ステージの下で待っている
誰かの何かだったもの
光の裏で、誰かが静かに崩れていく。
「咲良ちゃん、またセンターね。すごいなぁ、やっぱり。」
ミオの声には、どこか皮肉が混じっていた。
けれど咲良は、にこりと笑って「ありがとう」と返す。表情の奥には疲れが滲んでいたが、それを見せるわけにはいかない。センターである自分が崩れてしまったら、グループ全体が不安定になるとわかっていた。
ライブのリハーサルを終え、薄暗い楽屋に戻ると、スマホを開いて通知を確認する。SNSのDMには、いくつものメッセージが並んでいた。
「咲良ちゃん、今日も最高だった!」
「俺、咲良ちゃんのために生きてる!」
「DM返してくれるだけで救われる……」
その中に、一際目立つ名前があった。ユウキ。
彼は結成初期からのファンで、どんなに小さな現場にも通い続けてくれていた。
《咲良ちゃん、最近元気?無理しないでね》
《ステージの君は素敵だけど、休むときは休んで》
彼の言葉だけが、今の自分を人間として扱ってくれている気がした。
咲良はそっと返信を打つ。
《ありがとう。ユウキくんの言葉、すごく支えになってる》
すぐに既読がつき、「俺も、咲良ちゃんがいるから頑張れる」と返ってくる。
そのやり取りが、どこか恋人のように錯覚される瞬間もあったが、咲良はその境界を自覚していた。ファンとアイドル。絶対に交わってはいけない関係。
けれど――その距離感が、やがて彼を狂わせていく。
⸻
ライブ後、咲良のTwitterには心無い言葉が並んでいた。
「最近、顔変わった?」
「ミオちゃんの方が人気じゃね?」
「私信?きもい」
「気まず……」とつぶやいてスマホを伏せる。
誰が言ってるのかもわからない匿名の言葉に、心がざらつく。
裏アカで「疲れた」「やめたい」とつぶやいても、それがスクショで流出すれば、さらに燃料を投下するだけ。
――逃げ場なんて、どこにもない。
⸻
数日後。ユウキからのDMの雰囲気が変わった。
《咲良ちゃん、最近冷たくない?》
《他のファンには返事してるのに俺にはそっけない》
《俺だけがずっと支えてきたのに、裏切るの?》
咲良は一瞬、心臓が冷たくなるのを感じた。
この人だけは信じていた。支えだと思っていた。
でも――きっかけは、自分だったのかもしれない。
アイドルとしてのファンサービスと、人としての境界線を、自分が曖昧にしてしまったせいで。
《ごめんね。ちょっと疲れてて、うまく返事できなくて》
その返信を最後に、ユウキからのDMは止んだ。
⸻
イベント当日。ライブは盛況だった。
ただ、咲良は妙な視線を感じていた。
最前列、マスクをして帽子を深くかぶった男が、ステージの咲良だけを見つめていた。
「ユウキくん……?」
とっさに思ったが、自信はなかった。
終演後、特典会でその男は列に現れなかった。
その夜、Twitterの裏垢にメッセージが届いた。
内容はただ一言。
《ステージの下で待ってるよ》
咲良は背筋に冷たい汗を感じた。
翌日から、咲良は体調不良を理由に、ライブ出演を休むようになった。
メンバーや運営に理由は告げなかった。言ってもどうせ「気のせい」と笑われるだけだと、わかっていた。
けれど、スマホの通知だけは鳴り止まなかった。
ユウキからのDMは毎日届いた。
《家、知ってるよ》
《もうすぐだね》
《一緒に“向こう側”に行こう》
“向こう側”。それがどこを指しているのか、咲良にはわからなかった。
ただ一つ、彼が理想としていたアイドル像に、自分がもうそぐわないと悟ったとき、彼は「壊す」ことを選ぶのだろうと直感していた。
咲良は鍵もつけず、SNSを閉じた。
⸻
運営スタッフの片桐は言った。
「ほら、地下アイドルってそういうもんだし。病まない子のほうが珍しいから。」
咲良はもう、怒る気力もなかった。
ミオも心配してくれたが、それは本心だったのか、センターの座を奪う好機だったのか、もはや判別がつかない。
それでも咲良は、再びステージに戻る決意をした。
理由は単純で、「怖かったから」だ。
家に一人でいるより、ステージで照明を浴びていたほうがマシだった。
⸻
復帰ライブの日。ステージ袖で咲良は深呼吸をした。
観客席を確認すると、最前列のあの男の姿はなかった。
――安心した。
そう思ったのは、間違いだった。
⸻
ステージ中、照明が一瞬だけ落ちた。
すぐ復旧したが、その刹那、咲良は何かが足元を掴んだ感覚に襲われた。
――ステージの下。
ライブハウスのフロアの構造を知る者ならわかる。
床下にわずかなスペースがあることを。
そこに誰かが「隠れる」ことも、できるということを。
終演後、スタッフが点検中、ステージ下の床板がずらされていた痕跡が見つかった。
咲良は蒼白になりながら、それでも誰にも言わなかった。
口に出してしまえば、現実になってしまいそうだったから。
⸻
それからしばらくして、咲良は突然、活動休止を発表した。
理由は「体調不良」。
けれどファンの間では、ある一枚の画像が出回った。
ステージ写真。咲良がパフォーマンスをしている最中、足元の暗がりに何かが映り込んでいる。
それは――人の顔だった。
マスクをして、帽子をかぶり、咲良を見上げている男の顔。
写真の出どころは不明。
ユウキのアカウントも、すでに削除されていた。
⸻
半年後。
グループは新体制となり、咲良の名前は語られなくなった。
ファンの間では、「咲良ロス」と「咲良闇落ち説」が交錯していたが、誰も真相を知らなかった。
ただ一つ、あるファンが投稿したツイートが残っている。
《復帰ライブの日、ライブハウスの近くでマスク姿の男に話しかけられた。
“咲良ちゃん、ステージの下で俺の目を見たのに、無視したんだよ”って。
あれ、ユウキくんだったのかな……?》
そのツイートも、今は削除されている。
ステージの下で待っている 誰かの何かだったもの @kotamushi
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