第2話 高校二年生

そして、高校二年生が始まりました。私の学校ではクラス替えがなく三年間一緒のクラスメイトで暮らしていくものでした。自分としては人見知りなのでとてもありがたかったです。

 二年生では修学旅行もありとても充実した生活が送れると思っていました。

ですが、ここから片頭痛、うつ病との闘いが始まりました。二年生から休みが増えてしまい卒業できるかが怪しくなっていきました。自分としては学校には行きたいのですが行けず、休みがどんどん増えていきました。

 一学期はほとんど休まずに行けました。一学期は初めての先生も増え自分の中ではとてもやりずらい環境でした。ですが友達がいたのでそんな不安も払拭されていきました。友達と話したりして毎日行っていました。そして二年生から専門科目が始まりました。自分は食品関係に行きたいと思い専攻は食品関係にしました。その専門科目では、果樹、稲作、食品開発などをやりました。果樹では摘果をしたりしました。学校ではナシ、リンゴ、ブドウを育てていました。

 お米部門がありそこではコシヒカリを育てていました。自分たちで田植えをして管理していました。

 自分は食品開発部門にいたので依頼された食品で食品にあうものを作るということをしていました。時には県からの依頼で食品開発をしたりしていました。自分はとある新品種のリンゴを使った食品開発を担当していました。自分は春巻きの皮を使った

アップルパイを作ってみました。それを突き詰めて完成間近までもっていくことができました。その際、県の職員さんやリンゴ農家さんにも試食をしてもらい色々なアドバイスをもらうことができました。

 そして二学期になりやることは相変わらず、ですがここから休みが急激に増えました。ですが先生もあと何日やすんだら留年になるなど教えてくれました。なので自分の中でもあとこのくらい休めるなど自分の中で計算していました。

 そして二学期の中盤、修学旅行の時期がやってきました。修学旅行では自分と仲が良い友達と班を組んでプランなどを決めました。

修学旅行先は沖縄でした。ですが沖縄旅行に行ったどこかの県の学校で水難事故が起きたとのことで海に入ること、近づくことが禁止されました。生徒たちはみんな不満そうでした。

 そうして沖縄旅行当日、朝6時に学校に集まり軽くHRをしてバスに乗って成田空港まで行きました。私は人生初飛行機に乗れるのでわくわくしながらバスの中では寝ていました。気づいたら東京におりなて、高校二年生が始まりました。私の学校ではクラス替えがなく三年間一緒のクラスメイトで暮らしていくものでした。自分としては人見知りなのでとてもありがたかったです。

 二年生では修学旅行もありとても充実した生活が送れると思っていました。

ですが、ここから片頭痛、うつ病との闘いが始まりました。二年生から休みが増えてしまい卒業できるかが怪しくなっていきました。自分としては学校には行きたいのですが行けず、休みがどんどん増えていきました。

 一学期はほとんど休まずに行けました。一学期は初めての先生も増え自分の中ではとてもやりずらい環境でした。ですが友達がいたのでそんな不安も払拭されていきました。友達と話したりして毎日行っていました。そして二年生から専門科目が始まりました。自分は食品関係に行きたいと思い専攻は食品関係にしました。その専門科目では、果樹、稲作、食品開発などをやりました。果樹では摘果をしたりしました。学校ではナシ、リンゴ、ブドウを育てていました。

 お米部門がありそこではコシヒカリを育てていました。自分たちで田植えをして管理していました。

 自分は食品開発部門にいたので依頼された食品で食品にあうものを作るということをしていました。時には県からの依頼で食品開発をしたりしていました。自分はとある新品種のリンゴを使った食品開発を担当していました。自分は春巻きの皮を使った

アップルパイを作ってみました。それを突き詰めて完成間近までもっていくことができました。その際、県の職員さんやリンゴ農家さんにも試食をしてもらい色々なアドバイスをもらうことができました。

 そして二学期になりやることは相変わらず、ですがここから休みが急激に増えました。ですが先生もあと何日やすんだら留年になるなど教えてくれました。なので自分の中でもあとこのくらい休めるなど自分の中で計算していました。

 そして二学期の中盤、修学旅行の時期がやってきました。修学旅行では自分と仲が良い友達と班を組んでプランなどを決めました。

修学旅行先は沖縄でした。ですが沖縄旅行に行ったどこかの県の学校で水難事故が起きたとのことで海に入ること、近づくことが禁止されました。生徒たちはみんな不満そうでした。

