ス・ス・メ!
わきの 未知
ス・ス・メ!
二人で手を繋いで、「約束の丘」の黒土に寝転ぶと、夜更けの枯草の香りが鼻を満たす。
「来月、NASAが火星に入植するらしいね」
「ニューショク? なんだそれ」
赤い星を指さす恋人。バカなあたしは、その単語を知らなかった。
スズは教えてくれない。代わりにあたしの背中を抱き寄せる。
「ねえ、イチ。人類が本気を出したら、宇宙のどこまで行けるかな?」
皮膚に柔らかい感触。女子の胸。同じ性別のはずのあたしは、なぜだかそれに興奮する。
「あったかいね、イチ」
あたしの名前が呼ばれている。夜風が耳を撫でると、脳髄がじんじんして、あたしは甘い唾を飲み込んだ。
もう、数年前の話だ。
人類が入植しようとした火星には、地球よりもはるかに高度な鳥人文明があった。
越境攻撃と受け取ったらしい。コロニー船は撃墜され、地球はまたたく間に奴らの手に落ちる。
スズは火星人相手の娼婦になった。もう何年も見ていない。
*
「口答えすんな、この猿!」
火星人のパイロットが、あたしの同僚にヘルメットを投げつける。
腹にまともに食らった同僚は、下腹部を押さえながら、めそめそと泣き出してしまった。
ヒスイという子だ。体じゅう
最近、レジスタンスを潰すために、生物兵器が使われた。
奴らは卑劣な点に注目したのだ。地球の軍人は、ほとんどが男だ。だから奴らは、男だけを殺す兵器を使った。
人類のちょうど半分が死滅した。
残された女たちは労働力扱いだが、大半が火星人に媚びを売って食いつないでいる。腹に無為の子種を受け取りながら。
あたしとヒスイは、戦闘機のパイロットだ。
鳥人のモノを免れ、代わりに徴兵された。運動神経が、鳥人並みに良かったから。
火星軍・日本基地に所属する地球人パイロットは、たった二人。もちろん、毎日いじめられている。
痛みに喘ぐヒスイの代わりに、あたしはそいつを睨みつける。エースパイロット。
「なんか文句あんのか、てめえは」
エースはあたしに、火星語でそう言った。
文句がないわけ、ないだろ。あたしはぼそぼそと、しかも日本語で悪口を言う。
「焼き鳥にしてやる」
「ヤキトリ? 文句は火星語で言えよ」
「……『すみません』と言ったんです」
エースはせせら笑った。あたしは唇を噛みながら、ヒスイをおぶって兵舎に逃げる。
*
夕方。
あたしは古いロックを口ずさみながら、自機の
「イチ。レジスタンスって、まだいるのかな? 最近、戦闘がないよね」
「男が全滅してから、しぼんじゃったって聞いたぞ。絶滅するのに、戦ってもなあ」
「絶滅か……。火星には、女同士で子供を作る技術があるって聞いたよ」
「あるわけないだろ。ひっかかんなよ、そんなデタラメ」
スズとあの丘に登ったのも、こんな夜だったな。あたしは今でも忘れてない。
「私は女同士、良いと思うんだけどな」
「はあ? あたしとか? 嘘つくなよ。お前、普通だろ」
あたしはヒスイにキツい言い方をしてしまう。
この手のジョークが流行っているのが、あたしは気に入らない。あの日の「脳髄のじんじん」は、本物だ。鳥人が来る前から、ずっと。
そこにエースパイロットたちが帰ってきた。
「おい、イチ。面白いメス猿を買ったぜ」
あたしたちは会話をやめ、ひきつった笑顔を作る。鳥にされる話なんか聞きたくもないが、いつヘルメットを投げられるかわからないから。
「どんなです。ぜひ教えてください」
「聞きたいか。お前と同じぐらい、媚びるのが苦手な猿でよ」
「それでよく娼婦ができますね」
「な。全然濡れねえから、パイロット向きだと思うぜ」
「ははは、あたしもパイロット向きだ。話は終わりですか?」
「いや、それがな、不思議な鳴き声で喘ぐんだ」
「へえ、どんな?」
エースはにやりと笑う。くちばしが猿の声真似をした。
「基地の名前を言ったら、『イチ、イチ』って涙を流してよ。病気だな、ありゃ」
あたしは笑顔を繕っていたことを後悔した。
スズだ。
頭に血が上ってきた。日本語が喉を飛び出す。
「焼き鳥にしてやる」
「だから、文句は火星語で言えってんだよ、バカ猿」
「……『串焼きにして食ってやる』って言ったんだよ、バカ鶏」
あたしはとうとう、はっきりと火星語で言った。スズに謝罪するように。
誇り高く、好戦的な火星人。それは決闘の申し込みに聞こえるだろう。
「……ケッ。実弾を載せろ」
エースは二匹の猿に背を向けた。
あたしは手に持ったスパナを、ぎゅっと握りしめる。もう一度、機体のメンテだ。
*
「イチ。うう。イチ……」
ヒスイがまた、めそめそと泣いている。あたしは正直、この子はあんまり好きじゃなかった。今になると、ちょっと名残惜しいけど。
「お前までその喘ぎ声かよ。戦う前から葬式みたいだな」
「バカッ。戦闘機の性能が違うでしょ。それに、万が一あんたが勝っても、あんたを撃墜するために全機スクランブルだよ」
「……わかってるよ。心配すんな、細工はしたから」
苦笑で本心を隠してみた。やっぱり、苦手かも。女々しすぎる。
「おい、ヒスイ。あたしが勝ったら、レジスタンスを探せ。ヒーローの名前を語り継げ」
返事はなかった。
自分で言いながら、わからなくなる。ヒーロー、それともヒロイン?
