きながら母の葬儀で棺に入れた百合や鈴蘭だ。今さっき摘んだと言わんばかりに甘やかな花の香りが橋上まで届く。懐かしさにひたるうちに浮動する花香はゆっくりゆっくり遠ざかった。
次の舟はこれまでより一回りも二回りも大きく立派で、布がないおかげで乗っているのが誰かもはっきり認識できる。舟底に沈むのは、友人のイェーヌスだ。彼はまだ生きているはずだが、夢でこの程度の矛盾は誤差の範囲内と解釈している。
逞しい男の体を包む沢山の生花の数に遺された者の哀惜が伝わる。脇に並べられた長剣は、何か武功をたてた証。壮健で豪胆なイェーヌスだ。きっと急に招集され戦場に駆り出されても、見事国防の役目を果たしたのだろう。彼の死を知らないはずなのに、なぜかありありとその勇姿が脳裏に浮かぶ。
友が乗る舟を瞬きを惜しんで水平線の果てまで見届ける。そうして川は黙り込み、黛蓄膏渟の風景を取り戻した。
いつもなら、ここで俺の世界は朝を迎える。目覚めた俺は夢の回数を数えその意味を考え、首をかしげるのだ。
しかし眠りの神は俺を帰そうとしない。新しい続きとして一際古ぼけた舟が眼下に現れた。仰臥していたのは――――俺の最愛にして唯一の家族、マーガレータ。
暗がりにその安らかな顔を認めた次の瞬間には、弾かれたように橋から飛び降りていた。現実でないから、こんな無茶をしても痛くもなければ冷たくもない。
「マーガレータ! マーガレータ!」
追い縋るように舟棺にしがみつき覗きこめば見間違いであってほしいという願いはあっさり砕かれ、矢張り中にいるのは妹だった。耳元で名前を繰り返してもマーガレータは微動だにしない。
「どうして……」
がくりと膝を突く。冷たい頬に手を添えても答えはない。
マーガレータの葬送は酷い有様だった。死化粧は施されず、唇は可哀想なくらい青い。あちこちがささくれだった劣悪な棺は野花の一輪すらなく空っぽ。いくら俺達が貧乏人といったって哀れと言うに余りあるだろう。
ただただ茫然とするばかりの俺の太ももに軽い衝撃が訪れる。見下ろせば揺蕩う小舟が俺をつついていた。
粗末な舟だ。あちこちがけば立ちぼろぼろで、注意深く触れないと怪我をしかねない。雨風に晒されたのか白茶け本来の色を失って久しい様子でマーガレータの舟棺とまるで似ている。
「そうか」
マーガレータから手を離すと、躊躇うことなく空白の舟に乗り込みこれまでの彼等に倣い寝転がった。
俺が生きていて、愛するマーガレータの舟葬がこんなにみすぼらしいなんて有り得ない。きっと万事を執り行う喪主が不在で――――即ち俺は妹と一緒に死んだのだ。しからばこの舟は俺に用意されたに違いない。
耳の底を浚う冴えた濤声が死出の旅の出発を教える。マーガレータもきっと隣を走っているだろう。
たった1人の肉親を亡くし存在する意味をもたない俺があるべき状態に立ち返るための唯一の方法。無表情に静まり返る空を最後に目を閉じた。
有若亡 𦮙 @sizuka0716
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