ス・ス・メ!

わきの 未知

ス・ス・メ!

 二人で手を繋いで、「約束の丘」の黒土に寝転ぶと、夜更けの枯草の香りが鼻を満たす。

「来月、NASAが火星に入植するらしいね」

「ニューショク? なんだそれ」

 赤い星を指さす恋人。バカなあたしは、その単語を知らなかった。

 スズは教えてくれない。代わりにあたしの背中を抱き寄せる。

「ねえ、イチ。人類が本気を出したら、宇宙のどこまで行けるかな?」

 皮膚に柔らかい感触。女子の胸。同じ性別のはずのあたしは、なぜだかそれに興奮する。

「あったかいね、イチ」

 あたしの名前が呼ばれている。夜風が耳を撫でると、脳髄がじんじんして、あたしは甘い唾を飲み込んだ。


 もう、数年前の話だ。

 

 人類が入植しようとした火星には、地球よりもはるかに高度な鳥人文明があった。

 越境攻撃と受け取ったらしい。コロニー船は撃墜され、地球はまたたく間に奴らの手に落ちる。


 スズは火星人相手の娼婦になった。もう何年も見ていない。



「口答えすんな、この!」

 火星人のパイロットが、あたしの同僚にヘルメットを投げつける。

 腹にまともに食らった同僚は、下腹部を押さえながら、めそめそと泣き出してしまった。

 ヒスイという子だ。体じゅうあざだらけなのが特徴。あたしもだけど。


 最近、レジスタンスを潰すために、生物兵器が使われた。

 奴らは卑劣な点に注目したのだ。地球の軍人は、ほとんどが男だ。だから奴らは、を殺す兵器を使った。

 人類のちょうど半分が死滅した。

 残された女たちは労働力扱いだが、大半が火星人に媚びを売って食いつないでいる。腹に無為の子種を受け取りながら。


 あたしとヒスイは、戦闘機のパイロットだ。

 鳥人のを免れ、代わりに徴兵された。運動神経が、鳥人並みに良かったから。

 火星軍・日本基地に所属する地球人パイロットは、たった二人。もちろん、毎日いじめられている。


 痛みに喘ぐヒスイの代わりに、あたしはそいつを睨みつける。エースパイロット。

「なんか文句あんのか、てめえは」

 エースはあたしに、火星語でそう言った。

 文句がないわけ、ないだろ。あたしはぼそぼそと、しかも日本語で悪口を言う。

「焼き鳥にしてやる」

「ヤキトリ? 文句は火星語で言えよ」

「……『すみません』と言ったんです」

 エースはせせら笑った。あたしは唇を噛みながら、ヒスイをおぶって兵舎に逃げる。



 夕方。

 あたしは古いロックを口ずさみながら、自機の極超音速ハイパーソニックエンジンを手入れする。ラッカーで翼を真っ黒に塗っていると、沈んだ顔のヒスイが、あたしに声をかけた。

