老人の人生
ゆぐ
老人の人生
これは僕の恩師のお話だ
彼は人生を業火のごとく生き抜いた
でもそれは僕だけにしか知らない
地球にとってはどうでもいいこと
彼との出会いは
小さな港町だった
人生に疲れて目的もなく来た町に
彼はいた
彼は他の漁師仲間とは喋らず
寡黙でずっと一人で
つばの欠けた赤い帽子をかぶっていた
どこか自分と似ている気がした
彼は漁師仲間でも知らない魚を
捕まえようとしていた
新種の巨大魚
ジンベエザメよりも大きいと彼は言っていた
彼の乗っている漁船は一般的なサイズで
多分そいつと対峙したらこっちが負ける
とも彼は言っていた
下手したら死ぬかもしれないのに
彼は今日も海に出た
僕は彼が港を出るタイミングに来て
帰って来る時にまた港に行く
ある日訊いたのだ
なぜあの魚を捕りたいのと
彼は答えた
「理由はない」
思わず唖然とした
彼にとっては魚を捕ることは
生きることと同じ
なのに理由がないと来た
理由がないのにやっている
出会った頃の自分には到底理解できない
でも彼の生き様が教えてくれた
彼は生きるそのものなのだと
今日も彼はあの魚を捕まえに海に出た
僕はいつものように港で
彼が帰って来るのを待っていた
でもいつもなら帰って来る時間なのに
彼は帰っては来なかった
何日も何日も
僕は悟った
彼は死んだのだと
あの魚に出会って戦って死んだのだと
僕は彼が死んだことに
なぜか悲しくはなかった
むしろ誇らしかった
彼は自分の人生を全うしたのだと
ある日
浜辺を散歩していると
見慣れた帽子を見つけた
つばの欠けた赤い帽子
僕はそれを拾い砂を払って
大事にかぶった
─完─
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