人の目を気にしすぎて嫌になる人へ

柳傑

自分のままで良い

 誰かと関わるとき、「変に思われたらどうしよう」「嫌われたらどうしよう」と、不安になることがある。

 それは、相手が見知らぬ人でも、気の置けない友達でも、同じように心がざわつく。

 ほんのひと言を送るだけでも、「これでよかったかな」と後から何度も考えてしまう──そんなふうに、人との距離感に悩むことは、決して珍しいことではない。


 人と関わるときに不安を感じるのは、他人の目が怖いから──そう思いがちだけれど、実は私たちを一番厳しく見つめているのは、「こうあるべき」「こう見られたい」と思っている自分自身なのかもしれない。


 たとえば、話しかけるタイミングを探しているうちに、会話のチャンスを逃してしまうことがある。

 そのとき胸の奥でざわついているのは、「上手に話さなきゃ」「つまらない人と思われたくない」という自分の中の“理想の自分像”だ。


 けれど考えてみてほしい。あなたが思っているほど、他人はあなたのことを注視していない。

 人は皆、自分のことで精一杯だ。誰かの言動に少し驚くことがあっても、ずっと気にしていることはほとんどない──そう、頭では分かっている。でも、それができるならとっくに楽になっている、そう思う人もいるだろう。


 不安というのは、「わかっているけど、抑えられない」ものだ。理屈では安心できないこともある。

 だから、「気にしすぎなくていいよ」という言葉をプレッシャーに感じる必要はない。

 それよりも、今の自分の感情に気づいて、「不安を感じている自分」に優しくしてあげることのほうが、ずっと大切だと思う。


 人と接するとき、胸がぎゅっと縮こまる。声のトーンが不自然になったり、表情がこわばったりする。

 そういう自分に気づいて、「ああ、またうまくできなかった」と落ち込む──そんな経験が、きっと何度もあると思う。


 でも、緊張するのは「相手を大事に思っている」証拠でもある。

 不安になるのは「ちゃんと関わりたい」と願っているからだ。

 それをただの「苦手」「欠点」と決めつけてしまうのは、とてももったいないことだと思う。


 人付き合いは、「うまく話すこと」がすべてではない。

 一緒にいて、相手が安心できるか。無理をせずに、心を傾けてくれるか。

 不器用でも、言葉が少なくても、その人なりの誠実さは、ちゃんと伝わっていく。


 緊張したままでいい。不安な気持ちがあってもいい。

 それでも関わろうとするその姿勢が、あなたをちゃんと“誰かとのつながり”の中に連れていってくれる。


 「自分のままで良い」なんて、すぐに信じられる言葉ではないかもしれない。

 そもそも、自分を好きになるなんて簡単なことじゃない。

 できることなら誰かのようになりたいと願ったり、自分の不器用さを責めてしまったり──そんな気持ちの中で生きている人も、きっと多いと思う。


 でも、それでも。

 まずは「自分を大切にしてみよう」と思うことから始めてみてほしい。

 好きになれなくてもいい。ただ、これまでがんばってきた自分を、少しだけ労わる。

 「今日もよくやったね」と、心の中で声をかけてあげる。

 その一歩は、小さくても確かに、自分を苦しめる心の鎖を緩めてくれる。


 今日あなたが、ほんの短いあいさつを交わしたこと。

 メッセージを送るまでに時間がかかったけど、言葉を届けたこと。

 目を見てうなずけたこと。誰かの話を、最後まで聞こうとしたこと。


 それは全部、「人とつながろう」とした確かな一歩だ。

 不安やぎこちなさを抱えたままでも、あなたは人に向かって歩こうとしている。

 完璧じゃないままでも、あなたのその歩みは、ちゃんと価値がある。


 だからどうか、今日の自分を責めないでいてほしい。

 「うまくできなかった」ではなく、「よくやった」と、自分に言ってあげてほしい。

 まずは自分を大切に思うこと。そこから、ほんの少しずつ「自分のままで良い」が育っていくのだと思う。

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人の目を気にしすぎて嫌になる人へ 柳傑 @suguruyana

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