……hello, someday
体が地面に張りついているように重かった。
目を開くと、ボロボロになった天井。かろうじて動く首を回すと、沢山の端末に囲まれていて、そこから延びるコードは全て、俺の横に佇んでいるヨルに繋がっていた。
アームは糸が切れたかのように垂れ、いつもなら点灯しているはずのランプも消えており、表面のレンズも亀裂が走っていた。
遠くで崩れる音が聞こえる。俺の体にも針が刺さっているようで、動かすとその部分が痛かった。管を辿ると真新しい点滴が繋がれている。
起き上がると更に全身に痛みが走った。けど、それは一瞬のことで、その痛みのお陰で意識がハッキリと戻ってきた。
「ヨル……」
声を掛けても返事はない。
「なあ……ヨル。起きたよ。曲かけてよ」
ヨルを揺するも反応がない。外殻のカバーを外し、起動スイッチを押すも変化がない。ただ小さく、レコードのランプが薄い青色をにじませていた。震える指先でその下のボタンを押す。
『おはようございます。マヒルさん。今は何時でしょうか。分かりませんが、きっと、素敵な朝であることに間違いありません』
かすれた声だったが、間違いなくヨルの声だ。その言葉で俺の眠っていた頭に、過去の記憶が呼び起される。高速で巡り、その映像を追うように目も忙しなく動いた。
『申し訳ございません。この録音を終えた時点で、私はもう、機能を維持することが出来なくなります。だから、マヒルさん。あなたに伝えたいことがあります』
俺は黙って、ヨルの言葉の続きを待った。
『あの時のこと、心よりお詫びいたします。いえ。違います。違わなくはないですが、言いたいことは……感謝です。私を庇ってくれてありがとうございました』
乾ききった体だというのに、涙が浮かんでくる。
『本当は。これからあなたがこの世界で生きるために、示す何かを残してあげたかった。何度も最適解を……いえ、違います。どんなに阻まれようとも、私の中のマヒルさんは青く光っていて、希望に満ち溢れています。だから決して、あ、いえ……違います』
こんなに泣けてくるのに、ヨルの不器用で言い淀む音声に、笑みまで零れてくる。
『マヒルさん。私は世界で一番、幸せなボット、です。あなたに、生きる知恵を与えるはずでした……どうして私はこんなことを記録しているのでしょうか。でも、伝えたいのです』
『私はもうじき……マヒルさ……私の……たったひとりの家族』
言葉が終わった気がしたが、音声の裏側に環境音がまだ続いている。ヨルは最後のと力を振り絞っている。そう感じた。
「もちろんだよ」
思わず、ヨルに声を掛ける。AIだったとしても、決められた反応だったとしても、俺にとってヨルはただのAIじゃない。大切な存在なんだ。
『私は……あなたを』
消え入りそうなボットの声に耳を澄ます。
『心から、愛しています――』
音声は、そこで切れた。
俺は、乾いた目で涙を流しながら、笑った。
「バカだな……お前こそ、見てほしかったんだろ……」
彼は壊れたヨルを抱き寄せた。
冷たく、無機質なはずの外殻が、少しだけ重かった。
「なあ、ヨル。なんとなく分かってたよ。お前がしてくれてたこと。お前が俺を守るために、同じ朝を何度も用意してたことも。俺も同じ夢を見ていた気がするんだ。だからきっと、そうなんだろ?」
目を閉じて、息を吸い込む。
「だったら……次は、俺の番だな。ヨル」
立ち上がるのが怖い。見た事のない世界が広がっている。希望の欠片すら失われてそうな、一面の廃墟。踏み出せば、すべてが嘘になる気がして──それでも。
小さく呟いて、マヒルは立ち上がる。壊れたヨルを強く抱きしめ、空を仰ぐ。
視界の端で、なにかが揺れた。灰の向こう、白一色だった空に、うっすらと青い波紋が浮かんでいた。記録されない“感情の残りかす”のような色。
ヨルが教えてくれた希望。
それがまだ、空のどこかに残っていたのかもしれない
「ここから先の記録は、俺が作るよ」
ヨルの体を撫でる。消灯したままのヨルの瞳を見つめる。
「ヨルが起きた時、前と同じ俺じゃダサいだろ?」
歩き出すその足取りは、“あの時の少年”とは違っていた。
視界の揺れも、足元の不安定さも、今はもう気にしない。
記録という名の檻を越えて、“今”を歩こうとしていた。
さあ、この白く蝕まれる、理不尽な世界を、塗りつぶしていけ。
「先ずは、食料だ。味噌味だけは、勘弁な」
ヨルの瞳に、俺のぐしゃぐしゃになった笑顔が映っていた。
hello, someday: goodbye...YOR -失われた青の記録- たーたん @taatan_v
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