 そうして沖縄旅行当日、朝6時に学校に集まり軽くHRをしてバスに乗って羽田空港まで行きました。私は人生初飛行機に乗れるのでわくわくしながらバスの中では寝ていました。気づいたら東京におり羽田空港の近くにいました。そこから荷物検査が終わりあとは飛行機の時間になるまで待つだけでした。片頭痛を持っているのでやはり飛行機は怖かったです。飛行機が飛び立ち上空に出たとき頭が破裂するほど痛かったです。頭痛薬を呑み我慢して寝ていました。沖縄につき飛行機から外にでたらとても暑かったのを覚えています。ですがジメジメした暑さではなくカラっとした暑さでした。初めての沖縄だったのでとても心が躍りました。

 一日目は首里城に行きました。自分が行った時期は最悪にも首里城は燃えた後で見ることはできませんでした。

その後ホテルに行き夕食をとり自由時間となりました。やることもなく隠し持って行ったニンテンドースイッチでスマブラをして時間をつぶして寝ました。翌日、普段食べない朝食を食べ向かったのは美ら海水族館でした。ジンベイザメなどがいてとてもテンションが上がりました。そこで一言もしゃべったこともない女子と一緒に行動してとても仲良くなりました。美ら海水族館をすべて見終わった後、先生方から海に近づくことが許されました。仲良くなった女子と一緒に海に行き遊びました。

その時は男友達もいたのでみんなで写真を撮ったりしました。

 二日目の夜、一日目とは違うホテルに行きました。とても高そうなホテルでした。夕食をとり、自由時間が来ました。なぜか部屋に女子がいました。(ホテル内の部屋移動は禁止でした。)昼に仲良くなった女子と元から仲が良かった女子がいたので別にいやなこともなく雑談したりスイッチでスマブラをしたりしていました。

 そして消灯前の点呼の時間が来ました。その時は女子は部屋に戻り点呼待ちをしていました。点呼が終わると自分たちの部屋に女子たちが戻ってきて一緒に映画を見たりして過ごしていました。深夜1時くらいになりみんな寝ました。已然、女子たちも同じ部屋で寝ました。ですが女子たちにベットが占領され男たちは床で寝る羽目になりました。そして体が痛くなり深夜3時に目が覚めました。そこから一睡もせずに朝を迎えました。朝は7時に朝食をとり、その日は自由行動の日でしたので男友達と国際通りやアメリカンヴィレッジに行きました。お昼はA&Wを食べました。国際通りでお土産も買え、アメリカンヴィレッジでは海を楽しんだりしていました。その日はそれで終了し夜がやってきました。その日も女子たちが部屋に遊びに来ており、スマブラをして遊んでいました。

 お風呂の時間になり、温泉などはないので自室のお風呂を使って入りました。シャワーをして出てきて自分の中学の友達の番になり入っていたのですがそこでお風呂の扉を閉め忘れており、運が悪くそこに女子たちが帰ってきました。お風呂に入っていた友達は女子の一人にアソコを見られてしまうという事件が起きました。俺たちは反省して謝りました。ですがそれ以外これといった事件が起きるわけでもなくその日は終わりました。

 最終日、最後に行ったのは「ひめゆりの塔」に行きました。戦争の残酷さを知りました。当時使っていた竪穴も残っており覗くことができました。とても悲しい気持ちになりました。

自分は途中で仲良くなった子と行動を共にしているうちに好きになってしまいました。帰りのバスでその子は友達と喧嘩してしまい少し不機嫌でした。

沖縄から帰ってきたあと、その子はまだ喧嘩しており泣いて帰ってしまうことも多々ありました。その際LINEで「大丈夫?」などと送っていました。途中からその子も元気を取り戻して学校には来るようになりましたがまだ喧嘩途中で気まずそうでした。

 三学期になりなぜかその好きだった子と付き合うことになりました。理由は優しくて好きになったとのこと。自分はとてもうれしい気持ちになりました。自分は人生で二人目の彼女ができました。ですが三か月で別れました。理由はよくわかりませんでした。急に怒りはじめ「もう、気持ちないかもしんない」と言われ別れました。

自分にも悪いところがあると思いそこを直す決心をしました。その子とは一切喋らなくなりました。気まずいのもありますが。しゃべりたくないという気持ちもありました。

そこで高校二年生が終了しました。

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私の高校生活 3年間のお話 @SuzuyaMy

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