白紙の地図
色街アゲハ
白紙の地図
かの有名な”不思議の国のアリス”の著者であるルイス・キャロルの、1876年に上梓された著書”スナーク狩り”の中に、登場人物達の航海の為に用意された海図に関する記述がある。
その根底にナンセンスの感覚を有していたキャロルに相応しく、その海図には何も描かれていない、真っ新な平面が広がっているだけだった。道標となるべきその地図に行き着くべき標は無く、周囲を確認すべく表示されるべき座標も存在せず、自身の依って立つ現在地の手掛かりすら何も無い、ただ真っ白い、文字通りの空白の紙を以てして、これを地図とするキャロル一流のナンセンスが此処に展開される訳だが、話はこれだけに留まらなかった。
産業革命に端を発する、人を巨大な機構の内に巻き込まんとする大きな時代のうねりの中で、人々は己が生きる意味を見失い、さながら先述の白紙の地図を前にして途方に暮れ、何処に行くべきか知る事の無いまま、徒にその命を涸らして行くしかない境遇に放り出される事になった。
驚く事に、それは凡そ二百年の時を隔てた今日に至っても、未だ解決されておらず、人々は尚白紙の地図を手に、一歩も踏み出す事が出来ないままにある。
人の有する技術は一昔の物とは雲泥の差となる程の速さで進歩を続け、最早その流れは誰の手に拠っても止められない物となってしまった。
ただその流れに在って、人の心だけが嘗ての場所から動く事の出来ないまま置いてけぼりを食らって、斯くて、人は老いも若きも関係なく現実から取り残されて、その差は日を追う毎に広がっている。その姿はさながら生きながら過去に捉われた亡霊の様に見える。
何故今に至るまでこの事が放置され続けて来たのか。一つに、其れが個人の心の問題である、と”見做された”事にあると思う。今を以てしても尚凄まじい勢いで進み続けるこの状況で、”たかが”一個人の感情でその歩みを止める事など有り得ない、と云う風潮が、この考えを長らく押し留めて来た、と言える。
今一つは、それが目には見えない、心の中での出来事故に、この問題をはっきりとした目線で見定める事の出来ずにいた、と云う事情もあったのかも知れない。
何れの理由にしろ、余りに長い間この事が手つかずのままでいた事から、現実と人の心との間に埋めがたい断絶が生まれてしまった。近年人の心に去来する、何とも言えない停滞感、何処に向かって行けば良いか分からず、同じ処で足踏みを続けている様な困惑の感情は、恐らくこの辺りに起因しているのではないか、と一人勝手に推察してみる。
心の内に漠然とした不安を抱えながらも、今の今まで何故自分はこの事に考えが至らなかったのか、と疑問に思う一方で、今思い立ったという事は、この事が最早無視し得ない程に大きくなってしまったのと共に、その事に考えを巡らせる為の準備が整ったのだ、と考える事が出来るのではないか。それが何故この自分なのか、と云う疑問も湧き上がる。自分以上に頭の回る人達が、それこそ星の数程居るではないか、と。しかし、恐らくそういった人達はこんな事に頭を悩ませないのだろう。自分の様な何処にも行けずに同じ処をグルグル回り続ける者だけがこの様な事に思考を捉われるのだ、と、そう納得しながら話を進める事とする。
人は頻りに自由、と云う言葉を口にする。何物にも束縛される事の無い解放された自分達を望んで、自分達の行く手を阻む誰か、或いは何かに対し敵意を向ける。予てより不思議に思っていたのだが、何故それ程までに自由を謳う彼等が、同時に自身の生きる意味、存在としての空白、世界の中に居所を見い出せない事に悩み、苦しみを感じているのか。
何処に行って良いのか分からない、自身の内に生きる意義を見い出せない、世界の中に自分の居場所を見付ける事が出来ない。手元にあるのは、何も書かれていない白紙の地図。
独り立ち竦み、ぼんやりとした不安を抱えて、其れ以上足を踏み出せない、この真綿で少しずつ首を絞められて行く様な、曰く言い難い重く圧し掛かる様な苦しみに絶えず苛まれている様に見える。
こうした事を見るに、彼等の言う自由とは、偏に自身を縛る”外”からの圧力のみに注視している様に思えてならない。本当に彼等を縛り付けているのは、他ならない、自分自身である事に思いも寄らないで。
進むべき道があれば満足なのか。自分が何者であるか始めから決まっているのが良いのか。予め用意された場所に収まる事を良しとするのか。お手前の自由とやらは何処へ行った? 全てが定められた世界で、何の疑問も抱く事なく生きて行く事。それが本当に彼等の望んだ自由とでも云うのか?
自分が何者か分からない? 当然だ。それを決めるのは自分自身なのだから。
自身の内や世界に意味を見い出せない? 当然だ。意味とは見付け育てる物であって、そこら辺に落ちている物ではない。
地図に何も描かれていない? 当然だ。それはこれから”あなた”自身で”創”って行く物なのだから。
何も難しい事を言っている訳じゃない。それは今日どんな服を着てみようか、と朝起きてから少しばかり考えを巡らす位の、きっと簡単な事。
朝が来た。さあ、目を覚まそう。目に見えない心の奥の、殆ど聞き取れない位小さくて、けれども、もうずっと前から切々と訴え掛けて来ていた自身の声に耳を傾けよう。外に出掛ける為の服を選んでみよう。世界に飛び出して、自分の服の似合う場所を探しに行こう。
もしかしたら、その歩みはもどかしい程に拙くて、亀が歩むが如く遅い物かも知れない。あなたの横を兎が走るが如き速さで何人もの人々が追い越して行く姿が見える。でも、気にするには当たらない。彼等が速さに気を取られて見落としてしまった風景を心に刻み込みながら歩いて行こう。
遥か先で彼等が富と栄光の座に着いている姿が見える。でも、気にした所で始まらない。その場所は彼等の物であって、あなたの求める物とは違う。
歩き続けよう。亀の歩みによってしか辿り着く事の出来ない約束の地を目指して。
或る意味に於いて、あなたは既にその場所に辿り着いている。他の誰にも依らない、あなた自身の意志で踏み出した足は既に辿り着く場所を指し示し、その先に続く道を生み出しているのだから。それに、度重なる幸運に依って、目指す場所に辿り着けたとしても、どの道直ぐにでもそわそわと落ち着きを無くして、新たな旅に出向きたくなるに決まっているのだから。私達は何時だって旅の途中にいる。辿り着いたその場所も、更に先に進む為の通過点に過ぎない事に直ぐにでも気付く事になるだろうから。
さあ、旅を続けよう、歩き続けよう。きっと、その足取りは前よりも確かな物になっている。
あなたの手にある地図は、もう白紙ではない。
終
白紙の地図 色街アゲハ @iromatiageha
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