英語は苦手だ。あたしは愛機の黒い翼を撫でる。
「発進」。夜の
あたしはゆっくりと操縦桿をふかす。エースの銀色の機が、もう一方の滑走路をさっさと出て行った。
離陸の瞬間、嫌なものが見える。鳥人どもがドッグファイトを見物しているのだ。ヒスイを取り囲んで、彼女の肩を抱きながら。
待ってろよ。全員、順番に焼き鳥だ。
空を飛ぶのに慣れてる鳥人は、最初からギアを
「猿がよ」
「猿をナメるなよ」
通信越しに嘲られて、あたしも負けじとギアを上げた。マッハ5の銀翼に、追いつき、追い越される。曲芸のたび、空気が揺れる。意識が飛びそう。
間もなくぴたりと後ろにつかれた。火星人たちの嘲笑が目に浮かぶ。
「チッ。細工しといて、よかったぜ」
あたしはとうとう奥の手を使った。
マッハ10、最高速……。
ブレイク。ダイブ。ターン。
目を閉じて、細工を使う。目を開ける。
マッハ15。
あたしの黒い戦闘機は、エースの真後ろに出た。
「なっ、速っ……。イチ、何を……」
狙いすました弾が敵機を刺す。限界速度で飛ぶエース機は、あたしの黒い機体に追い抜かれながら、空中で爆散した。
「へっ。焼き鳥だ、ははは」
あたしは宙返りしながら、親指を下向きに突き立てる。
慌てて隊員の戦闘機が発進し始めた。
「お前、その速度は……なんだ」
怯えた火星人パイロットから通信が届く。その間にも、敵の戦闘機は花火になって散る。
「マッハ17だよ。追い付いてみせろよ」
「バカな。最高速を超えてる。いったい何を……」
「はっは、教えてやろうか。エンジンのブレーキを潰したんだ。……なあ、スズはなんて言ってた?」
種明かししてやったのに、返事はない。最後の一機を撃墜するのと同時だった。
マッハ20。
*
マッハ21、22。
このエンジンは壊れている。敵を失っても、ひたすら加速し続ける。
雲の下の地面に、あまたの戦闘機の残骸が見えた。黒い機体がもう一つ、
「おい、語り継げよ」
あたしはヒスイに言った。やはり返事はなかった。泣いていたのかもしれない。
(レジスタンスも探せよ)
それは心の内に留めておいた。きっと探してくれるだろう。
あたしは機体を天に向ける。愛機は黒い狼煙となって、ぐんぐん高度を上げていく。
マッハ25。26、27……。
あたしは操縦桿を離して後ろを振り向く。「約束の丘」はもう見えなかった。
「どこまで行けるかな」
機内は摩擦熱で暑くなってきた。赤い月と、赤い星が出ている。
あの夜を思い出す。宿敵の眠る惑星を指さしたスズ。あたしのより小振りな乳房。あの晩のうちに、愛しておくべきだった。
成層圏の先には宇宙。あたしは星になる。
マッハ30。
とうとう翼に火がついて、青く輝き始めた。
目をつむったら女々しくなってしまいそうで、仕方なく火星を見つめていた。脳髄がじんじんする。あたしは甘い唾を飲み込んだ。
今夜、地球に残ったメス猿に、空を見上げてほしい。
あたしは笑っている。燃え続ける。いつまでも。
進め。
ス・ス・メ! わきの 未知 @Michi_Wakino
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