狐と糞塊
脳幹 まこと
或文豪之哲学
近頃、如何も不可無い。ふと気が緩むと、決って二つの言葉が脳裏を占拠するのである。一つは、生命の終末にして、大地の豊穣なる恵みの根源たる「大便」。然してもう一つは、生命の勃興にして、時に愚かしくも愛しき人類の象徴たる「陰茎」。此れ等二語は、宛で古の呪詛の如く、我が思考の隙間と云う隙間に、執拗に、且つ親密に潜み込んで来るのだ。我ながら、呆れ果てた宿痾と云わねばならぬ。
そも、此れ等二つの言葉たるや、何故にかくも人の心を捕捉し、或る種の「戯笑」を誘発するのであろうか。巷間の童子らが、意味も解せぬ内から此れ等の言葉を連呼し、奇声を発して燥ぐ様は、日常の風景と申しても過言ではあるまい。彼等にとっては、其の音の響き自体が奇妙なのか、或いは、其れを口にすることで大人達が狼狽し、顔面を顰める様が遊戯と化すのか。何れにせよ、其処には純粋にして原始的な、生命の肯定にも類する響きが感得されなくもない。
翻って大人達と申せば、表面上は眉を顰め、如何にも下品千万、口にするのも憚られると云った風情を装い乍らも、酒席などでは、此れ等の言葉が飛翔すると、途端に顔面を破顔させ、腹部を抱えて哄笑するでは無いか。其れは、日常の規範や体面と云った仮面の下に隠匿された、人間本来の奔放さ、或いは、幼き日への郷愁にも似た感情が、一瞬、顔を覗かせるが故なのではなかろうか。或いは亦、人が隠蔽し、秘匿せんとする物ほど、暴露された時の衝撃は大であり、其れが一種の解放感と為りて、哄笑へと転化するのであるまいか。此れ等二語は、我々が普段、高尚だの、美的だのと称揚する物の対極に在り乍ら、然し、我々の存在の根源に深く結合していると云う、此の抗い難き矛盾撞着こそが、滑稽の源泉なのではあるまいか。斯様に考察しつつも、結局の処、私自身も亦、此れ等の言葉の有する、或る種の魔力とでも称すべき力に抗し得ず、日夜頭脳を悩ませているのだから、世話は無い。
さて、昨晩の事である。文学上の先輩たる御仁より、何やら異形の「慰み物」を頂戴した。西洋渡来の品とやらで、象牙の如く滑らかな肌触り、然して、真にけしからぬ形状を為しておった。曰く、「君の鬱屈した創作の助けになるやも知れぬ」と、悪戯っぽく嗤うのである。酒の勢いも手伝ってか、深夜、自室にて其の「慰み物」を己が後庭に迎え入れてみたのだが、此れが如何した事か、今朝になっても、彼の客人は我が内腑に鎮座ましまし、毫も動かぬのである。
致し方無く、其の儘の姿で書斎の机に面した。袴の尻の辺りが、如何にも据わりが悪い。宛で、余計な尾骨でも発生したかの様だ。其処へ、馴染みの雑誌社の編集子が、今月の原稿の催促に来訪した。彼は、私の後姿を一瞥するなり、小首を傾げ、斯く問い掛けてきたのである。
「先生、失礼乍ら、何やら御召し物の裾より、奇妙な物体が…若や、先生は狐の血統ででも御座いますか? 宛で、実に立派な尾を所持されておる様に拝察致しますが」
此の朴訥な男の、余りに突拍子も無い詰問に、私は一瞬言語を喪失したが、即座に何時もの韜晦癖が擡頭し、斯く応答してやった。
「如何にも。我が家系には、古来より白狐の血が混淆していると伝承されておる。時折、斯くして先祖返りするのでな。驚愕させてしまった哉」
編集子は、眼を円くして恐縮しきりであった。まさか、真に受容するとは。滑稽な輩の多き世の中よ。
然し、其んな虚勢も長くは継続せぬ。彼の退室と入れ替わる様にして、腹部の深奥から、彼の懐かしくも切実な便意が、むくりと鎌首を擡げてきたのである。嗚呼、何たる宿命の悪戯か! 我が後庭には、彼の頑固なる異物が、門番の如く立ち塞がっておる。
果して、此れから産出されんとする我が糞塊は、此の異形の関守に依って、其の進路を阻害されてしまうのであろうか。其れとも、万鈞の勢力を以て、彼の邪魔者を圧排し、滔々たる大河の如く、一気呵成に流出するのであろうか。
嗚呼、宇宙の神秘よ! 生命の不可思議よ! 我は今、其の壮大なる劇の、正に開幕を迎えんとしている。我が大便と、彼の客人との、何方が此の勝負を制するのであろうか。其の結末を夢想しつつ、私は静粛に、且つ厳粛に、厠へと歩みを進めるのであった。嗚呼、文学とは、人生とは、然して、大便とは、何と奥深き物なのであろうか!
狐と糞塊 脳幹 まこと @ReviveSoul
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