「イチ。レジスタンスって、まだいるのかな? 最近、戦闘がないよね」

「男が全滅してから、しぼんじゃったって聞いたぞ。絶滅するのに、戦ってもなあ」

「絶滅か……。火星には、女同士で子供を作る技術があるって聞いたよ」

「あるわけないだろ。ひっかかんなよ、そんなデタラメ」

 スズとあの丘に登ったのも、こんな夜だったな。あたしは今でも忘れてない。

「私は女同士、良いと思うんだけどな」

「はあ? あたしとか? 嘘つくなよ。お前、だろ」

 あたしはヒスイにキツい言い方をしてしまう。

 この手のジョークが流行っているのが、あたしは気に入らない。あの日の「脳髄のじんじん」は、本物だ。鳥人が来る前から、ずっと。


 そこにエースパイロットたちが帰ってきた。

「おい、イチ。面白いメス猿を買ったぜ」

 あたしたちは会話をやめ、ひきつった笑顔を作る。鳥に話なんか聞きたくもないが、いつヘルメットを投げられるかわからないから。


「どんなです。ぜひ教えてください」

「聞きたいか。お前と同じぐらい、媚びるのが苦手な猿でよ」

「それでよく娼婦ができますね」

「な。全然濡れねえから、パイロット向きだと思うぜ」

「ははは、あたしもパイロット向きだ。話は終わりですか?」

「いや、それがな、不思議な鳴き声で喘ぐんだ」

「へえ、どんな?」 

 エースはにやりと笑う。くちばしが猿の声真似をした。

「基地の名前を言ったら、『イチ、イチ』って涙を流してよ。病気だな、ありゃ」


 あたしは笑顔を繕っていたことを後悔した。

 スズだ。

 頭に血が上ってきた。日本語が喉を飛び出す。

「焼き鳥にしてやる」

「だから、文句は火星語で言えってんだよ、バカ猿」

「……『串焼きにして食ってやる』って言ったんだよ、バカ鶏」

 あたしはとうとう、はっきりと火星語で言った。スズに謝罪するように。


 誇り高く、好戦的な火星人。それは決闘の申し込みに聞こえるだろう。

「……ケッ。実弾を載せろ」

 エースは二匹の猿に背を向けた。

 あたしは手に持ったスパナを、ぎゅっと握りしめる。もう一度、機体のメンテだ。



「イチ。うう。イチ……」

 ヒスイがまた、めそめそと泣いている。あたしは正直、この子はあんまり好きじゃなかった。今になると、ちょっと名残惜しいけど。

「お前までその喘ぎ声かよ。戦う前から葬式みたいだな」

「バカッ。戦闘機の性能が違うでしょ。それに、万が一あんたが勝っても、あんたを撃墜するために全機スクランブルだよ」

「……わかってるよ。心配すんな、はしたから」

 苦笑で本心を隠してみた。やっぱり、苦手かも。女々しすぎる。

「おい、ヒスイ。あたしが勝ったら、レジスタンスを探せ。ヒーローの名前を語り継げ」

 返事はなかった。

 自分で言いながら、わからなくなる。ヒーロー、それともヒロイン?

 英語は苦手だ。あたしは愛機の黒い翼を撫でる。


「発進」。夜のとばりの片隅に、管制塔がチカチカと輝いた。

 あたしはゆっくりと操縦桿をふかす。エースの銀色の機が、もう一方の滑走路をさっさと出て行った。

 離陸の瞬間、嫌なものが見える。鳥人どもがドッグファイトを見物しているのだ。ヒスイを取り囲んで、彼女の肩を抱きながら。

 待ってろよ。全員、順番に焼き鳥だ。


 空を飛ぶのに慣れてる鳥人は、最初からギアを超音速スーパーソニックに上げてくる。エースは特に早い。自由自在だ。

「猿がよ」

「猿をナメるなよ」

 通信越しに嘲られて、あたしも負けじとギアを上げた。マッハ5の銀翼に、追いつき、追い越される。曲芸のたび、空気が揺れる。意識が飛びそう。

 間もなくぴたりと後ろにつかれた。火星人たちの嘲笑が目に浮かぶ。

「チッ。しといて、よかったぜ」

 あたしはとうとう奥の手を使った。極超音速ハイパーソニックでエースを振り切ると、相手もギアを一段上げる。

 マッハ10、最高速……。


 ブレイク。ダイブ。ターン。

 目を閉じて、を使う。目を開ける。


 マッハ15。

 あたしの黒い戦闘機は、エースの真後ろに出た。

「なっ、速っ……。イチ、何を……」

 狙いすました弾が敵機を刺す。限界速度で飛ぶエース機は、あたしの黒い機体に、空中で爆散した。

「へっ。焼き鳥だ、ははは」

 あたしは宙返りしながら、親指を下向きに突き立てる。

 

 慌てて隊員の戦闘機が発進し始めた。

「お前、その速度は……なんだ」

 怯えた火星人パイロットから通信が届く。その間にも、敵の戦闘機は花火になって散る。

「マッハ17だよ。追い付いてみせろよ」

「バカな。最高速を超えてる。いったい何を……」

「はっは、教えてやろうか。んだ。……なあ、スズはなんて言ってた?」

 種明かししてやったのに、返事はない。最後の一機を撃墜するのと同時だった。

 マッハ20。

 極超音速ハイパーソニックの2倍速。チキンの悲鳴が残響する。



 マッハ21、22。

 このエンジンは壊れている。敵を失っても、

 雲の下の地面に、あまたの戦闘機の残骸が見えた。黒い機体がもう一つ、超音速スーパーソニックでのろのろ飛んでいる。飼い猿の片割れだ。

「おい、語り継げよ」

 あたしはヒスイに言った。やはり返事はなかった。泣いていたのかもしれない。

(レジスタンスも探せよ)

 それは心の内に留めておいた。きっと探してくれるだろう。

 あたしは機体を天に向ける。愛機は黒い狼煙となって、ぐんぐん高度を上げていく。

 

 マッハ25。26、27……。

 あたしは操縦桿を離して後ろを振り向く。「約束の丘」はもう見えなかった。

「どこまで行けるかな」

 機内は摩擦熱で暑くなってきた。赤い月と、赤い星が出ている。

 あの夜を思い出す。宿敵の眠る惑星を指さしたスズ。あたしのより小振りな乳房。あの晩のうちに、愛しておくべきだった。

 成層圏の先には宇宙。あたしは星になる。


 マッハ30。

 とうとう翼に火がついて、青く輝き始めた。

 目をつむったら女々しくなってしまいそうで、仕方なく火星を見つめていた。脳髄がじんじんする。あたしは甘い唾を飲み込んだ。

 

 今夜、地球に残ったメス猿に、空を見上げてほしい。

 あたしは笑っている。燃え続ける。いつまでも。 

 進め。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ス・ス・メ! わきの 未知 @Michi_Wakino

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説