映画の話「慕情」 1955

Kojiro

第1話 全編

「慕情」やはり古い映画が好きなので………!


 この映画が好きで、今でもたまに見る。


 もともと映画より先に、この映画音楽が好きでよく聞いていた。学生時代だからはるか40年前になるのだが、親しい先輩がこの曲が大好きでよく聞かされたのである。


 彼のご両親が若い頃にこの映画を見て、いたく感動されてよく聞かされたらしい。先輩は西宮に住む、都会の匂いのする家庭だったようである。


 映画自体は、1955年の製作であるから、いくら齢を重ねたとは言え、我々が現役で見られる筈がない。この映画は、1955年に音楽と主題歌でアカデミー賞を取っている。


 中国人と英国人の血を引く女医ハン・スーインの自伝小説を映画化したもので、ウィリアムホールデンの新聞記者とジェニファージョーンズが演じる未亡人の女医さんのラブストーリーである。


 で、今日は何を書こうかと迷ってはいるが、目的は文章練習である。まあ大学入試の小論文対策のようなものである。ところで、こんな文章を誰が読むのだろう。


 映画の原題は、「Love is a many splendored thing」


 この映画の原題は、「Love is a many splendored thing」となっていて、グーグルで翻訳すると「愛は多くの素晴らしいもの」となる。


 まあ題名用に短くしても「愛は、素晴らしいもの」といったところかもしれないが、邦題は「慕情」である。


 せつない主題歌といい、映画の中身といい、こう言い切って余すところが無い。一部の隙もなく、見事としか言いようがない。


 欧米人に、こういった言葉があるかと自慢したくなる。本当に日本人に生まれて良かったと思う。


 昨今、日本の文化や日本食が欧米人にも見直されてきたが、やはりこういったニュアンスや機微への羨望があるに違いないと思っている。


 この邦題の付け方が好ましい。


 昔の日本の映画人というのは、知的で、かつこういった題名をつけられるだけのセンスがあったのだろうと嬉しく思う。


 もし、これを英語の時間に同じ回答をしたら、もちろん即×である。これはそういうもので、先生にしたら苦笑をしつつ親しみを持つかも知れないが、○にするわけにはいかない。


 英語の時間には、そういったことは求められていない。


 大学時代に心理学だったか何かの試験でヤマが外れて一行も書けない事態に直面した。


 その頃読んでいた北杜生だか遠藤周作だかのエッセイで、同じような状況の際に、用紙全面に、回答とは関係なく論述して「優」を貰ったというようなことが書いてあって、それを真似て、表ウラびっしりに挑戦してみた。


 返ってきた回答用紙をみるとなんと零点で、追試験であった。


 その時は何とセンスのない野郎だと思ったのであるが、今考えるとそれは正しい。その時も30点や40点と中途半端にはせず、0点がいさぎよく、とても嬉しかった記憶がある。


 何故かその心理学の先生は学長であった。何で工業大学の学長が心理学の先生なのか、今考えるととても不思議な感じがするが、誰かが工学部のボスには倫理感が必要と考えて選んだのかも知れない。


 ベトナム転勤になって考えたこと。


 さて、ついつい話が飛んでしまう。4年前にベトナムに転勤になって、駐在員生活を始めた時に、この「慕情」の映画が想い出された。


 舞台は、あの有名な香港。旦那さんを亡くした女医さんと妻のある駐在員の新聞記者の恋ものがたりである。


 ということは今でいう不倫映画である。新聞記者の奥さんはシンガポールに住んでいて、離婚の話に行くのだけれど、応じてくれない。


 ジャーナリストというのは、はなから胡散臭く、バイキンのかたまりのようなものである。他人のプライバシーに躊躇せず直情的で厚かましい。


 どうしてこういった人間に多くの女性が騙されるのかが赦し難い。おそらく現代でもTV局や新聞社というだけで惹かれてしまうのだろう。とは言え、正直うらやましいが………。


 なぜジャーナリストばかりがもてるのか?

 そう言えば、昨夜ベトナムのTVを見ていたらオードリヘップバーンの「ローマの休日」をやっていた。


 おっとという感じでこの古い映画を見たのだが、英語の音声にベトナム語の字幕ではさすがに辛かったが、ストーリーは空で言えるくらい良く知っているから楽しんだのだが、こちらも王女様を惑わすのは新聞記者である。


 ヤレヤレである。それにしてもストーリーといい、オードリヘップバーンといい少しも古さを感じない。


 どこにその秘密があるのだろうか。われわれも齢を重ねる人生の中で、そういった生き方が出来ないものかと思う。


「慕情」を見ていると、恋人同士のあどけなさや心の揺れが感じられて、初々しく新鮮である。一方は未亡人であり、一方は妻帯者である。


 今の日本のドラマでは到底このさわやかさは考えられない。


 いつまでも若さを保つには。

 香港の丘で待ち合わせる二人の姿は、初めて恋を知ったようなさわやかさがある。純粋で無欲である。


 そして彼らに共通するのは、それぞれが仕事を一生懸命やっていて、知的で美しく、それぞれにリスペクトがあるのではなかろうか。


 我々も、仕事を一生懸命やっている人達と話をするのは、とても楽しい。自分の知らないことであったり、どうしてそこまで興味をもてるのかと、まるで子供のように話をする姿にとても感動する。


 人生というのはそういったものを求めていくことに、若さを持続出来る秘密があるのではないだろうか。


 駐在員生活が始まった時に、ひょっとして「慕情」の映画のような、こうした異国のドラマがあるのではなかろうかと考えたのは、しごく自然な考えである。


 が、そうは世の中うまくはいかない。もし若い青年ならばそういったドラマも期待できるのかも知れないが、高齢者にはありえないか。夢見ているだけである。


 ということで、この映画のCDをプレゼントしてくれたのは、カミさんである。駐在員生活を知りつつ、夢見る憐れな旦那をかわいそうに思ってのことであろうと思う。


 どうせ何も出来ないやしないのだからと、たかをくくられているのがちょっと悔しい。

 ヤレヤレである。


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